02 前回のデータがあります。引き継ぎますか?
■チュートリアルステージ
■10:00
10時きっかりに私はゲームの筐体に押し込められた。
フルダイブ型VRMMOというものを初めて見るが、体中に電極を付けながら、箱の中に寝そべるのだと誰が想像するだろう。これじゃあ棺桶じゃないか。
白衣の女性がいるというのに、私は全裸で箱詰めされていた。
筐体の蓋が閉められると、ガラスの向こうから女性が機械的に言う。
「89番、準備が完了したら『アクセス・ニューワールド』と言って」
89番とは受刑者に付けられる呼称番号で、つまり、私である。
ニューワールド、悪くない響きだ。
――アクセス・ニューワールド。
私は驚いた。口に出したはずなのに、脳内で声が聞こえたから。
次の瞬間、すべての風景が後ろに流れていった。
すぐ横を白衣の女性が通り過ぎて、
無機質な部屋の無機質なドアに……、ぶつかる!
身構えてまぶたを閉じた。暗闇。しかし衝突した感覚はない。
恐る恐る目を開くと、真っ白な空間にメッセージウインドウが浮かんでいる。
――前回のデータがあります。引き継ぎますか?
――YES NO
待て。おかしい。私は〈キルデス・オンライン〉なんてゲーム、やったことがないはずだ。それなのに『前回のデータ』とはどういうことだろう。
周囲に目を向けたつもりだったが、メッセージウインドウは常に正面にある。
興味本位、あるいは投げやりな気分だったからかもしれない。
私は『YES』を選んだ。
意識がフッと落ちた。
まぶたの内側に光を感じる。
まるで朝の目覚めのようだ、と思いながらゆっくりと目を開く。
はじめに視界に飛び込んできたのは、炎。ジャンプして届きそうな高さに浮かんでいる。それがいくつも並ぶ、果てのない空間に整然と。
若干、暗い。床がキラキラ光っているのが見えてきた。水面に炎の光が反射しているのだ。足首のところまで水が張ってあり、私のローファーが浸っている。
……ローファー?
私は手のひらを眺めた。なぜだか一回り小さくなっている。
「なんだこれ? ……!」
声もおかしい。いつも耳にする声より1オクターブ高い。女みたいな声だ。低音がなく、声が喉をスルリと通り過ぎる。首に触れると喉仏がない。
それに、シャツを着ている。スーツ、というよりはブレザーのようだ。
ふと、
どの点が『前回のデータ』なのだろうか?
と思う。
次第に目が慣れてきて、周囲に人が大勢いるのに気がついた。
近くにいた10代後半の少女が話しかけてくる。甘ったるい声だ。
「ねーえ? キミも人殺しぃ?」
第一声がそれか。
『キミも』ということは彼女は殺人犯なのだ。
「ああ」
嘘だ。別にどうでもいいけど。
私は殺人犯だが、人殺しはしていない。普段の行いが悪かった。家庭環境も悪かったのだと思う。少年院に繰り返し収容されていた私は、18歳の時、一家惨殺事件の容疑者として逮捕され、長い長い裁判の後、死刑判決を受けた。
「ゲームの世界って聞いたのになぁ。あたしたち、もう死んじゃったのかなぁ?」
「さあ」
「でも、歳の近い男の子と話せて良かった」
「え?」
一回りは違うと思う。一回りというのは干支の一周分。つまり12歳差だ。
「あたしより年下だよねぇ? 14歳くらいかな?」
「……は?」
私は床に膝をついて、水面に映る己の顔を確かめた。
「嘘だろ?」
水に映った14、15歳ほどの少年がそう言った。
いや、これは私だ。
正確には20年くらい前の姿の私である。
意味がわからないといった顔をする少年時代の私。
「『前回のデータ』ってこれか……」
少年院の常連になる前、私は重度のゲーマーだった。どうやらその時のデータが適用されてしまったらしい。私の肉体は人生を踏み外す前まで若返っていた。
少女は心配そうな顔で私に駆け寄る。
「だいじょうぶぅ? あたしこういう時どうしたらいいか分からなくてぇ」
水面が揺れて映った顔が歪む。
私はその場に座った。水が腰元に染み渡るのがひどく気持ち悪い。
でもそんなこと気にならないくらい、心が踊っていた。
失った時間を取り戻せたような気がしたから。
少女が、にへら、と微笑む。
「わらった〜」
ふにゃふにゃした笑顔で私の髪を優しく撫で付けた。
私は反射的にのけぞる。
「や、やめてくれ」
少女はバツが悪そうに顎を引き、上目遣いをこちらに向ける。
「えぇ〜? ヤァなの?」
「イヤじゃない。慣れてないだけだ」
他人から好意なんて向けられたのがそもそも覚えてなくて。
少女がぎゅっと抱きしめてきて、どうしていいか、ぜんぜん分からなかった。
でも、分かることが一つ。
人のぬくもりを感じれるとは何と幸せなことか。
耳元で少女がつぶやく。
「あたし、死ぬ前にぃ、恋、してみたかったんだぁ〜」
ゆえに思う。これは死ぬ前に、神が与えた最後の幸福だと。