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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

渡り鳥

作者: 倉科葉

俺は、新しい住処を求めている。今までの汚ねぇ生活から変わって、新しい自分で生きたい。邪魔する奴は許さねぇ。

今から、俺は飛び立つ。何ものにも邪魔されずに、ただ安住の地を目指して。

1:新章

何て清々しいのだろう。今までの重く邪魔臭かった鎖から解き放たれ、「今からあなたは自由です」と神からの許しを得たかの様だ。

そう、俺は今から新たな住処へと飛び立つのだ。



高校最後のバスケの試合。俺のチームは善戦すら出来ずに一回戦で負けた。

当然だ。あいつらが俺の動きについてこれないのが悪い。俺に非は無い。全部あいつらのせいだ。最後の試合を台無しにしやがって。

「おい、待てよ葉山。」

急に呼び止められる。なんだ、誰かと思ったら同じスタメンの足引っ張り要員じゃないか。

「お前、負けたってのに何とも思ってないみたいじゃないか。」

「はあ?うぜー。あなた達のせいで負ける羽目になったんですけど?俺に非とかねーし。てめーらで勝手にメソメソと泣き合ってろよ。んじゃ、俺帰る。」

その直後にあいつがなんか言った気がするが、気にしないで帰った。気にする必要も無かった。なんせ、俺はあと自由の身なのだから。

ああ、早く飛び去りたい。飛び去って、新たなる大陸での生活を手にしたい。

そんな事を思う今日この頃であった。



2:住処

「全く、本当に嫌な奴らだったよ。」

俺はあの憎きバスケ部連中に対しての愚痴を言う。聞き手は加藤。同じクラスの奴で、以前から少し仲が良かった。よく人に見せる笑顔が素敵な奴で、何より話しやすく、たまに言う俺の愚痴を何も言わずに聞いてくれる、いい奴だ。

別に話す相手は誰でも良いのだ。ただ、普段から話の合う加藤には、そういった話を聞いてもらうには最適だった。

「あいつらさー、意味分かんないんだよね。人の邪魔をすることしか頭にねーみてーでさー。」

周りの奴らに聞こえるように、少し大きめの声とモーションで続ける。すると狙い通り、近くにいた同じクラスのバスケ部連中が俺に嫌そうな雰囲気で目を向けた。

「んだよ、文句あんのか?その通りのことを言ったまでだろう。」

そいつらに言う。奴らは目を逸らし、近くにいるグループと会話を始めた。

(フン、逃げたな。)

あまりにも図星なことを言われたからであろう。弱者らしくて何よりだ。ああ、なんて気分が良いのだろう。愚者が聖人に仇なすことができない様子を見るのは、実に爽快だ。

「伸哉君、何してるの?」

突然、小柄な奴が話に入ってくる。余韻に浸っている中、少し不快に感じたが、加藤に用があるなら仕方がない。良しとしよう。

「お、祐一。今、葉山君のバスケ部時代の話をしていたんだよ。」

「ふーん、そっか。邪魔して悪かったね。ごめん。」

俺の様子を探るようにジロジロと眺めた後、そいつは去って行く。名前は確か中村祐一。加藤とよく一緒にいる奴だ。

「なんだ、あいつ。」

思わず口に出してしまう。悪態だと分かっていたが、つい口から出てしまった。

「ごめんよ、葉山君。彼は少しシャイなんだ。許してやって。」

加藤が気を使うように謝る。

そうなのか。そういえばあいつのこと、同じクラスだったけど何も知らないな。

「なあ、中村ってどんな奴?」

「んー、彼はとても真面目。完璧主義だし、仕事人って感じ。欠点といえば、気が小さくて、運動音痴なことくらいかな。」

そうなのか。全然気にもかけていなかったせいか、初耳なことばっかりだ。ついでだし、もっと知っておきたい。

「周りからどんな風に見られてんの?」

「割と人気はあると思うよ。今も付き合っている人とかいるし。」

加藤がそう話すと、俺の身体中に、ビリリっと電流が走る感覚がした。

時折くるこの感じ。この感覚がするのは、俺の中の『いい奴センサー』が働いている時である。と俺は思う。加藤の時もこんな感じにビリビリきていた。

「今度、話してみるよ。少し興味が湧いた。」

心躍る感覚。高校生活も残り僅かだが、最悪なバスケ部での生活から一転、良いスクールライフを送れる気がした。



「ねえ、伸哉君。ちょっと良い?」

祐一は何か気になることが、あるらしく、俺に話しかける。

「どうした祐一、何か用か?」

「いや、葉山君のことなんだけど・・・。」

なんだ、あいつのことか。祐一が気になるってことは、何かし感じるものがあったのだろうな。

「んー?俺はただ普通に話を聞いていただけだけど?」

俺ははぐらかすように見え透いた嘘を吐く。こんなんバレるだろ、と思いながらも、つい言ってしまった。

「嘘、ついてるよね。」

当然、というように祐一は正解を言い当てる。この会話だけでなく、あの時葉山と話していた時に付いていた嘘も見抜いていやがった。まあ、祐一にとっては当たり前なのだが。

「ハハッ。やっぱり祐一には分かっちゃうか。気付いていると思うけど、正直かなり面倒なことになった。祐一のことも気にかけていたし。少し気をつけていかないとね。」

面倒なこと、で済めばいいがな。正直危なっかしくてしょうがねぇ。嫌な予感が身体に引っ付いて離れねぇんだ。

「うん。そうだね。」

祐一も察したらしく、それに見合った返事をすると俺は「じゃあ、そういうことで」と言ってその場を離れた。



「中村くーん。」

放課後、加藤と下校している中村をつかまえた。

「中村君のこと、加藤君から聞いたよ。そこでさ、君とはとても仲良くなれそうなんだ。これから仲良くしてくれると嬉しいんだけど・・・。」

我ながらフレンドリー。完璧な挨拶をすると中村は慌てたように

「あっ、うん。よろしくね、葉山君。」

と人懐っこいが少し強張った笑顔を見せて言った。

「祐一、そんなにビビんなくたって葉山君は良い人だから、襲ったりしないよ。」

脇で面白そうに見ていた加藤が、緊張のせいだろうか、少し硬くなっていた中村の背中を叩いて言うと、

「ビ、ビビってないし!」

と、急に沸点に達したかのように顔を真っ赤にして言う。

「ハハッ、顔赤くなってるよ。まあ、お互い良い付き合いにしていこうよ。」

「そうだね。」

初めてのこの三人での下校。俺の中で、新たな住処を見つけた。そんな気がするひと時となった。

これから彼らと、どんな土地を開拓し、どんな巣を作り、そこでどんな生活ができるのか、楽しみで仕方がない。夕焼け空も、そんな俺らを見て微笑んでいるように感じる。



「祐一君。今日一緒に帰ってた人、加藤君ともう一人誰?」

さっきまで何か仲よさげに話していた三人。一人は彼氏の祐一君、更に祐一君の幼馴染の加藤君、までは分かるんだけど、あと1人が分からない。遠くから見ていてずっと気になったから聞いてみる事にした。

「ああ、亜美さん。今日いたのは葉山君。仲良くしようね、って言われたところだよ。」

そうなんだ。確かに仲よさそうに話してたもんね。でも、なんだろう?分からないけど胸の奥に何かがつっかえているそんな具合の悪さがあった。

「そっか。でも、なんか嫌な予感がするな。」

「伸哉君もそう言ってたけど、やっぱりそう?」

加藤君も、おかしいって思ってたんだ。それはそうだよね、あんなに嘘つきながら話す加藤君見た事ないもん。

「うん。何かこう、グチャグチャになっちゃいそうな、そんな気がする。」

嫌な予感を上手く表現できないが、ニュアンスで伝える。すると祐一君はそうだね、と言わんばかりに頷いて

「嫌な噂も耳にするしね。亜美さんも気をつけてね。」

と言う。えっ、私も気をつけるの?何?手を出されるとか?

「関係もたれるかな?」

なんて、少しオーバーに言ってみる。半分ジョークみたいなものだから、きっと笑って返してくれるんだろうな。とか思っていたけど、予想していた反応とは真逆で、深刻な表情を見せると

「うん。その嫌な噂なんだけど・・・・。」

と私に耳打ちする。聞いているとその内容は酷いものだった。

「えっ…本当に?それって許されるの?じゃあ、もしかしたら私も…?」

「そんなこと、僕が許さない。でも、本当に気をつけてね。何かあったら、いつでも相談して。」

か、カッコいい!流石は私の彼氏!そんなこと言われたらもっと惚れちゃうよ〜。

「分かった。頼りにしてるね。」

興奮を抑えるように声のトーンを少し下げて、それでも精一杯の笑顔を見せて言う。



「中村くーん。一人ー?一緒に行こーよー。」

登校中、一人で歩いている中村を見つけた。急いでいる様子はないが、なんだか用事がありそうな感じだ。学校に来るのはそんなに早い方じゃないのに、こんな時間からいるなんて、少しおかしい。

「あ、おはよう葉山君。今から伸哉君とこ行くんだ。」

なんだ、そういうことか。理解理解。

「ふーん。本当にいつも一緒だね。」

仲が良さそうで何よりだ。俺も早くこの中に溶け込みたいなぁ。

色々と雑談しながら、十分程歩いたところで、中村がいきなり歩みを止めた。

「ここが、伸哉君の家だよ。じゃあ、今から呼んでくるから。」

そういうと中村は、ここら辺一帯の家より、かなり立派な家の玄関に入って行く。すげー、俺の家の二倍位は大きいな。

中村と加藤が出てくる。加藤はかなり眠たそうだ。

「よう、起きてるか?」

目がショボショボしている様子の加藤に話しかける。

「んー、十分位前に起きた。」

目を擦りながら言う加藤は本当に眠たそうで、もう「私は寝起きです」と言わんばかりだった。

「ある意味すげーな。」

急いで出たからか、髪をあまり直せなかったのであろう。髪が少し乱れている。

「祐一、毎日毎日、朝から焦らしプレイは良くないって。いつもいってるじゃん。」

加藤が少し不満そうに言うと、

「じゃあ、もっと早く起きなよ。それとも、もう迎えに来なくても良いの?」

と返す。すると加藤は何回も頭を下げ

「すいません。これからもよろしくお願いします。」

と言う。二人の間に笑いが起きる。そんな会話を俺も笑いながら聞いている。朝から仲の良い奴らめ。羨ましいぞ。なんて思う朝だった。俺も早く一緒になって笑えるようになりてぇ。



その日の放課後。中村が女と歩いているのを見つける。

「なあ、加藤。あれ誰だ?」

中村達の方を指差して言う。

「んー。ああ、この間君に喋った中村君の彼女の高山さん。」

ああー、あれが。中々良いじゃん。

「付き合ってどの位経つんだ?」

「軽く一年半。いや、もっとかな。とにかく結構長い。羨ましいね。」

ふーん、っとそういや加藤って付き合ったことあるのかな?この際だ、聞いてみよう。

「加藤は付き合ってないのか?」

すると何やらもの寂しげに

「彼女いない歴イコール年齢だよ。それ以上はやめてくれ。」

と言う。制止する手に謎の威圧感を感じた。

「お、おう悪い。」

勢いに押されて謝ると、

「それより、葉山君はどうなの?」

と、話題を俺の方に持ってきた。聞くなよ〜大したことないから。

「いたけど、持って九ヶ月位。」

そう言うと、へぇ〜といった感じに返事をしてくる。

「今まで何人?」

更に聞きたいようで、次は人数の方を聞いてきた。

「んー、小中高で合計十二人位。」

「経験豊富だな。」

反射的に、それでも何やら妬み感情込みな様子で加藤は言う。

「まあな。今はいないけど。」

少々キザ臭いとは思ったが、間違いではないからな。しかし、加藤はモテないのか。意外だな、何でだろう。良い奴なのに。

「告られたことは?」

流石にあるだろ。このイケメンになら。

「数回」

「あるじゃん。どうして断ったの?」

そのまま付き合ったら色々楽なのに。楽しいし癒されるし。

「断った、というか、俺がその時アガちゃって、うまく話せなくて、無かったことにされた。」

「ハハッ、そうなのか。」

そうなのか。喋りが達者な奴だと思っていたが、女子の前では緊張してしまうのか。

「意外だな。」

「いや、少し女子は苦手で。」

彼はきっぱりとそう答えた。どうやら、本当に苦手らしい。

「ここから先、そうは言ってられないぞ。」

「そうだな。でも俺は婚期だけ逃さないように、じっくりと頑張るよ。」

まあ、焦る必要も無いし、加藤なら大丈夫であろう。

そんな話をしていると、気付いたら中村とその彼女の高山さんが目の前に来ていた。

「亜美さん、こちらが例の葉山君。」

「こっ、こんにちは!高山亜美です!」

中村の彼女である小柄で可愛らしい女性は、おどおどした様子で俺に挨拶してきた。挨拶の声が少し裏返っていたが、それもまた、可愛らしかった。

「そんなに緊張しなくて良いよ。こちらこそよろしくね。」

そういうと、やはり緊張しているのか、彼女は中村の腕にしがみついた。

「しかし中村君、いい彼女連れてるね。」

「うん、彼女はとても素敵な人だよ。」

中村がそう言うと、高山さんは、顔を真っ赤にして、結構強めに中村の肩を叩く。

「もう、祐一君!」

何やら楽しそうな中、

「おーい、お熱いのは良いが、俺を忘れないでくれよ。」

と、会話に入れず置いてけぼりを食らっていた加藤が、「ちょっと待ったー!」と言わんばかりのモーションとテンションで、俺らの会話に無理矢理混ざる。

その時、俺にまたビリリッと電流が走る感覚がきた。

高山さんが俺と仲良くしてくれそうな人だからであろうか。しかし、今回は今まで以上に電流が強い気がする。

ついでに、叫び出したい程の感情が込み上げてくるのが分かった。それが何かは分からないが、きっと俺にとって良いことの知らせなのだろう。

この四人で、俺の落ち着ける住処を作っていきたい。素直にそう思った。



しかし、中村、加藤、高山が思っていたように、順風満帆な生活になる訳もなく、彼らがこのまま仲良く卒業などすることは無かった。




3:曇天

「おい中村、パン買ってこいよ」

俺がそう言うと彼は素直に応じる。

中村達との出会いから三週間がたち、お互いに気遣いをしなくても良い関係になっていた。

呼び捨てなんかはもはや当たり前。気遣いをしなくても良い仲。とても過ごしやすい。

「…自分で買ってこいよ」

外野が何やらうるさいな。どうせ素晴らしい仲を持っていない奴らの妬みだろう。可哀想に。



「祐一、また使い走り?」

俺は祐一に問い掛ける。

「そうなんだ。全く自分で買いに行けばいいのに」

祐一は大きなため息混じりで、いかにも嫌そうにして言う。その後更に大きなため息をついてから続ける。

「彼は満足そうだけれど、こっちはいい迷惑なんだよな」

このところ、祐一は葉山の飯を買う為に昼休みの半分を削っている。購買が無いため、コンビニまで行かなければならないのだ。

「嫌だったら、俺が変わろっか?」

俺は心配して、祐一に問い掛ける。

「いや、あいつの愚痴を昼休み中ずっと聞かされるのはごめんだよ」

苦笑を浮かべながら俺も呆れたように大きなため息をつく。「まあ」と続け

「あと1ヶ月の辛抱だよ。彼を不機嫌にさせないようにね。うまくやろう。面倒臭いのはごめんだよ」

俺は半分諦めたように言う。祐一も俺と同じくやれやれと諦め顔で

「じゃあ、大人しくパン買ってくるよ」と言う

「行ってらっしゃい」

俺らはそう言葉を放つと反対方向へと別れて行った。



「おう、加藤。やっと来たか。いきなりだけど、中村の奴ってさー」

加藤が来たところで、俺は中村の愚痴を語る。

何故中村?自分でもわからない。ただ、言いたくなった。さっきから身体中がビリビリいってとまらない。その電流の痛みから逃れるように反射的に発された、そんな気がする。

話せば落ち着く。そう思って俺は加藤に語り続けた。加藤は何も言わないが、たまに頷く。伝われ、伝われ。俺は語り続ける。今日の空模様のように真っ暗な闇から抜け出したい。その一心で俺は、もがくように語り続けた。思ってもないことまで出てくる。かく汗は気持ち悪い。それでも語る。

「中村って、何も言えないロボットみたいな奴だよな」

何でこんなことを口走ったのかはわからない。けれど、これを言った後、電流は止まった。不思議と落ち着く。友人のことを散々言ったのに。

加藤の方を見る。俯いたまま話そうともしない。

「葉山君、パン買ってきたよ」

そんなところに、今まで俺の話の話題だった中村がパンを持って帰ってきた。

「おい祐一、行くぞ」

そう言うと、加藤は立ち上がる。嫌だ。去るな。俺だって、本当はそんなこと言いたくはなかったんだ。駄目だ、さっきから自分がさっきから自分が何を思って、何を話しているのかわからない。だが、俺にあの電流は走っていない。あるのは爽快感と、喪失感。

「おい、行くな!」

そういった時にはもうあの二人は居なかった。罪悪感が俺を襲う。

「あいつ、散々言っといてあのザマかよ」

外野がまた何か言っている。うるさい。お前らにいまの俺の何が分かるというのだ。俺だって、分からないのに。

自分の支離滅裂さに嫌気がさす。中身が空っぽな、根拠の無い悪態をつき、そのせいなのに、友人が去ろうとしているところを未練がましく追おうとするだなんて。

俺のせいじゃない、俺のせいじゃない。そう自分に言い聞かせた。俺にそうさせる何かのせいだ。俺のせいじゃない。

一つ思ったことは、加藤にはしっかりと謝っておこう、ということだ。壊したまま、終わりたくない。



「祐一、ごめん」

俺は中村に謝る。祐一は不思議そうにそれを眺める。

「ごめん。もうお前と話せなくなるかもしれない」

俺がいけなかった。かなりまずいことになった。

「どうして?嫌だよ」

祐一は問い詰める。俺は何も言えず謝る動作を続ける。

「俺のせいだ。うまくできんかった。もう終わりだ」

俺はそう言うと、訳がわからなそうな様子の祐一に「じゃあな」と告げ、その場を離れた。

「意味がわからないよ」

祐一はボソッと、そう呟く。ごめん。本当に俺もどうすればいいか分からなくて…。



「加藤、さっきは悪かった。自分でも訳がわからなくなってて…。その、とにかくごめん!」

俺は帰ってきた加藤に、うまく伝えられないながらも謝った。

「いいよ、そんなに謝らなくて。こっちはそんなに気にしてないから」

嘘だ。と俺は思う。しかし、今まで通りでいることは、少なからず可能だ。そう伝わってきた気がする。

「じゃあ、これからも今まで通りよろしく」

「ああ、よろしく」

いつもの加藤だ。よかった、これからもこの住処に居られる。その事実が分かっただけで安心だ。

住処と落ち着きを取り戻し、ひとまず安心できる。



「ねえ、祐一君」

ボーッと教室の天井の一角を見つめる祐一君に話しかける。しかし、祐一君からは何も返ってこない。

「何かあったのなら、言ってよ」

私は問いかけ続ける。抜け殻の様になった祐一君に何かを話してもらいたい。らしくないから。少しでも元気を取り戻してほしい。その一心で話しかける。

「どうしたの?ねえ、どうして何も言わないの?私に話せないことなの?」

だんだんイライラしてきた。しつこく、とにかくしつこく祐一君から何かを引っ張りだそうと試みた。聞かないとこっちの気がすまないよ。ねぇ、何か話してよ!

「ああ、もううるさい。一人にさせてくれ。今は色々複雑なんだ」

祐一君はやっと口を開く。が、開口一番に否定的なことを言われたために私は完全に我を忘れ、

「もう、なによ!人がせっかく聞いているのに!」

と、怒鳴り散らす。ついでにビンタもかます。そして「もう付き合ってられない」とだけ言ってその場を後にした。

やっちゃった。きっと何か大きな事情があったはずなのに。それも聞き出せないまま暴力まで振るって。

でも、あんな人、祐一君じゃないよ。絶対に違う!あぁ〜もう腹たつなぁ〜。


一方中村は、先ほどまでと同じく、抜け殻にでもなったかのようにボーッと天井の一角を見つめていた。



「あれ?中村は?」

スタスタと急ぐように歩いてきた高山に俺は話しかける。

「もうあんな人、知らない」

吐き捨てるように彼女はそう言う。「なにかあったのか?」と問うと

「あの人ったら何も喋らなくなっちゃった。もう中村祐一ではなくなったわ」

そう答える。その時、ビリリッと電流が走る。先ほどの中村に対して悪態をついていた時とは違う電流だ。気持ちが高まってゆく。

「じゃあさ、中村なんてやめて、俺と付き合わない?」

考えるより先に口に出ていた。それは、素直に思っていることだった。答えが気になる。また、電流が走る。さっきより強い。それに比例し、胸の鼓動が速くなる。

「そうだね、前向きに考えるよ」

高山から出た、ほぼオーケーのサイン。俺の電流やら鼓動やらが、いっきに落ち着く。

「是非ともよろしく」

心の中でガッツポーズを決めた。

俺の住処の確立。それが成される日が近づいているのを感じた。



「亜美さん、ちょっといいかな」

「何?」

中村はおどおどした様子で高山に話しかける。

「今更、何を言ったって無駄だよ」

突き放すように高山は言う。去ろうとする高山に「待って」と、中村は呼び止める。

「さっきはごめん。何があったのか話すから」

そう言うと、中村は昼にあったことを話す。

自分のいないところで、訳がわからないまま話が進んでいたこと。その状況についていけず、大切な人を傷つけたこと。そして、それについて謝りたいこと。

一通り聞いた高山は「それで?」と問う。「それで?どうしたいの?」

「っと、さっきは本当にごめんなさい。そして、これからも君との関係を維持したい」

中村は一瞬うろたえるも、はっきりと言う。

高山はクスッと笑い、「ありがとう」と言った。

「ありがとう。祐一君が話してくれなかったら、私は今頃、葉山君のものだったよ」

高山がそう言うと、中村は「よかった…」と言って、全身の力が抜けたかのように、その場に座り込んだ。

よかった。お互いに心底そう思った。



昨日までは曇り空が続いて、はっきりとしない天気だったが、今日はスッキリと蒼い空がその姿を晒していた。しかし、晴天ではなく、全体の2割くらいは雲に覆われていた。

朝、登校する時の様子が変わった。加藤を迎えに行く仕事が、中村ではなく、俺にかわった。

つまり、中村はもう俺らと登校しなくなったということだ。何故だかはわからない。だが、あまり関係ない。なんせ、もう俺にとってあいつはどうでも良い存在になったからだ。

少し歩いたところで、高山さんに会う。

「やあ、おはよう高山さん。ああ、亜美さんで良い?」

俺は聞いてみた。ここいらでグッと距離を縮めたかったからだ。高山さんは、快く「うん」と答えてくれた。

また一歩進展した。加藤も「よかったな」と言う。

かなり居心地良くなってきた。住処の確立。それが着実に進んでいる。それに満足感を覚えるひと時となった。



放課後、雲行きが怪しくなってきた。確か、今日の夜からは、雨が降る予報だったな。

校門の近くに、亜美さんがいた。

「亜美さん、一緒に帰らない?」

どんどん距離を縮めていきたい。これが、人生の相手になるのかもしれないのだから。高山さんは、朝と同じトーンで「うん」と答える。

軽く雑談をしながら帰る。そこでふと、あることが気になった。

「亜美さん、中村とはどうなの?」

聞くのは少し危険か?とも思ったが、気にしない。結果次第で今後が決まるからだ。

「祐一君とは、今後も付き合っていくことにしたよ」

彼女からその言葉が出たその時、俺にビリビリと強い電流が走る。これは、出会いの時とは違う感じだ。

その電流は俺をせかすかのように次第に強くなっていく。

「どうして?あいつとはもう、縁を切ったんじゃなかったの?」

俺は焦った。住処を得られない気がしたからだ。

気づいたら、彼女に手を出していた。身体の至る所を触る。揉みしだく。彼女の口から、「嫌っ!」という声が漏れる。俺はその口を俺の口で塞ぐ。

手離したくない。手離したくない。俺の中で、何かがそう連呼した。もう奪ってしまえ。そんなことを思った。

瞬時に近くの公園の物陰に隠れる。服こそ脱がせなかったが、服の中にある彼女の身体に指を這わせる。

彼女から漂う香り、漏れ出す声、彼女の感触。それらが俺の理性を壊しにかかる。いけないことだとはわかっていた。ただ、本能が言うことを聞かない。壊れた理性では、もう抑えることは不可能だった。

俺のものであることの証明。俺はそれが欲しかった。

孕ませてやる。その一心で彼女の身体に俺の身体をぶつける。

「やめて、やめて!」と彼女が騒ぐ。駄目だ、ここでやめては。やめたら、今身体に流れる電流がおさまらない。痛い。電流は、俺をどんどん急かす。

ああ、もう駄目だ。落ち着きを取り戻したい。孕ませて、彼女を俺のものにして、住処を確立させてやる。強い思いに比例して、腰の動きが強く、速くなる。

もう彼女の言葉も聞こえない。嫌がる声も、受け入れる声にしか聞こえない。

遂に、俺は達した。彼女と繋がったまま達した。今まで俺を急かしていた電流は、もうその姿を見せなかった。

住処の確立。それが達成された喜びと、まだおさまらない欲求の効果で、二回目に入る。

彼女は、何かに怯えるような顔をしながらも、腰を振り続ける俺を受け入れる。

二回目も終わり、ようやく俺らは公園を出た。周りに人が居なくてよかった。これで安心だ。

亜美は疲れきっていた。俺は彼女を家まで送ることにした。

亜美の家まで行き、彼女と別れると、途端に雨が降り出した。せっかく余韻に浸っていたというのに。

俺の気持ちとは裏腹に、雨は降り続けるばかりだった。




4:雷撃

「おはよう、加藤」

高山さんと一線を越えた次の日、晴れと曇りが入り混じった微妙な天気の日である。俺はいつも通り、加藤を迎えに行った。

「どうしたの葉山君。満足そうな顔して」

おっと、顔に出てしまっていたか。しかし、よくぞ聞いてくれた。流石は俺の友。昨夜から、誰かに大声で自慢したい気持ちを抑えるので必死だったのだ。

俺は早速、昨日の一件のことを話し始める。いつもより饒舌に話せている気がする。

「高山さんって、イイ女だね〜。声をあげながら身体を俺に捧げる姿が堪らなかったよ」

ここまでの関係になりましたよ。ということをここまで滑らかに話せている自分がいる。以前までの、我を忘れて狂うように喋り続けていた自分が嘘のようだ。これも、昨日の一件が、自分を少し大人にしてくれたお陰であろう。

それならば、昨日に至るまでの過程を与えてくれた住処の奴らには、感謝だ。これからの未来も、あいつらと一緒なら安泰だろう。

「しかし、あいつのものにならなくて良かったよ。愚痴を言わせるだなんて、彼氏失格だろ?

俺が大切にしてやらないとな」

咄嗟に出てしまっていたそれは、自分の身体に走った電流に、反射して出てきたものだった。しかし、それは俺の本心。特に問題は無い。

だって事実だもの。人に愚痴を言わせるような相手は駄目だ。今までの俺の経験上、その理由で切ってきた人が全員だ。不満が無ければ、安心できるのだ。それが素晴らしいことなのだ。それすら作れない愚者など、相手にはしないべきだ。

「なあ葉山、それって満足できることか?」

おっといけない。夢中になりすぎて、加藤のことをすっかり忘れていた。突然に言われたそれには、「もちろん」と当然の返事をした。

加藤もその答えを聞けて安心したのであろう。いつもは普通の顔をして話を聞いている加藤も、それを聞いて安心したのであろう、今まで見せることの無かった笑みを俺に見せた。



「おはよう、亜美さん」

僕は、どこか寂しそうな顔をしている亜美さんに声を掛ける。すると、どうしたことか泣き出してしまったではないか。「どうしたの?」と、話し掛けても答えは無い。俯いたままだ。

僕はどうしたら良いのだろう。分からない。とりあえずは泣いている理由を聞き続ける。

しかし、以前、彼女から質問責めにあったことを思い出す。その時は僕は無言スルーをしてしまった。それ以上に、酷い言葉もぶつけてしまった。

ああ、こんな気持ちだったのか。聞きたい、相談してほしい、話してほしい。そんな気持ちにあの時の彼女はなっていたのか。今の僕がそうなっているように。

その答えが見つかった途端、僕の心にあった鉛のような重みが、スッと消えていった。

あの時の自分の気持ちは、無に近かった筈だ。しかし、構わず話してくる彼女を鬱陶しく感じていた。責められている感じ。それが鬱陶しさの原因だった。

となれば、答えは一つ。自分がやるべきこと、それはじっと側にいることだ。

何も言わず、彼女の肩を抱く。それだけで、きっと落ち着いてくれるであろう。

だって、俺はあの時、体温が欲しかったのだから。



「祐一、どうしても君に話さなければならないことがあるんだ」

ここらで一つ、ケリをつけておかなければ。そう思った。俺は、少し距離を置いていた祐一に話し掛ける。

「ああ、やっと話してくれたね」

祐一のどこかスッキリとした顔。彼なりの覚悟、それを俺は感じ取った。

溜め息を一つつく。久し振りの会話。しかも、その内容は恐ろしいもの。彼を怒らせることになるだろう。俺にも覚悟はできていた。

「中村祐一、あなたの彼女の高山亜美さんは、昨日葉山大地と男女の仲を持った。そして葉山は、もう亜美さんは中村祐一のものではなく、自分のものだ、という主張をしてきた。以上だ」

少々他人行儀にも思えたが、今回に関しては、第三者の立場でないと話せないと思ったからだ。

「了解しました」

中村にも意思は伝わったようだ。第三者というどちらにも肩入れするは、今この場では許されないという意思が。「それでは」と俺は続ける。

「今、あなたは大変お怒りの筈です。その怒りは、他の誰でもない、葉山大地にぶつけなさい。そして、彼の本心を聞きなさい。そこからあとは、私の仕事です」

俺は祐一の肩を軽く叩いてから、「思いっきり殴れ」と囁くようにして言う。この時ばかりは、彼の友人としての加藤伸哉として話した。

これがまさか、祐一をあんなことにしてしまうだなんて、この時は微塵にも思っていなかった。



「ねえ、伸哉君。僕はどうすれば良いの?」

急にかかってきた一本の電話。それは、祐一からの相談のものだった。

話の内容は、高山さんが鬱になったというものだった。

「今からそっちに向かう」

俺は、祐一が高山さんと一緒に居るらしい彼の家へ急ぎ足で向かった。



予想はしていた。しかし、いざこの場に来ると、自分はどうすれば良いか分からなくなる。

なんせ、予想を越える鬱っぷりだったのだから。

高山さんは、祐一の背にしがみつきながら、

「シニタクナイ、シニタクナイ…」と何かに怯えるような顔をしながら、ブツブツと呟いている。

性行為をしただけで死にはしないだろう、とは思うが、彼女の言う「死」は別の意味だということがすぐに分かった。ここでの「死」は、祐一や俺と共に過ごしていた高山亜美が、葉山大地というよそ者に殺されてしまう、ということなのだろう。

彼女の怯えは、葉山大地のものである高山亜美が産まれてしまうことに対しての、恐怖によるものだろう。

こういう時に経験の無い男は困る。声を掛けるべき場面なのだろうが、何と言ってやれば良いのか、分からない。この言いようのないもどかしさは何なのだろう。

俺は一体何をしてやれる?このまま彼女を死なせる訳にはいかない。あいつの思う世界を生み出させてはいけないのだ。ただ、分からない。何をするべきだ?彼女を救うことが俺にできるのか?

「いいよ」

祐一が放ったその一言で、俺のグチャグチャの思考で埋め尽くされた頭は、一気に真っさらになった。

「いいよ」か…俺はこの言葉に昔から救われていたな。

今回のように、俺が出来ないことには、中村が必ず「いいよ」と言って、無理をさせてくれないのだ。

お陰で、俺は自分一人では無謀な行動を取らずに済んでいた。

ただ、今回ばかりは自分の無力さに腹が立った。いつもヘラヘラと喋っている人間が、親友の一大事に声も掛けてやれないだなんて。

俯いた俺に、祐一は「分かっているよ」と言う。

「ずっと一緒に居たんだもの。話さなくても全て伝わっているよ。僕にも彼女にも」

彼はそんなことを言うが、俺にはどうしても気掛かりなのだ。何故なら、そこで終わってしまっては、相談を受けてここまで来た俺の存在意義が無くなる。

「でも、相談を受けて来たのだから、何かしらする義務が俺にはあると思うのだが…」

俺が少々焦るような口調で言うと、祐一はクスッ、と心地よい笑みを浮かべると、「それがね」と言って続ける。

「それがね、凄いんだよ。電話をする前はどうしようもなく不安だったのだけれど、君が来てくれたら、急に安心できたんだ。大丈夫、って少しだけど思えるようになった。だから、言葉はいらないよ」

こんな状況にも関わらず、俺は少しばかし安心してしまった。彼の、無垢なる少年のような、サッパリとした明るい顔を見ると、今まで通りだ、と思えてとても安心する。

ところが、突然祐一がうずくまった。明るい顔から一転して、何かに苦しめられたかのような顔になる。

まずい、こっちは予想していなかった。嫌な予感がする。良い風が吹いた、と思った矢先の出来事ということもあり、より一層不安感が増す。祐一は「大丈夫、コレ弱いやつ」と言うが、胸を押さえてうずくまる姿を見ていると、不安に押し潰されてしまう気がした。

早くケリをつけないと。何としてでも。



亜美さんとの一件から五日後、珍しい奴からメールが届いた。中村からだ。

「今日の放課後、体育館裏に来て下さい。話があります」

とのことだ。しかし、体育館裏か。この学校の体育館裏といったら、修羅場の名所だ。そんな所に呼び出すとは。小物が調子に乗りやがって。まあいい、何としてでも奪い取ってやる。放課後が楽しみだな。



夕焼けがルビーのように輝いている放課後。俺は言われた通り、体育館裏へとやって来た。

今日は一日中、これから起こることについて考えていた。間抜けな人間をいたぶることは好きだ。大好きだ。だからこそ、今日これから起こるレクリエーションを楽しみにしていたのだ。

力の無い奴が、力のある奴の振りをしている。そんな姿を見ると、どうしても笑ってしまう。そんな奴にキツイ一発を与える。それが堪らなく快感なのだ。

更に楽しみになってきたところに、呼び出した張本人、中村祐一がやってくる。連れは居ない。

ー 思いっきりやれるな。

おっと、ニヤついてはいけない。最後の制裁の時なのだから、しっかりしないと。

中村が目の前に来る。「何の用だ」俺は言う。何の用なのかは知っているのだが、それらしく聞いてみる。

その瞬間、言葉を失ってしまった。今まで見たことの無い彼の剣幕に、俺は腰が抜けそうな位驚いた。

(こいつ、柄にも無くキレてやがる。でも、やることは変わらん)

少しの間の沈黙。先に口を開いたのは中村。開口一番は「五日前」

「五日前、君は自分が何をしたのか分かっているのか?」

唐突に聞かれたそれは、少し聞き方が違うものの、予想していた内容のものであった。

答えは「さあ?」定跡通りだ。中村は更に怒りを見せるだろうな。そしてそこを返り討ちにする。プラン通りに進む筈だ。

その瞬間、俺は顔面に強い痛みを覚えた。咄嗟に、酷く痛みを感じる鼻を抑える。手を離して見てみると真っ赤に染まっていた。

嘘…だろ?あいつ、あんなに力強かったのかよ。

ようやく現状を整理出来た俺に、中村は言う。

「君がしたことは、これよりもっと酷いことだ」

その瞬間、今までで最も強い電流が俺の身体に流れる。

反射的に殴っていた。座り込んだ中村に、俺は怒鳴りつける。

「愚者が聖人ぶって刃向かってんじゃねーよ!!」

お前のしたことは綺麗事の表れだ。元々、お前があの女に不満を言わせたくせに、それを忘れたかのように聖人ぶりやがって。さっきから中村も電流もうざったいんだよ。失せろ、失せろ失せろ失せろ失せろ、失せろ---!!

俺は殴り続ける。中村から血が出てこようが関係ない。殴る、また殴る、更に殴る、殴る殴る殴る。

やがて気が収まったが、その時には、中村は顔面が青アザだらけになった状態で、気を失っていた。

(ハッ、お似合いだぜ)

愚者らしい姿。それを俺は与えてやった。我ながら素晴らしい制裁だったと思う。とても清々しい。

その頃には、得た清々しさとは反対に、厄介な電流はその姿を現さなかった。俺はその場を後にする。

しかし、咄嗟に聞こえた「祐一!」という声に気を取られ、その場に立ち止まってしまった。声の主は加藤。加藤は座り込んでいる中村を抱えると、何も言わずにその場を立ち去った。

嫌な予感はした。その時はあまり気にしなかったが、すぐにその答えは明かされた。

中村祐一は死亡した。



中村の死を知らせる電話は、加藤からのものだった。彼は、話すべき内容のみをスラスラと話すと、「明日、少し話をしようか」と言い残し、電話を切る。

何だ。何だ、次はお前か。お前も反逆者の一人だったとはな。失望。今の彼に対しては、その二文字しか当てはまらない。

大人しく明日を待とう。それで全てを終わりにしよう。得るものだけ得て、この地を去ろう。もう用は無いさ。

ふと、部屋の窓を見ると、一羽の鳥が空を飛んでいるのが見えた。その鳥は、翼を大きく広げ空を旋回している。三、四回同じところを飛び回った後、一度木に止まったが、すぐに飛び去っていってしまった。

ああ、あれは俺だ。あの自由な雰囲気と雄大さ。今の一連の動き。全てが俺にそっくりだった。

思えばとても短かったな。あの鳥が一瞬しか木に止まらなかったように、俺があの地にいた時間も一瞬であっただろう。少々名残惜しいが、利益があったから良しとしよう。俺も大人しくさっさと飛び立とう。



翌日の放課後、俺は加藤から指定された公園へと足を運ぶ。そこは、あの場所だった。初めて亜美さんと一線を越えたあの公園。

何故知っている?いや、偶然か?疑わしいことはあるが、気にしない。何故なら、今日でおしまいだからだ。余計なことは必要ない。さっさとおさらばしよう。

しかし、加藤から発せられた言葉は

「少し長話になってしまうよ。覚悟しておいてね」

というものだった。少し腹が立ったが、全て聞き流そうと思った。そうすれば、自然と話は終わるのだから。そんなことを思っていたら、落ち着けた。

そんな俺をよそに、加藤は急に別人のような顔をして言った。

-今から、君の羽をもぎ取ります。

終焉の時がきた、なんてこの時は微塵にも思っていなかった。



まず、あなたがしたこと。それは簡単に言うと破壊です。私達の住処に足を踏み入れたあなたは、その汚れた足で築いてきた文化や、人間関係を踏み壊していきました。

一つの例は、中村君と高山さんです。彼らはとても良好な関係を築いてきました。お互いの悪いところを修正できる位の強固なものです。

あなたは「愚痴を言わせるだなんて彼氏失格だ」なんて言っていましたが、愚痴も吐かせることの無い完璧な人間なんていませんよ。そんな人は、もはや聖人です。聖人はこの世にはいませんよ。この世にいるのは、醜い愚者と素敵な愚者、そして平凡な愚者くらいです。

多くの人は、最初は平凡な愚者として産まれます。それぞれが何かしらの欠点を持ちつつも、それに気付ける人としてです。

自分の欠点に気付ける人は、自然と他人の欠点にも気付けます。ここで、醜い愚者への道と、素敵な愚者への道が分かれます。

残念なことに、多くの人は醜い愚者への道を進んでしまいます。他人の欠点を本人に言うのではなく、第三者へのネタとして提供します。そうすることで満足してしまうのです。

では、反対に素敵な愚者の道へ進む人は何をしているのか?答えは簡単です。本人に直接指摘し、共に協力して欠点を修復してゆくのです。

中村祐一と高山亜美の二人の関係は間違いなく素敵な愚者への道を進んでいけるものでした。それを壊したのは、紛れもなくあなたです。

おっと、言い忘れていました。最低の愚者の話です。最低の愚者は他人の欠点をポンポンと見つけては第三者にネタにするかのように言いふらす。ここまでは醜い愚者と同じです。しかし、最低の愚者は、自分の欠点が見つけられません。

心当たりは…まあ、ありませんよね。なんせ気付けないのですからね。

最後ですし、この際だから言っておきますね。あなたは最低の愚者ですし。最低の愚者様には、まだ大事な報告があります。聞きながさないでくださいね。今までの話は殆ど聞き流していたようなので。

では、続けます。中村祐一の死因は心臓病でした。今、一瞬ホッとしませんでした?自分が殴り殺していなかったことに対して、安心しましたね?それは違いますよ。あなたが殴り殺した。それは紛れもない事実。しっかりと受け取って下さいね。

殴るいうのも、死因に直接的に関わるのは、精神的な方です。そうです、彼は元々患っていた心臓病を悪化させて死に至ったのです。せっかく快方に向かっていたのに。原因は言わなくても分かりそうですが、気付いていなさそうなのであえて言います。あなたの行動の全て。これが原因です。まさか、という顔をされていることがとても残念です。ここまで無自覚だったとは。

中村君の行動からは、そこまでのストレスがかかっているとは思えませんでしたが、完璧主義で、仕事人のような性格の彼のことです。人に心配させたくなかったのでしょう。実際には凄まじかったようですね。

負の連鎖が彼を襲ってから、かなり苦しんだのでしょうね。勝手に友人を名乗られて、使い走りに利用されて、挙げ句には彼女を奪われて。ストレスを感じない訳が無いですよね。

次に高山亜美さん。彼女は今、鬱病です。それもかなり重度の。あなたと一線を越えたあの日から、彼女は泣き出さない日は無い程に、毎日毎日苦しんでいますよ。

それはそうですよね。大切なものを二つも奪われたのですから。しかも、奪っていった人はたちの悪い新参者だったなんて。

あなたは、彼女の生きる希望すら奪っていったのですよ。あなたとの一件以降は「シニタクナイ」と連呼していたのが、中村君が亡くなってからは「シニタイ」になっていたのですから。

さて、ここまで話しましたが、私の話もここらで終わりです。最後に一つ。

あなたは何も得ていませんね。今までの人生の中で何一つ。人のものを奪って、自分のものだ、と言い張っていただけです。ついでに言うと、あなたは何一つとして人に良いものを与えていませんね。与えたものは恐怖と絶望と、死です。過去にも沢山ありましたね。

それでは、私はあなたにも同じものを与えます。

今、私が持っているスタンガン。これをあなたの首元にたっぷり流します。大丈夫、死にはしませんよ。ただ、その後は知らないですけどね。この後、どうやら大雨が降るらしいですよ。洪水になる程の。そうなる前に意識が戻ると良いですね。

それでは、さようなら。



逃げようと思ったが、力が入らなかった。直後、雷に撃たれたような感覚。痛え。思ったが、言葉にする前に目の前が暗転した。更にその後、本物の雷が俺を直撃した。ただ一つ、それだけは分かった。

死にましたね。さようなら。




5:終焉

チュン、チュンと言う鳥の囀りが聞こえ、俺は目を覚ます。

「死んだんじゃねぇんだ」

一瞬天国のように感じたが、天井があるのを確認すると、そこは現実世界だということが分かる。更に自分の身体に触れると感触が伝わってくるから、決して死んでいるわけではない事が確認できる。

首だけを回してあたりを見ると、何やら人影を感じる。見舞いにきてくれたのか。いや、しかし誰が?まず、俺が入院していることを誰が知っているのか?親の可能性もあるが、うちの親の性格上、それはあり得ない。

それは、俺に頓着がない事。昔っからそうだ。俺のことは気にせず、仕事だ何だと言って家庭は放っといていた。だから俺は親のことが余り好きではなかったし、今更心配されてもこっちから願い下げてしまいそうだ。

予想通り、親とは違った。女性だとしたらうちの母親より大きく、男性だとしてもうちの父親より小さい。では誰なんだ。と気になって仕方がないので、起き上がって確認することにした。

「あら、起きたのですね」

確認してみたら、そこにはとても見覚えのある人がいた。「どうも、加藤です」

俺は驚きの余り硬直してしまう。何故ここに?俺を陥れた人間が何故ここに?俺を殺した人間が何故?何故?何故、何故??

得体の知れない恐怖心と、数多くの疑問で頭がぐちゃぐちゃになる。ただこんがらがっているわけではない。この場の異様な雰囲気に飲まれないように抵抗しようとするが、その方法も思いつかない。

「安心してください。何もしませんし、もう貴方の前へ現れることはないです」

いつも見せていたような笑顔。いつも安心させてくれた笑顔。見た感じは明らかにそれなのだが、何処かしらから嘘臭さが滲み出てきていて、気味が悪かった。

「というわけで去りますね。最後にこれを置いていきます。気が向いたらどうか立ち寄ってみて下さい」

と混乱状態の俺に話す加藤。その調子は淡々としていて、出された名刺もついでのように置いていった。彼は蜃気楼の如く夕焼けの中に静かに消えていった。

置かれていった名刺を見ると、背景に教会の写真が映されていて、名前の方にも教会の名前が付いていた。

「大司教サイリー=キール、か…」

司祭の名前か。しかし、あの加藤が宗教家だったとはな。意外だ。確かにあの時の喋り方も制裁者のようで、聖職者のようでもあった。まあ、それが俺に恐怖心を植え付ける原因になっているのだが。

加藤の事とは関係なく、この教会のことには関係があるな。退院したら少し立ち寄ってみるか。

ここいらで人生やり直すのも悪くないしな。何て思いながら、俺は再びベットに横になることにした。



それから三日が経ち、いよいよ退院の日となる。あの恐怖の日とは違い、その空は晴れやかで、まるでこれからの新しく明るい俺の人生を暗示しているかのようだ。

「さーて、天気も良いことだし、早速向かうか〜」

と、あの名刺に記されていた教会へと向かう。場所は既に人から聞いたり何やりで確認済みだ。

数十分歩いたあと、目的の教会へ着く。春先にも関わらず草木が生い茂り、なかなかに進みにくい。本当にここなのか?とも疑ってしまう位不気味な空間だった。しかし、鬱蒼とした庭先を抜けると、開けた庭に出て大きくて立派な教会が姿を晒す。

「はぁ〜すげぇ〜」

思わず声に出てしまう。見上げると高い屋根の上に立派な十字架が佇んでいて、ここは教会なのだ、という主張をしている。

呆けて立っていると中から人が出てくる。真っ黒な服を着た人間が、庭の草花に水でもやりにきたのか、じょうろを持ってきてこちらへと向かう。

「こ、こんにちは!」

少々緊張はしていたものの、思い切って声を掛けてみる。すると

「あら、貴方ですか。お待ちしておりました。今から少々、可愛い草花に水をやりますので、中の方でお待ちください」

と教会の方を指して言う。言われたままに移動するが、何やら腑に落ちないことがある。

「あら、貴方ですか」か…。何故俺のことを知っているのだ?まあ、この教会を紹介してきたのが加藤だ、という時点で何かしの関係があることは分かるのだが、あまりにも自然過ぎる。何処まで話したんだ?あいつのことだから、きっと洗いざらいぶちまけたに違いないのだが、顔を見ただけで判別したということは、きっと顔写真まで見せたのだろう。

「お待たせいたしました。それではこちらへどうぞ」

何て色々と考えていると、すぐに時間は過ぎていたようで、目の前に先程の真っ黒い姿の人がいた。さっきは影になって見えなかったが、どうやら女性のようだ。その人に案内されるまま、聖堂のような所へと進む。

中にはテレビドラマのセットのように教会らしい置物なんかが置いてあり、イメージ通り、雰囲気がまさしく教会のそれだった。

「で、何で俺のことをを知ってるんですか?」

気になった話題は放っておけないのが俺の性格だ。唐突で、挨拶もろくにしていなかったが、とにかく気になるという気持ちの方が先に出てきて、聞かずにはいられなかった。

「私は詳しい理由は聞かされていません。ただ、顔写真を見せられていて、それと一致していたので声をかけただけです。詳しいことは奥にいるサイリー様にお聞き下さい」

「サイリー=キールさんですか」

そう聞くと黒い姿の人は「いかにも」と言って大きく頷く。

(サイリー=キールか…)

名刺に記されていた人の名前だ。この人が「様」をつけているということは、この教会の中で結構上の立場の人だと思われる。となると、結構歳をとっている可能性もあるな。加藤のあの時の喋り方は、恐らく染み付いたものだと思われるし、きっと昔からの知り合いとかなのだろうな。

「サイリー様、例のお客様です」

大聖堂を通り過ぎて、その奥にある個室に連れて行かれると、中に一人の女性がいた。この人が、例の大司教様ということなのだろう。

「ああ、貴方が葉山さんですね。お会い出来て嬉しい限りです」

長い黒髪に白い服、スラリとした清潔感のある大司教様が、透き通った綺麗な声で俺を招き入れる。見た感じ、歳は二十代位で、若々しさが見られる美しい人だ。

「さて、貴方をここへ招いたのは伸哉君でしたね。伸哉君からお話は聞いております。しかし安心して下さい。祈りを捧げ罪を償い、新たな人生を歩むことは出来ますから」

そう言うと、何やらパンフレットのようなものを取り出し、俺に勧める。そのパンフレットのようなものの内容はよく見たら聖書で、絵や図なんかを用いてかなり分かりやすいものになっていた。今まで宗教への悪印象を持っていた人も、これを見たらその印象も覆されるのではないか、というくらい親しみやすいものだった。

読み進めていくと、明るく、未来を見据えたような内容が多く、罪人は救われ、新しく生きることができるといったようなものが多かった。

なるほどな、祈りを捧げ、誠実に生きることで救いを求めるのだな。神に真実を誓い、齎される恩恵に感謝する。何だ、素晴らしい思想じゃないか。

「どうです?興味が湧いてきましたか?」

読むことにどっぷりと浸っていたため、突然かけられた声に少々驚く。その姿が面白かったのか、大司教様はクスクスと笑い、

「貴方は明るく、愉しい人ですね。是非、こちらで我々と共に生きて欲しいのですが」

と言うと、真っ白で綺麗な手を俺の方へ差し出してくる。話が早い気もするが、俺にはその手が、どうしても救いの手そのものにしか見えなくて、気付いたら吸い付いていくかのようにその手を握って

「よろしくお願いします」

と覚悟に満ちたはっきりとした声で言っていた。大司教様はもう一度クスクスと笑い、「本当に、貴方で良かった」と心底安心したような声を漏らした。それは今日の晴天のように、雲ひとつも無い透明感のある声だった。

神に誓って……

声を聞いた瞬間、俺は誠心誠意、一生をかけて尽くすことを決めた。




「おはようございます。本日も見晴らしの良い素晴らしい天気ですね」

教会の中から庭へと出てきた大司教様に挨拶をする。神に誓うと決めたあの日から早くも一年が経った今日この頃。俺は今までとは違い、神聖な教えのもと、誠実な人生を送っている。

「おはようございます。今日も一日、清らかな心で過ごしましょう」

大司教様の挨拶もいつもと変わらず、汚れが何ひとつ感じられない澄んだ声が朝を迎えたことを告げる。

「さて、今日は貴方に大切なお話があります。好きな時に私のところに来て下さい」

大司教様はそう言うと、再び教会の中へと入っていった。大切な話?俺、もしかして何かやらかしてしまっていたのか?何だ?色々不安だぞ。

心の中はざわついているが、そんな動揺を見せないように、毎日の日課である草花への水やりに励むことにした。



「ああ、やっといらっしゃいましたね」

仕事がひと段落した昼頃、俺は大司教様の元へ向かった。司祭様は長い間待っていたのか、冷めきった紅茶を俺に急かすように勧めてきた。口にするとやっぱり冷たく、今の大司教様の心境と被っているのではないかと、少し心配になった。

「さて、お話ですが…」

やたらと緊張した面持ちで大司教様は話し始める。そのせいか、俺も自然と緊張してきて、表情やら身体やらが強張ってくる。

「正式にここの一員になるつもりはございませんか?」

大司教様は話し始めとは違い、思い切りの良いはっきりとしたトーンでそう言う。その切り替わりに、思わず呆気に取られるも、すぐに我に返り、「はい!あります!」と答える。やや反射ぎみに答えたため、その姿は側から見たら面白いものだったかもしれない。

「あら、心地の良い即決で。本当に宜しいのですか?」

口元に手をやり、クスクスと笑いながら話す大司教様。この素晴らしい人の元にいる限り、俺には誠心誠意、神に誓うことができそうだ。今までの自分を変えるチャンスを下さったこの修道女様の元でなら、一生懸命尽くすことができるであろう。そんな気がしてならないのだ。

「私は誠心誠意尽くすことをここに誓います」

そう言うと、大司教様はまたクスクスと笑みを浮かべ、心地良い声で

「よろしくお願いします」

と言った。

俺と大司教様、俺と神との契約。それが今、ここで結ばれた。安住の地を求めて最後に行き着く場所がここなのであれば、きっと多くの人を救い、自分も救いの恩恵を受けられる眩しい世界を実現できるだろう。そうなれば、俺だけでなく、世の皆が幸せになれる。なんて素晴らしいことなんだ。絶対に実現させてやるからな。



決意の日から早一ヶ月。教会の方に色々と変化が起きた。

まずとても大きな変化が一つ。以前より人が多く教会に出入りするようになったことだ。もとより、人は段々増えていく傾向にあったのだが、ここ一ヶ月はその変化が大きかった。なんの効果かは分からないが、大司教様は「主に貴方の努力のお陰です」と言っている。確かに、正式に勤めるようになってからは、布教活動がメインだった。今思うと俺が声をかけた人は皆、身を乗り出してきそうなくらい興味ありげに、かつ熱心に話を聞いていた。

本当に俺の効果かは分からないが、少しでも自分のやったことが結果に出ていると思うとやはり嬉しい。

二つ目の大きな変化といえば俺自身のことで、簡単に言うと司祭になったことだ。今まであの修道女様一人でこの教会を回していたのだが、最近の信者増加に対して人手不足ということで、俺がその役に抜擢された。

嬉しさの反面、あの大司教様のようにできるのか?という不安もあった。しかし、その不安はすぐにかき消されることになった。

信じがたいことなのだが、俺の信者からの人気が異様なほどに高まったのだ。それこそあの声をかけた人たちの多くが、俺を「イケメン司祭様」なんて呼び始めたからなのだが。

人気の方は瞬く間に高まっていき、仕事の方も順風満帆。簡単に言うと、調子が良いことこの上ないのだ。調子が良ければ活気も増して、言いずらいのだが、信者からちやほやもされて、更に活気も増して。

俺の景気は良好で、自分が今幸福なのだと感じることが多くなった。この幸福がいつまでも続けば良いのにな。いや、もっと増やしていかなければな。一日一日を大切に、世の幸福の値をどんどん増やしていこう。それが今、俺にある使命だ。



「司祭様はいますか?」

突然、声が聞こえる。誰か来たのか?と思ったが、辺りを見回しても誰もいなかった。いや、気配はするのだ。明らかに人の気配が。

「どちら様ですか?」

聞いても答えは返ってこなかった。神聖なる場所に悪霊か?それとも誰かの悪戯か?なんてことを考えたが、どれもピンとこない。気のせいだろうか。とはいえ、いきなり聞こえるだなんてどうもおかしい。色々考え込んでいると

「貴方は今、幸せですか?」

と耳元で聞こえてくる。恐ろしく低く、淀んだ声。驚きの余り、反射的に後ろを振り向くが、やはりそこには何もいなかった。

「ど、どうしたのですか?」

いや、一人そこにはいた。大司教様だ。俺を見て何やら怯えたように、かつ心配そうにしている。

「いえ、何でもありませんよ?」

と一応答えるが、修道女様にはバレバレで、

「隠し事はいけないですよ」

と控えめな喝を入れられた。静かながらも重みのある声には逆らえず、俺は両手を挙げて、降参のポーズを取った。

「すいません。自分だけの問題にしておくつもりだったので」

そう言うと、俺は今あった一連のことを話した。大司教様は少し怯えながらも、俺の今ある現状にしっかり向き合うように、俺のことをしっかり見つつ話を聞いていた。

「困りましたね」

大司教様が最初に口にしたのはそれだった。今までの大司教様からは見られなかったような、か細く、力のない声だった。

「貴方に、あまり良くないことが起こるかもしれません」

そう言うと、大司教様は今まで自分もそんな経験があったことを話し始めた。

「私が、修道女になりたての頃でした…」

そんな感じに始められた大司教様の昔話は、やけにリアリティがあり、改めて自分の置かれた現状が良くないものだと知らされた。

自分自身の仕事不振や、怪我、身内の不幸など、良くないワードが沢山出て来た。

「ですが、焦る必要はありません。祈ることを辞めなければいずれは不幸からも救われます。ですが、あまりにも酷くなった時はすぐに言って下さい。最悪の事態だけは避けたいです」

と言うと、修道女様は俺に、自分の着けていた十字架のペンダントを渡した。

「貴方に不幸のあらんことを」

祈りの込められたペンダントからは、実際の質量以上の重みがあるような、そんな気がして俺は安心しきってしまった。



ある晩のこと、自分の今ある幸福を噛み締めているところだった。

「あなた…を…もぎ取り‥す」

突然、聞き覚えのある声を聞いた。声の主の姿はぼんやりとしていて、よく分からない。だが、並々ならぬ陰湿な雰囲気を醸し出している。

「誰ですか?」

と声をかけると、声の主は続けた。

「貴方は奪いました。何もかも奪いました。未来ある若人から全てを。貴方は最低の愚者です。死んで下さい」

淡々と話した後、何やら黒いものを突き出すと、俺の首元に当てる。強烈な電気を感じた俺はそこで意識を失い…

というところで目が覚めた。俺の身体からは気味の悪い冷や汗が出ていて、寝まきにベッタリと引っ付き、まるで何かに取り憑かれているかのように中々身体から離れていかない。

かなりうなされていたのだろう。寝ていたというのに息が上がっている。

「なんなんだよ…」

俺から呆れなのか、安心なのかとも取れないような声が漏れる。その声に反応するかのように、急に耳元で

「貴方は幸福ですか?」

と、恐ろしく低い声が聞こえた。あの時の声だ。あの、教会で聞いた時の声だ。

「何が言いたい?」

と問うと、声は失笑なのか、嘲笑なのか分からないフッという笑いを交え

「そのままですよ。貴方は今、幸せですか?」

と言う。「ふざけるな!」と言っても、そいつは動じず

「幸せなら良いのです。しかし、貴方は今夢にうなされていた。貴方の過去についての夢ですね。私も一緒に観させて頂きました。随分と酷なことですね。皆にチヤホヤされ、表面上の幸福は得ても、内面の幸福は得られていなくて、今でも過去のことがフラッシュバックしてしまうのですからね」

と、全て知っていますよ、とでも言うように語った。そいつは更に

「そんな過去、もう消し去りたいですよね。無かった事にしてしまって、苦しみから解放されて、本当の幸福を手にしたいですよね?」

と、同情の意を見せつけるかのように続けた。

「貴方の教会では薄っぺらい幸福しか得られません。私なら、真の幸福を与え、永遠のものとすることが出来ます。さあ、どうです?代償はありません。悪夢を食べるのが私の仕事であり、生きがいなのです。ここはひとつ、手にしてみませんか?真の幸福を」

なるほどな、つまりは俺は今、薄い幸福しか手にしていなくて、実は心の奥深くは不幸で、この何者か分からない声は、俺の不幸の原因である悪夢を食べて、俺に『真の幸福』を与えようということらしい。

「私は一応、少し先の未来も見えるのです。このままでは、貴方に良くないことが起こるのです。それこそ、貴方の不幸のせいで他の人が不幸になるのです。それは避けておきたいのです」

と、更にその声は続けた。確かに、声だけを私に聴かせられるという時点で特殊なのだから、未来が見えてもおかしくない。多分こいつが言っていることは本当のことなのだろう。認めたくないが信じるしかなさそうだ。

「できるのならば、やってみせてくれ」

「では、明後日までには貴方を完全に幸福にしてあげましょう」

契約が結ばれた。教会の司祭と、見えない謎の声との奇妙な契約が。



「…えっ、そうなのですか?…はい、そういうことならすぐに向かいます」

大司教様は、目眩がするとでもいうように、頭を抱えて深刻そうな表情をした。

「どうしたのですか?」

気になったので聞いてみた。今までこんな表情をすることは無かったであろう。今までは何かあっても作り笑いなのだろうが、笑顔を忘れ無かったし、悲痛な表情なんか、俺たちの前では決して見せなかった。その大司教様がこんな表情をしている。よく見ると、少し涙ぐんでいる気がした。

「いえ、なんでもありません。しかし、これから忙しくなりますよ」

気がした訳では無かった。本当に泣きそうだ。目は充血して、白目の部分が赤くなっている。今にも涙がこぼれ落ちそうなくらい、目と瞼の間には悲しみの液体が溜まっている。

「大丈夫ですか?」

さすがにこれは大司教様が大変そうだ。このままだと壊れてしまいそうだ、と思って声をかけたのだが

「いえ、大丈夫です。それより、貴方もこれから忙しくなります。一ヶ月程私はここを抜けなければならないので。大変ですけど頑張って下さい」

と、逆に満面の作り笑いで気遣いをされてしまった。

一ヶ月抜けるのか…。ということは、確かに今まで以上に忙しくなるな。今まで大司教様がやってきた仕事も、俺が今までやってた仕事もやってのけなければならない。しかし、どうも気になるな。一ヶ月もどこで仕事をするのかな。というより、何故そんな長期の仕事が入ったのか、それで泣いていたのか、それとこれとは別なのか。気になることばっかりだ。

「あの…、サイリー様!」

声をかけたのだが、元いた机に、大司教様の姿は無かった。



「やめ…や…ろ…ころ…て…もう…やなの…」

黒い人のような何かが、誰かを押し倒している。黒い方は何も言わない。押し倒されている方は、何やら大声で叫んでいる。いや、叫んでいるというより、嘆いている。だが、何を言っているのかはよく聞き取れない。ただ、涙ながらに何かを吐いているのはわかる。苦しみからの解放を望むかのように、ただただ嘆いている。

「い…んだ…」

さっきまで嘆いていた声とは違う声が言う。恐らく、黒い方が喋っているのだろう。やっとしゃべり出したなと思ったら、今度は、また押し倒されている方が

「早くしてよ!!」

と今までのはっきりしないような声ではない、馬鹿でかい声で怒鳴った。次の瞬間、黒いやつが押し倒しているやつを、刃物のようなもので突き刺した。血が噴水のように吹き飛び、辺り一面に飛び散る。


―「ウワァァァ!!」

俺は身体を勢いよく起こす。辺りを見回しても、血は勿論、他に人は見られなかった。な、なんだ、また夢か。それにしても気味の悪い夢だったな。また寝巻きが汗でびちょびちょだ。やはり、ペタペタと引っ付いて気持ち悪い。

「あら、起きたのですか。寝ていてもよかったのに」

いきなり声が聞こえ、俺は「ウワァァァ」と、必要以上に驚く。聞き覚えのある声なのに。

「そんなに驚かれなくても…。私は襲ったりしませんよ」

声は、少しがっかりしたように話す。きっと実際に姿が見えたら、うな垂れるように肩でも落としているのだろう。

「で、どうした?何か用か?」

「はい。まあ、もう仕事は終わった、ということで報告しに来ました」

なんだ、その事か。これから俺はやっと幸福を手にできるのだな。

「しかし、悪夢で人を起こすだなんて、少しばかりタチが悪いのでは?」

怖かったぞ、と少しの不満を漏らす。すると声は更に驚いたように

「あら、悪夢を見てしまったのですか?貴方もつくづく運の悪い方ですね。別に私は悪夢なんて見せてませんよ」

と言い放った。こいつがそう言うなら、きっとそうなのだろう。俺が見てしまったのは偶然の悪夢で、こいつが意図的に見せた訳ではないようだ。

「で、結果はどうなんだ?俺は真の幸福を得られたのか?」

疑い続けても話は進まない。俺は、話題を本題の方に持っていった。

「はい、そうですね。貴方は完全なる幸福を手にしました。それはきっと、貴方の生活の中で実感するはずです」

声は、満足感が滲み出ているような声でそう言った。低い声に変わりはないが、どことなく明るい、そんな声だ。

「悪夢に関しましては、根っこから取り除きましたので、もううなされることもないでしょう」

人を安心させるかの様に出された声は、俺の心に心地よく響き、一気に安らぎを得られた。

「それでは、私の仕事は終わりました。貴方の悪夢、中々美味しかったですよ。ご馳走様でした。それでは良い夢を」

声がそう言うと、俺は一気に眠気に襲われ、死んでいくかのように眠りに落ちた。



「あら、何か良いことでもあったのですか?」

あれから一ヶ月。俺はなんとか大司教様が居ない期間も仕事をやってのけ、今まで以上に活気が出てきた。大司教様の方も、無事に仕事を終えられたようで、一ヶ月前までのように笑顔を見せてくれた。

「ん?何故です?」

大司教様が首を傾げながら聞いてきたのだが、俺には訳が分からなかった。

「いえ、少し笑みを浮かべていましたので」

笑みを浮かべていた?俺が?

「えっ?本当ですか?ど、どんな顔していましたか?」

動揺してしまい言葉がうまく出てこなくて、少し慌てた口調になってしまった。すると、大司教様はいつもよりオーバーにクスクスと笑い、

「それはとても、幸せそうな顔でしたよ。簡単に言うと、少しニコニコしていました」

と言った。そのあと、俺のニヤケ面を思い出したのか、口に手をやり、またクスクスと笑い始めた。

「そ、そんなに面白かったですか?」

あまりにも面白そうに笑うから、気になって聞いてみた。すると

「いえいえ、気にしないでください。幸福なのは何よりですから」

と、やはりクスクス笑いながら言った。

そうか、幸福そうかぁ。確かに、あの日以来悪夢は見ていないし、仕事も好調。信者さんも増えていく一方で、不安なことなど何一つ無かった。やはり効き目は抜群だったようで、俺は真の幸福を手にできたようだ。恐らく、俺のニヤケ面はそれが滲み出たものなのだろう。確かに、普通にしているのにニヤけていたら、笑ってしまうのも仕方がないであろう。その顔が面白ければ尚更だ。

「まあ、これからも頑張ってくださいね」

クスクス笑いから変わって、ニッコリとしたいつもの笑みを見せて大司教様はそう言った。


しかし、そんな日々もやはり儚いもので、呆気なく終わりを迎えるのであった。



なんの変哲も無い普通の日。俺は大司教様から呼び出された。呼び出しの口調がやたらと深刻そうだった。

「大司教様、何の御用でしょうか」

大司教様のいる一室に入っても、大司教様は机の一点を見つめるばかりで、中々口を開こうとしない。らちがあかないので俺の方から質問した。少し間を空けてから

「すいません、少し考え事をしていました。人を呼び出しておいて申し訳ないです。まあ、どうぞ座って下さい。お茶でも飲みながら少しお話しましょう」

と、机の上の茶を俺に差し出しながら言った。勧められたままにお茶を飲むと、俺は急に強い眠気に襲われた。意識が飛ぶ程に急に襲ってきたため、よく見えなかったが、俺が倒れるのを見て、大司教様が悪魔のようなニヤッとした笑みを浮かべていた気がした。



目を覚ますと、俺は冷たいコンクリートの床の上に横たわっていた。俺の周りには鉄の棒やら、コンクリートの破片やらが散らばっていた。意識がはっきりしてくると、そこが廃工場なのだということが分かった。何故こんなところにいるのか全く見当がつかなかった。

「誰、か…いま、せんか…」

事情を説明してくれそうな人は居ないかと、声を発してみたが、上手く声が出せない。喉に痛みを感じたので、そこに手をやると、恐らく誰かに踏まれたのだろう、土がこびり付いて居た。動きづらいとも感じたので、身体の方を見てみると、三本程のロープで縛られていた。

「だ…か」

もう一度声を出そうとするが、さっきより声が出しづらい。咳込んでしまうが、それをするだけでも喉の方に激痛が走る。

すると、カツッカツッ、と誰かの足音が聞こえてくる。足音はこちらへ向かって来る。こんな状況の中やって来るのは、どう考えたって助けに来た人ではないのだが、人が来た、という事実だけで俺は安心してしまった。だが、足音が近づくにつれ、俺の中で何かが疼くようになってくる。それがだんだんと強くなり、ビリビリとした電流として姿を現した。これが何のセンサーなのか、なんて考える余裕も無かった。ただ、近付いてくる足音と、それにつれて強くなる電流の感覚を感じるだけだった。

足音は、俺の近くまで来ると、ピタリとそこで止まった。だが、電流は強い力で俺を襲い続けている。足音の正体を見ようとするが、うまく顔が動かせないのと、周りが暗いことがそれをさせなかった。だが、その後、足音の正体は声を発した。

「お前は今までいくら奪った?」

声のトーンは低く、憎悪に満ちたような声だった。女性のものか男性のものかの判別もつかない。その声が俺に質問を投げかける。答えようとするが、声を出そうとすると激痛が走って、言葉を出す前に咳込んでしまう。

「うまく潰れたみてぇだな」

咳込む俺を見て、そいつはクスっと、気味の悪い笑いをした。その瞬間、俺から電流は消え去り、代わりに凄まじい量の殺意や憎悪がこみ上げて来た。だが、そのような感情か湧こうと、俺には何もすることが出来ない。ただ黙ってあいつの声を聞いているしか無かった。あいつは淡々とした調子で、だが憎悪の感情はそのままに喋り続ける。

「貴方は悪夢を忘れました。他人が感じた悪夢を。だから、今の貴方はとっても幸せなのです。貴方が奪っていった幸せの分、貴方は満たされました。貴方と関わった人には絶対に得られなかった幸せで」

そいつは感情が高まっているのか、だんだんと声を大きくして言った。まだ、話は続く。

「私はこれから事実を伝えます。貴方が奪ったもの全てについての」

淡々とした口調からは、俺が横たわっているコンクリートの床のような冷たさも感じられた。

「まず簡単に言います。貴方が今まで付き合った女性全てと、貴方が忌み嫌ったバスケ部の人、そして高山さんと加藤君が亡くなりました。貴方の悪夢の原因となっていた人達です。何故亡くなったかは分かりません。ただ、皆さん揃いも揃って、幸せそうな死に顔でした。まるで何かから解放されたかのような、澄み切った美しい死に顔でした。何故なのでしょう。こんなに若いうちからそんな死に顔をするだなんて。まあ、訳が分からない訳ではないのですが。貴方にはとっても心当たりのあることなのかもしれませんね。聞いたところだと、皆さん私生活がうまくいっていなかったようですよ。人付き合いがあまり良くなくて、いつも何かに怯えているような人も居たそうです。また、自己が確立出来ない人がほとんどで、社会に適応出来ないゴミになっていたそうですよ。この人達をそうさせたのは一体誰でしょう?間違いなく貴方ですよね。ちなみに加藤君は、精神不安定状態が悪化し続ける高山さんをこれ以上苦しませたくない、ということで心中したそうです。高山さんを壊したのは紛れもなく貴方ですよね」

そいつの話を聞いていると、まるで俺が全て悪いみたいな言い方をされているのに気付く。それは違う、と首を振ると、そいつは

「まだ気付かないとは、呆れました。貴方には見せるしかないようですね」

と言うと、近くにあった鉄の棒を手に取り、

「では、客観的に走馬灯でも眺めてきてください」

と言う。すると、一度上に振り上げた鉄の棒を俺に向けて、勢い良く振り下ろした。



「ねぇ、まだなの?」

公園らしきところで一人の女が男に向かって話しかけている。何かを待っている様子の女のことを、その男は無視し続ける。どんな理由があるのかは分からないが、何故か男は無視を続ける。

「ねぇ、答えてよ!どうなの?私のこと、どう思ってるの?」

女が感情的かつ攻撃的に話すと、男は一瞬間を開けた後、女に向かっていきなり殴りだした。すると女は泣き出し、男はそれを全く気にしないかのように何も言わず、道に唾を吐いてその場を立ち去った。


「ねぇ、そろそろ終わらない?私達、もう絶対続かないよ」

今度は別の女が、さっきと同じ場所で男に向かって話しかけている。女は、未練がましく手を握ろうとする男を、たかった蠅を振り払うようにその手を叩くと、

「残念だけど、もう諦めて」

と言ってその場を後にしようとする。すると、男はいきなり走りだし、女の前へ出ると、女に抱きつき始めた。女は抵抗するも、力では男に敵わなかった。倒れるように近くの茂みに隠れると、男は女の身体を弄び始めた。嫌がる女と、楽しむ男。その光景は、思わず俺が目を覆ってしまいそうなほど酷いものだった。

行為が終わった後、男は泣き出す女の肩を抱いて、

「もう逃がさねぇぞ」

と言った。



今度はある体育館の中のギャラリーで男と、もう二人の男が何やら言い合いをしていた。

「おい、なんで個人技ばっかりするんだ?」

相手方の一人がそう言うと、男は

「はぁ?テメェらが使えねぇからだろ?」

そう言い放った。納得がいかないのか、二人は

「それでミスしてんだからパスぐらい出せよ。いくら使えなくてもパスくらいできるんだから」

と、口を揃えて言った。

「味方に頼ろうとしないで負けたんだから、チームの負けじゃねぇよな?お前個人が負けただけだよな?」

そのうちの一人が続けると、男はいきなり呻きだし、二人に襲いかかった。一発殴っただけでは気がすまなかったらしく、倒れたところを更に殴り、二人の顔に青アザができるまで辞めなかった。

気がすんだのか、倒れている二人の前に立ち、二人を見下すと

「雑魚共は黙って床でも這ってろよ」

と言い、二人の前から消え去った。



「貴方は最低の愚者です。私が駆除します。では、さようなら」

今度は黒い影が男と何かを言い合っている。すると影はいきなり男に黒い棒状のものを持って襲いかかり、男の首元に当てた。男は何も言わずに、気を失い、その場に倒れた。影は男が倒れたのを確認すると、何も言わずに立ち去った。その直後、男に光の柱が落ちてきた。

(やっと死んだ)

俺はその光景を見て、心底安心した。安心してしまった。こんな奴は公害だ、いない方が良い、と思ってしまった。これが自分なのだと理解しながらも。だが、その俺はついこの間まで幸せそうに生きていた。人から奪い取った幸福を糧にして。美味な餌を貪っていた。自分が醜い姿であるとと知らないままに。

そういえば、俺はあの場面で、恐ろしいほど強い電流が身体に流れていた。今自分を見返すと、その答えが分かった気がする。

危険信号だったのだ。人を傷付けてしまいそうな時に起こるやつ。それが俺に働いていたのだ。それなのに、俺は今まで気付くことができず、人を傷つけ、幸せを奪っていたのだ。なんて最悪な人間なんだ、俺は。



目を覚ますと、先ほどまでと変わらない景色がそこにあった。やたらと冷たいコンクリートの床の上に横たわり、誰のものか分からない足を眺める。殴られたせいか、身体のどこにも力が入らない。それどころか、力が抜けきって感覚もない程だ。

「あら、目覚めたのですか。どうでした?貴方の生き様は」

俺の答えを試すかのようにあいつが聞いてくる。

「最…低…でした」

声があまり出せない上に、あいつの思い通りの答えを出すと言うことで、少々の苛立ちを覚えたが、そんなことを気にしてはいられなかった。

「それは良かった。ところで、貴方も分かったでしょう?幸福のためには何が必要かが」

あいつは、俺に教えでも諭すような口調でそう質問した。俺はその答えはとっくに見つけていた。分かったように頷く。するとあいつは

「分かったのなら良かったです。ですが、一応答え合わせです。答えは『他人の幸福』です。他人の幸福を奪い、自分の幸福に還元する。貴方がずっとやってきたことです。貴方が悪夢を消し去るためにやったことです」

と一気に喋る。その通りだった。あいつが言った通りだった。あまりにもぴったりと当てはまりすぎて、涙が出てくるほどだ。例えではなく本当に。俺の頰をつたる涙が、急にしゃがみ込んだあいつの手によって拭き取られる。

「罪人の醜い涙ですね。どうです?貴方は今、不幸を感じていますか?」

今までの低いトーンとは違い、澄み切った川のように綺麗な声であいつはそう聞いた。俺は力無く頷くと、あいつは俺の頭を撫で

「今こそ救いの時です。貴方の力をお貸し下さい」

と言った。顔の表情は見えなかったが、どこか微笑んでいるような、そんな声だった。その声の調子はあの人にそっくりだった。いや、もうあの人でしかないだろう。俺はあいつに向かって口を開いた。

「サ、サイリー…さ……


見るも無惨な姿になったことは言うまでもない。










「なんて醜い死に顔なんだ。欲に溺れていて、一見しあわせそうだが、未練やら未だ消えていない欲望やらが見える」

そう言うと、大司教は葉山の切り落とされた頭を更に切り刻み、顔も分からないような状態にし、遠くへと投げ捨てる。

「加藤の名において、我が息子たちの報復をここに」

残った胴体を踏み潰しながら大司教は語った。


いかがでしたでしょうか。何か心当たりがあった人もいたかもしれません。私にはそんなことない!って人もいたかもしれません。

幸せなんて人それぞれです。ただ一つ、私が言いたいことは、

自分が他人に絶対に譲れない幸せを持つこと

です。

奪われるような脆いものじゃないでしょう?貴方の持っているものは。

まあ、持っていない人が多い世の中ですから決めつけもしないし、強制もしないのですけど。

いつか、自分が大事にできるものを見つけて、精一杯守ってみてください。それはきっと大きな幸せになると思います。




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