07.夏休み【2】
「!」
千草は驚いて周囲を見渡す。眼を閉じて感覚を研ぎ澄ませるが、霊を感知することはできなかった。代わりに感知したものがある。結界だ。
「なんでこんなところに」
霊が突然掻き消えたのは廊下の途中だった。千草から見て左手に、物置がある。木の引き戸だ。千草は少し迷ってからその戸に手をかけた。結界は、この物置を覆っている。
定期的に掃除に入っているのだろう。物置の中は暗かったが、ちゃんと整理されていた。物置の中にある戸棚の一つに、千草の注意を引くものがあった。漆塗りの箱である。千草はその箱を手に取った。
「……何か入っているわね」
いや、箱だから何か入っていてもおかしくないのだが、入っているものから溢れ出す怨念がやばい。千草は誰も来ないのを確認し、その箱のふたを開けた。
入っていたのは数珠だった。数珠は呪具でもある。
おそらく、この物置に張られた結界がこの呪具の怨念を封じ込めている。もしもこの結界がなければ、この呪具の怨念が加代子の家を覆い、彼女たちはおかしくなってしまっていたかもしれない。怨念はそれだけで人を殺すこともある恐ろしい存在なのだ。
千草は箱を置き、二度柏手を打って呪文を唱える。陰陽師としては兄の方が優れているが、破魔の力は千草の方が強い。正確には、怨念は魔ではないのだが。どちらも千草には払えるので、同じようなものだ。
ある程度魔を払った千草であるが、次から次へと怨念が湧き上がってくるので、完全に払うことができない。
「これ、持って行ってもいいかしら」
貴人に見せたいところであるが、勝手に拝借するのは気が引ける。だが、ここに置いておくのもどうかと思われる代物である。
「……持って行くか」
覚悟を決め、言い訳を考えつつその箱を物置から持ち出した。
千草がトイレ(というか物置)に行っている間に、仏間には人が増えていた。加代子の祖母で、美津子さんとおっしゃるらしい。きりっとした自分の祖母とは違い、かわいらしいおちゃめなおばあさんだった。
「まあ。あなたが加代子のお友達? よくいらっしゃったわねぇ」
「え、ええ。千草です」
「千草ちゃんね。私は加代子の祖母よ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
今にもウィンクしそうな勢いでそう言われた。
「ところで、その箱は?」
美津子がついっと視線を千草の持つ箱に移した。あ、やばい。言い訳を考えないと、と思って焦っていると、貴人が助け舟を出してくれた。
「いい品ですね。千草はこういったきれいなものに目がありませんから、見ているうちにそのまま持ってきてしまったんでしょう」
さらりと嘘をのたまった。いや、確かに漆器などは好きだが、自分で買おう、集めようと思うほどには好きではない。眺めるので十分だ。しかし、話がこじれると面倒くさいので、千草は貴人の嘘に話を合わせた。
「すみません……パッと目に留まって」
「別にかまわないけど。久しぶりに見たわ、それ。夫の物なの」
美津子が懐かしそうに微笑む。夫の物。つまり、亡くなった加代子の祖父のものだということだ。
「懐かしいわね。それ、貸してくれる?」
「あ、はい。すみません」
頭を下げつつ両手で箱を差し出した。そんなに恐縮しなくても、と美津子は笑いながら箱を受け取った。彼女は箱のふたを開けた。
その瞬間、千草はよろめく。あふれ出る妖気に当てられたのだ。
「大丈夫?」
「う、うん」
さりげなく支えてくれた貴人にうなずいて礼を言う。箱の中に夢中になっている加代子と美津子は千草の様子に気づいていなかった。
「手紙? ラブレター?」
「あら。私があげた手紙と、写真ね」
加代子と美津子は楽しそうに箱の中身を物色している。どうやら、箱の中には手紙と写真が入っていたらしいが、それにしてもこの箱の中からあふれ出る妖気は何事なのだろう。
とりあえず、千草や貴人の周囲の妖気は彼女らの気に触れると霧散していくが、それだけで何とかなる量ではない。加代子たちがいるので、術を使うわけにもいかずに千草は悩んだ。ダメそうなら、貴人に結界を張ってもらおう。それか、瑠依を召喚して外から浄化してもらおう。完全に他力本願である。
「あら? この数珠は初めて見たわね……」
美津子が首をかしげながら手に取ったのは水晶を連ならせた数珠だった。見た目はきれいだが、とんでもなく『穢れて』いる。
もともと、円というのは始まりがなく、終わりがない。そのため、力が増幅されていくという考えがあり、それは事実であった。数珠も同じだ。そのため、この数珠はこんなにも『穢れて』いるのだろう。
美津子は数珠を手に取った。ああっ! なんでそれを何の構えもなく触れるの!? 千草は心の中でつっこんだが、霊力のない美津子と加代子は何も感じない様子。千草でさえ触れるのをためらうくらいの『穢れ』具合なのだが。というか、一般人が触ったらまずいタイプのものだと思う。
「貴人。どうしよう」
できれば、あの数珠を持って帰りたい。土御門邸なら、祖母が張った結界に護られているし、家の中は清浄だ。数珠の穢れも浄化しやすい。しかし、形見を貸してくれ、というのは常識外れにもほどがあるだろう。
「いい品ですね。玉は水晶でしょうか」
貴人が数珠を覗き込んで言った。美津子は貴人にも数珠を見せるように少し手を差し出す。
「そのようですね」
「よろしければ、よく見せていただいてもよろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
貴人の手に、数珠が渡る。貴人の清浄な気に当てられ、妖気は徐々に浄化されていっているが、それでも完全浄化はできない。やるには、千草が術を使用するしかない。そして、やるなら今だ。一般人である加代子や美津子が数珠を持っているときは、術に彼女らが巻き込まれてしまうかもしれないので手が出せなかったが、貴人が持っているのなら別だ。彼は千草などよりもよほど強いから、めったなことでは千草の術の影響を受けないだろう。
千草は加代子たちが貴人との会話に集中しているのを確認し、小さく印を切り、呪文を唱えた。最後にぱんぱん、と柏手を打つ。さすがにこれは加代子たちに気付かれた。
「どうしたの、ちーちゃん。もしかして、なにかいた!?」
「あー、えっと。仏壇に参ろうかと思って、その練習」
「ちーちゃん、意味わかんないよ」
うん。自分でもよくわからない言い訳だと思ったよ。悪かったね、はぐらかすのが下手で……。貴人も苦笑している。
しかも、よほど妖気が強かったのか、数珠の妖気が浄化しきれていない。破魔の力には定評のある千草なのに、何故だ。何となく負けた気がした。やはり、呪文をしっかり唱えられなかったからか?
仕方がない。帰る前に貴人に頼んでこの家に結界を張ってもらおう。加代子の様子を見れば、数珠がどうなっているかわかるだろう。妖気が強いものは、生きた人間にも影響を与える。加代子の祖父はそのことを知っていて、自分の死後、数珠がどうなったか気になって戻ってきたのだろうか。それにしては、何か違和感を覚える。
千草はぐりぐりと眉間を押した。
「ちーちゃん、どうしたの? 具合悪い?」
加代子が心配そうに尋ねる。千草は苦笑して首を左右に振った。
「いいえ。大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけ」
そう言えば、加代子は『そっちに行くな』という声が聞こえた、と言ってた。『危ない』というのは、妖気のこもったあの数珠のことだろう。では、『そっちに行くな』とはどういうことだろうか。
不意に、千草の脳裏に夏休みに入る前に起こった事件のことが思い出される。あれもある意味、『そっちに行くな』である。鏡を使って作られていたその道に踏み入ってしまうと、冥府に連れていかれてしまう。
もしかして、『道』が作られていたのかしら。
だから、『そっちに行くな』と言っていたのだろうか。そちらに行けば、冥府に落ちるから。
千草には『道』があるかはわからない。だが、可能性は高いと思った。
「……加代子のおじいさん、仏間でお経あげてたりしてなかった?」
「あー、うん。毎日してたよ。よくわかったねぇ」
「うん。うちの祖母も似たようなことをしてるから」
まあ、千草の祖母があげているのは祝詞であるが。似たようなもんだろう。
言葉には力がある。千草が使う術にも呪文がある。十二天将や瑠依などは呪文を使わずに己の意志だけで力を行使するが、普通の人間にはそんなことは不可能である。人間である千草と、神である瑠依とではその力の使い方が違う。
人間は誰かの力を借りないと、強い力を行使できない。
神は自身の神通力によって、強力な力を行使する。
千草も別の誰かの力を借りてその力を行使しているのだ。言葉は、その力を借りる方法の中でも最も簡単で、古くからあり、強力なものなのである。
同じ言葉を繰り返せば、その力は強くなる。毎日繰り返していれば、お経であろうとそれは人に力を与える。
千草は頼み込み、毎日加代子の祖父が読んでいたお経を見せてもらった。ぱらぱらとめくる。
そして、千草は見つけた。
「あ」
思わず声に出てしまった。加代子が「どうしたの?」と手元を覗き込んできた。
「や、封筒が……」
お経の本に挟まってた封筒を差し出すと、加代子は目を見開いた。
「何!? まさか、遺書とか!?」
「いや、さすがに遺書ではないと思うわ」
千草は冷静にツッコミを入れたが、加代子は聞いていなかった。
「まさか、じいちゃんが死んだのは老衰じゃなくて事故、いえ、殺人だったの!?」
「加代子、落ち着きなよ。殺人現場にあるのは遺書じゃなくてダイニングメッセージだよ」
遺書があるのは自殺の場合が多い、とは言わないでおいておく。
「……それもそうね」
千草のツッコミに納得したらしく、加代子はこくりとうなずいた。うむ。納得していただけたようで何より。
加代子は千草に渡された封筒を美津子に渡した。自分が開けるより、祖父の妻であった美津子が開けた方がいいと判断したのだろう。いい判断だ。
そして、中から出てきたのは――――。
「……お金」
「しかも、旧札……」
年若い千草と加代子はつぶやいた。貴人も苦笑している。そう。中から出てきたのは一万円札。しかも、現在出回っているものではなく、一代前の古いものだ。
まあ、まだ使えるし、銀行に持って行けば変えてもらえるだろうけど……。
「へそくりのようね」
美津子が落ち着いて言った。うん。これは、誰がどう見てもへそくり。ただ、男の人がやるのは珍しい。
と、千草の視界に再び先ほどの……加代子の祖父の霊が移り込んだ。心なしかがっくりしているように見える。あれか。へそくりが発見されたのが、そんなにショックか。
じっと千草が見ていることに気が付くと、霊は苦笑を浮かべた。お礼をするように軽く頭を下げ、その霊はすっと光の粒子につつまれて消えて行った。
「……」
とりあえず、霊はいなくなったようだ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
今更ですけど、山もオチもない話でした。