06.夏休み【1】
そんなわけで、新章です。
夏休みに入る直前、千草の友人である加代子の祖父が亡くなった。これが親であれば千草も葬式に行くところであるが、祖父だったので千草はお通夜のほうに出ることにした。ぼろぼろと涙を流す加代子に泣きつかれ、千草の制服はよれよれになってしまった。
そのまま夏休みに突入。大量の宿題を消化しつつ、遊ばなければならない。加代子とも遊びに行く約束を取り付けていた。千草の家に遊びに来るという約束だ。加代子とは高校に入ってからの友達なので、互いの家を行き来したことはないのだ。
「あ、ちーちゃん!」
夏場だというのに元気な加代子である。千草は少し夏バテぎみ。京都の夏は暑い。
「加代子、久しぶり。元気だね、あんた……」
「まあね!」
そう言って胸を張る加代子は、おそらくおめかししてきたのだろう。レモンイエローのワンピースと麦わら帽子が良く似合っている。対する千草は、タンクトップに日焼け対策用の薄手のボレロ、ショートパンツにサンダルというやる気のなさ。集合場所がいつも加代子と別れる駅で、目的地が土御門邸なのが原因である。
「ちーちゃんちに行くの楽しみ!」
「あー、うん。今日、私しかいないから、好きなだけ騒いでいいよ」
説明がめんどくさいので、貴人や天后たちには姿を見せないように言ってある。加代子は視えない人なので、よほど霊力を強めない限りは十二天将の姿を見ることはできないだろう。その点では安心している。
「ちーちゃんだけなの? 家族は?」
加代子がこくん、と首をかしげる。加代子の家は、母親が専業主婦であるらしい。それに、祖母もいるそうだ。そして、弟も二人いるらしく、常に家には誰かがいるらしい。土御門家とは正反対だ。
「お父さんは仕事。お母さんは今、出張でアメリカにいるらしい。おばあちゃんは東京に行ってくるって言ってたなぁ。兄さんは九州に発掘作業に行ってる」
「……なんかすごい家族ね」
「そう? 私はこれくらいが普通だと思ってた」
小学校に上がるまで、千草はこれが普通だと思っていたのだ。小学生の自分、恐ろしい。
「さみしくないの?」
「うーん。私はこれが普通だと思ってたし。たまに瑠依も遊びに来るし」
何より、十二天将がいる。千草の母は外国にいることが多いので、千草と兄は十二天将に育てられたも同然だ。
さらに、瑠依が時々遊びに来るのも本当だ。半分神である彼女がどんな生活をしているのかは謎であるが、たまにやってきて勉強を教えてくれたりする。千草は、彼女が話してくれる歴史の話が好きだった。兄もおそらく、千草と同じだったのだろう。だから、歴史学を専攻したのだと思う。
「へえ~。あたしだったらきっとさみしいなぁ」
加代子が感心したようにしきりにうなずいている。千草は苦笑してリビングに案内した彼女にとりあえず麦茶と菓子を出した。ちなみに、菓子は天后の手作りである。というか、彼女は普通に台所にいた。加代子には見えないようだったが。
「っていうか、この家結構古いよね……」
「たぶんね。江戸時代からあるって話だし」
「平安時代じゃないの?」
「さすがにそんな昔からはないわね」
加代子、未だに千草の家は安倍晴明に関係した家だと思っているらしい。まあ、事実なのだが。
そもそも、この屋敷はもともと土御門家が使っていたものではない。安倍晴明が住んでいたという屋敷跡は神社になっているし、土御門邸があった場所も安倍晴明を祀る神社が作られている。この屋敷は数代前の当主が占を行って決めた場所らしい。江戸時代末期からはこの屋敷に住んでいたそうな。
という話を披露してもよかったのだが、加代子のテンションが無駄に上がって根掘り葉掘り聞かれそうだったのでやめた。その話が事実かはわからない。ゆうに千年以上の時を生きている半神半人の知り合いはいるが、幕末の混乱時には東京にいたらしくて詳しいことは知らないらしい。微妙に役に立たない半神半人である。
お菓子をつまみながら楽しくおしゃべりをしていると、ふと、加代子の顔が曇った。千草は首をかしげる。
「どうしたの? あ、そろそろ帰らなきゃならない?」
「ううん……そうじゃないんだけど」
夏であるし、外はまだ明るい。少々遅くなっても大丈夫。どちらにしろ、十二天将の誰かに加代子を見送ってもらう予定だった。これなら絶対安全だ。
「ねえ、ちーちゃん。この家、幽霊ってでる?」
「……幽霊?」
加代子は心霊現象などの話が好きだが、今回はただの会話の話題、という感じではない。加代子は真剣だった。真剣にふざけた話をしているのではなく、まじめな表情だった。
「……でない、と思うけど」
正確には、強力な力を持つ十二天将や瑠依が出入りしているため、寄りつかないのだと思う。探せば付喪神くらいはいそうだ。霊ではないが、式神的なものは出る。
加代子は「そう……」ともの憂げにため息をついた。それから、「ちょっと聞いてほしいんだけど」と千草に話しはじめる。
「うち、幽霊が出るの」
「……そう、なの?」
「うん……最初は、勘違いかなって思ったの。でも、何度も同じ現象が起きるのよ」
「う、うん」
オカルト好きではあるが、一応、幽霊は非科学的であると認識しているらしい加代子に、千草はほっとする。本当に見える人でも、この時代にそう言ったそぶりを見せるのは危険だ。精神病院に連れて行かれる可能性がある。
中には非科学的な幽霊を科学的に研究している人間もいるが、まあ、それは少数派だろう。
「うち、ちーちゃんちほどじゃないけど、そこそこ広くて古い建物なの」
いわゆる古民家というやつらしい。昔は呉服店を営んでおり、そこそこ羽振りが良かった、というのが加代子の家であるらしい。
「死んだじいちゃんのお参りをしようと仏間に行くとね。いつも、肩をたたかれるの」
「……」
「それで、誰かいるのかなって振り返るんだけど、誰もいなくて」
「……」
「最近は、『そちらに行くな』っていう幻聴まで聞こえるように……」
「……」
千草にはそれが幻聴であるか判断できなかった。実際に経験していないからだ。
加代子はちらちらと千草を見ている。彼女が千草に言ってほしい一言は何か分かっている。ただ、そう簡単にうなずいていいものか。
「……ねえ、ちーちゃん……」
千草は腹をくくった。
「……今度、加代子のうちに遊びに行ってもいい?」
加代子はぱっと顔を輝かせた。
「うん! いつでも来て!」
千草の背後に姿を消して控えていた貴人がため息をつくのが聞こえた。
△
「まったく。千草は頼まれると断れないね」
「仕方ないじゃない。友達だし……」
頼りにされたら、応えたくなるではないか。千草は貴人と並んで歩きながらむくれた。
貴人は今、一般人にも見えるように人と同じ形を取っている。人型といえばいいのだろうか。
金髪碧眼の彼は、どう見ても日本人ではない。どこか北欧の方の人のようだ。がっつり日本語しゃべっているけど。ついでに超絶美形ぶりもそのままだ。
というわけで、ものすごく周囲の人の視線を集めている貴人だ。隣にいる千草はいたたまれない。千草は不細工ではないが、器量がいいわけでもない。フツーの一般人なのだ。……一般人とは言えないか。陰陽師だから。
貴人が金髪なので、兄弟には見えない。かといって、恋人同士にも見えないこの状況を、加代子にどう説明すればいいのだろうか。
電車に乗り、加代子の家の近くの駅まで行く。彼女の暮らす家は、京都市の外れにある。加代子は千草に気が付いて手を振った。
「ちーちゃん! よく……ええっと。どちら様?」
歓迎の言葉を述べようとした加代子は、貴人を見上げて首をかしげた。ニコニコと笑っている貴人を見て、加代子は少し頬を赤らめた。それくらい美形なのである。
「えーっと。こちら、知り合いのお兄さんで、貴人」
「初めまして」
「初めましてっ。加代子です」
見た目外国人っぽいのに、がっつり日本系の名前を言ってしまった……。幸い、加代子は不審に思わなかったらしい。鈍くて助かった。ちなみに、『たかと』は『きじん』を訓読みしただけである。基本的に、千草が十二天将を今風の名前で呼ぼうとすると、こんな感じである。
「加代子のうちで起こってる現象が気になるから、ついてきてくれたの」
簡単に言えば、彼はボディーガード。貴人は戦闘系の能力が低いが、そこらの人間よりも強いので大丈夫だろう。本当は瑠依に同行を頼めばよかったのだが、あいにく彼女は不在だった。どこに行ったのだろう。
まあ、瑠依が突然っ行方不明になることは今に始まったことではないので無視しておく。今は加代子の家の問題だ。
駅から加代子に案内してもらい、彼女の家についた。なるほど。確かに古民家だ。土御門邸ほどではないが、かなり大きい。というか。
「ねえ。何でうちってあんなに広いんだろ」
「さすがにそれはわからないね」
貴人がささやき声で千草にそう返した。もしかしたら、十二天将全員にあたって行けば、誰か知っている人がいるかもしれないが、そこまでして知ろうとは思わなかった。
「お母さん、ただいま」
「お邪魔します」
加代子と、ついで千草も玄関に出てきた女性に声をかけた。加代子に似ている彼女は、加代子の母親らしい。貴人も丁寧な口調で「お邪魔いたします」と言った。
うーん。見た目外国人なのに、中身が私よりも日本人っぽい……。
ひそかに千草はそう思った。
「まあ、いらっしゃい。加代子のお友達ね」
「土御門千草と申します。こちらは親戚の貴人」
親戚という割には似ていないが、まあいいだろう。またいとこくらいにしておこうか。それなら、似ていなくても不思議はない。
「よくいらっしゃったわねぇ」
おっとりとした口調で加代子の母は言った。ニコニコした加代子母はそのまま千草と貴人をリビングに案内した。加代子もより詳しい話をしたかったようで、それに続く。
麦茶と小さなお菓子を出され、千草と加代子は向かい合ってテーブルについた。貴人は千草の隣である。
「それで、何か感じる?」
早速加代子が身を乗り出し、千草に尋ねた。千草は「うーん」とうなる。感じるか、感じないかと言われれば、感じる。確実に、この家には何かがいる。
「あたしは寒気を感じるんだけど……」
「……夏なのにね」
加代子の言葉に適当に返事をする。霊感のない人間は、霊の存在を『冷気』として感じることが多いそうだ。
「それに、肩をたたかれて、『そっちに行くな』だけじゃなくて『危ない』って言われるようになったの……!」
写真たてがいつの間にか倒れてたりとか、絶対に揺れないような箪笥が揺れたりとか……と加代子は青ざめた口調で訴える。彼女には霊感のことを話していないはずだが、彼女は千草に何とかできると思っているのだろうか。まあ、いざとなれば全部貴人に押し付けてやる。
「……まあ、単に立てつけが悪いだけとかかもしれないよ。見に行ってみる?」
千草の提案に、加代子がうなずいた。貴人はそんな少女二人についてくる。
自分の家であるのに、加代子は腰が引け気味だ。千草の腕に捕まり、半分隠れるようにして案内してくれる。
「この辺り。いつも、この辺で声が聞こえるの」
「……」
加代子に示された部屋を見て、千草は思わずうなってしまった。隣を見ると、貴人も苦笑いを浮かべている。
仏間だった。
陰陽師である千草だから、仏教の知識もあるが、彼女はどちらかというと神学の知識の方が強い。貴人はほぼ神であるから、仏教の教えについては門外。
ピンチかもしれない。そう思いながらも、とりあえず亡くなられた加代子の祖父に冥福をささげる。
手を合わせていると、背後に気配を感じた。加代子に気付かれないようにちらっとそちらを見ると、男性の霊が立っていた。年は、千草の祖母と同じくらい……。たぶん、彼が加代子の祖父だろう。本当に出た。
しかし、彼の霊は声を発したり、人に触れたりするには力が弱い気がした。霊というのは、力が強いとさまざまな超常現象を引き起こす。つまり、声を発したり、人に触れたり、いたずらしたりとか、そう言うことだ。
逆に、力の弱い霊はそう言った現象を起こさない。ただそこに存在するだけだ。千草が言う幽霊の『力』は、おそらくその人物の生前の『霊力』の強さと、残した思いに影響するのだと思う。生前の霊力が強く、残した思いが強ければ強いほど、その死後に霊は強くなるのだ。
ちなみに、現世に未練を残さなければ、幽霊となって戻ってくることはない。
余談になるが、生前の霊力が強く、かつ、強く未練を残し、世界によって不条理に殺されたものの魂が、十二天将を生み出すらしい。この辺りはよくわからない。理解できない、と言った方が近いかもしれない。
まあ、それは関係ないのでいいだろう。興味があれば、今度調べてみればいい……。それはともかく、幽霊のことである。
祖父の霊が、何かを訴えている。声を発せないのだろう。口パクである。あいにく読唇術は使えないので、千草には何を言っているのか不明であった。
「……なんて言ってんの?」
加代子に気付かれないように、やはり霊に気が付いていた貴人に尋ねる。彼も小声で答えた。
「たぶん、『助けてくれ』じゃないかな」
「『助けてくれ』……」
助けてって、何から? それがわからないと、助けようがない。
すっと、霊が遠ざかって行く。しかし、消えるわけではない。遠ざかって行くのだ。千草は加代子を振り返った。
「ごめん、加代子。トイレ借りていい?」
「え? うん。案内するね」
「あ、いいえ。場所だけ教えてもらえれば」
「そう?」
加代子は不思議そうにしながらもトイレの位置を教えてくれた。千草は彼女に礼を言うと、遠ざかって行った霊を追いかける。もちろん、初めからトイレに行く気はなかった。
霊は振り返らずに進んでいく。足がないので、すべるように前進していた。そして。
突然、その姿が掻き消えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明日は投稿はお休みです。