04.学校の怪奇現象【4】
千草が自宅の土御門邸に帰宅したのは、真夜中になってからだった。特に睡眠を必要としない十二天将である貴人と天后は、千草の帰りを待ってくれていた。他にも十二天将らしき気配があった気がするが、千草が屋敷に入るとともに気配が消えた。
「ただいま」
千草の気配を察知して出てきたのだろうか。貴人が微笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「お帰りなさい。巫女神も、千草を送ってくださってありがとうございまず」
「いやいや。近所の好だよ」
瑠依は軽い口調でそう答えた。確かに、瑠依の家と土御門邸はご近所さんだけど。
「じゃあ千草。お疲れ様。今日はよく休めよ」
「うん。ありがと。お休み」
「ああ。お休み」
あっさりと、瑠依は土御門邸を去っていく。瑠依は神がかった美貌の女性だが、彼女のみの心配をするのは、空が落ちてくるのではないかと心配するのと同じくらい不毛である。
「本当に巫女神様が一緒だったんだね。ちょっと安心したよ」
「私、そんなに頼りない?」
「そうじゃなくて、千草は可愛いから。現代は物騒だからね」
ニコリと笑って貴人は言った。千草から言わせれば、昔の方がよほど物騒である。それに、貴人の言葉は「うちの子可愛い」と言っているくらい身内びいきだと思う。千草は顔立ちは整っているが、普通だ。少なくとも、かわいい系ではないない(と思う)。どちらかというと、美人系だ(と思う)。
「じゃあ、鏡の件は解決したんだ?」
「解決したというか、解決させられたというか」
千草は歯切り悪く答えた。貴人が小首をかしげる。千草は簡単にあらましを説明した。
「鏡に閉じ込められて、代わりにあの世の生き物が私に化けて外に出ちゃって。何とか鏡から出られたんだけど、その時扉を閉じるのを忘れちゃって……」
黄泉の化け物相手に、大立ち回りを演じてきたというわけだ。そんなわけで、とても疲れた。
「巫女神様が手伝ってくれたんだ?」
「手伝ってくれたというか、お膳立てしてとどめをさすように命じられたというか」
まさにそんな感じだった。人間の中では霊力の強い方に入る千草は、弱体化した黄泉の化け物を浄化するのは簡単だった。
「黄泉の世界ですか。また厄介なものが。ちなみに、扉は?」
「瑠依によると、冥府の役人が閉じたみたいだけど」
「ああ。なるほど。それもそうですね」
貴人が納得した様子を見せたので、千草は瑠依の話は本当だったのだと思った。瑠依を信じていないわけではないが、一人より二人の方が信じられる。
「そう言えば、黄泉の生き物が、瑠依に関して何か言ってたわ」
「何かとは?」
「えーっと」
不意に思い出したので言ってみたが、何と言っていたのかうろ覚えだ。唯一覚えているのは。
「役目を放棄した巫女神……だったかな」
「役目を放棄した……」
「うん。何か知ってる?」
尋ねたが、貴人は眉尻を下げてすまなさそうにした。
「ごめん。今の僕にはわからないよ」
十二天将には代替わりがある。今の貴人の前は、天女の姿をした貴人だったらしい。今の貴人になってすでに百年以上が経過しているらしい。
『今の』貴人にはわからないということは、それ以前の貴人ならわかったのかもしれないということだ。つまり、貴人より長い期間を『生きて』いる十二天将に聞けば、何か分かるかもしれない。
だが、よく姿を見せてくれる天后は、見た目は貴人より年上だが、実際には貴人より『生きて』いない。そもそも、十二天将の代替わりは数百年単位で、千年単位で生きている瑠依について、彼らは何も知らない可能性が高い。
「……とりあえず、シャワー浴びて、寝る」
「うん。それがいいね」
貴人に同意を示され、千草はとりあえずシャワーを浴びにお風呂に向かった。
△
一方の『千年単位で生きている』瑠依である。彼女は、本当に土御門邸の近くに住んでいた。一本分道の向こう側であるが、歩いて5分もかからない。
家は一軒家だ。今のところ、同居人は1人。
「遅かったですね」
「君、何してんの?」
「姫の帰りを待っていました」
同居人ではない赤の他人が、リビングのソファを陣取っていた。その姿は時代錯誤。現代では確実に浮いて見える藍色の小直衣をまとっていた。しかし、瑠依にはなじみ深い姿である。
「ああ、そう。そう言えば、私に代わって扉を閉じてくれたようだね。ありがとう」
「どういたしまして……黄泉の扉が開かれたことについてですが」
瑠依はピクリと眉を動かした。同居人が姿を現す様子はない。彼女はこの男が苦手なのだ。
この男。瑠依の感覚でもめったに会わない、冥府の役人。小野篁。
見た目はただの優男だ。長身で、瑠依が見上げるほどの背丈がある。藍色の小直衣がやや大きく見え、顔には柔和な笑みが浮かんでいる。
だが、この男、微妙に毒舌で微妙に天然なのだ。瑠依の同居人に言わせると、どちらかに統一しろ、とのことだった。
「姫。失礼ですが、お力が弱まってきているのでは?」
「本当に失礼だな」
そうツッコんではみたものの、瑠依は自身の力の衰えを感じていた。長い時を生き過ぎたのだろうか。いや、そうではないだろう。
本来の役目が、瑠依を呼び戻そうとしている。
瑠依は深く息をついた。役割はわかっている。だが、その役目を果たす気にはどうしてもなれなかった。
「正直、姫の力が弱まると困るのですよ。あなたのおかげで、現在は安定を保てているのですから」
「善処はするけど。あまり頼りにされ過ぎても困る」
確かに、この状況で瑠依が死ねばこの均衡が崩れる。いま、現世は危うい状況にあるのだ。その安定をかろうじて維持しているのが、瑠依の存在だ。正確には、瑠依の神通力であるが。
「おや。神代から生きている神が、音を上げますか」
「……わかってやってるだろ、君」
からからと笑いながら言ってのける篁に、瑠依はため息をついた。瑠依は確かに長生きだ。長生きというレベルではないほど生きていて、正確な年齢は本人にも不明だ。だが、さすがに神代から生きてはいない。瑠依は半神半人で、神ではない。
「いいえ。あなたは神ですよ」
「人の心を読むな」
「表情に出ています。というか、あなたは人ではなく、神です」
「しつこい」
だが、篁が言うことは事実なのである。瑠依は人間であることを望むが、彼女の能力を考えると、彼女は神でしかありえない。少なくとも、人々は彼女を神としてあがめるだろう。
「まあ、それはともかく。最近、黄泉の扉がよく開くと思いませんか?」
「ああ……まあ、な。封じが弱くなってきているんだろう」
さらりと瑠依は答えた。篁は肩をすくめる。
黄泉の入り口、黄泉平坂は千曳の岩が守護している。なら、出口は誰が守護しているのだろう。
「私たちは、確かに黄泉の扉を閉めることができます。ですが、それだけなのです。それを、お忘れなきよう」
「わかっている。だが、鍵をかけようにも、今の私にはできない」
今の、というか、その力を持っていたのは、正確には瑠依ではないのだ。
もう遥か昔のこと。その力を持っていた女性は、とっくの昔に亡くなっている。
おそらく、釘を刺しに来ただけだったのだろう。黄泉の扉が開くと、冥府も困るから。正直、こんな話を自分にしに来るなというところだが、こんな状況になったのは半分自分のせいだという自覚もあるので、瑠依は仏頂面になっただけで何も言わなかった。いつも微笑んでいる彼女が、こんな表情になるのは珍しい。
「さて。私は帰るとします」
「ああ。とっとと帰れ。そして二度と来るな」
柔らかい表現の言葉を多用する瑠依にしては、かなりとげとげしい言葉である。昔のことを思い出したので、昔に立ち返ってしまっているのかもしれない。
「そう言えば、ずっと聞きたかったんですけど」
立ち上がった篁は、行きかけて途中で振り返った。瑠依は返答せずに水を飲みに台所へ向かう。
「どうして、あなたはこんな大変な道を選んだんですか?」
その言葉を聞いて、瑠依はその切れ長の目で彼を睨んだ。
「……何を聞いた」
「やだなぁ。冥府の役人の中では、結構有名ですよ」
「……そのうち、文句を言いに行こう」
さすがの瑠依も、冥府には行ったことがない。まだ死んだことがないから。
「それで、なんでですか?」
「……助けられなかったからだな。たぶん」
「たぶん?」
「決めたのはずいぶん昔のことで、もう覚えていないよ」
10世紀以上前の話をもう覚えているはずがないではないか。そう言って、瑠依はごまかした。
「そうですか……残念です。思い出したら、是非教えてください」
「思い出して、君に会うことがあったらね」
「それもそうですね」
納得して一つうなずき、篁はその姿をくらました。瑠依はその消えた方を見ながら、つぶやいた。
「……合わせる顔がないんだよ。死んだら、会わなければならないじゃないか」
だから、死ぬ、という楽な道を選べない。
死んだら、黄泉に行かなければならない。会いたいけど、会いたくないあの人に会わなければならなくなる。
瑠依がこの現世にとどまり、人間に手を貸し、均衡を保っているのは、ひとえにあの人が人間を、この世界を愛していたからだ。守れなかったことの罪滅ぼしとして、瑠依は自分ができるだけ、この危うい世界を護りたかった。
「後悔、後に悔いるとは、よく言ったものだな……」
瑠依は一度目を閉じ、開いた。その目は、目の前のものを映しておらず、どこか遠くを見ているようだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
冥府といえば小野篁。というのは、私だけだろうか……。小野篁は実在しますが、瑠依は私の創作上の神です。ちなみに。