34.玉依姫【5】
人死にの描写があります。苦手な方は回避してください。
自らの本体である剣を右手に、瑠依は舞い踊る。かつて、日本神話で天岩戸に隠れてしまった天照大御神を誘い出すために、岩戸の前で天鈿女命が舞い踊ったのだと言う。それが、神楽の起源だという説がある。
瑠依は神だから当たり前だが、神々しいまでの美しさだった。彼女の周囲でほのかに光る球は、この世に残っていた人々の魂だ。瑠依の御霊送りに便乗し、黄泉に向かおうとしているのだろう。
玉華との遭遇から二日後。あの時のメンバーに加えて千秋と由良も動員して各所で瑠依の舞を見守っている。
千草は、透哉、勾陣とともにいた。場所は橋の上で、河原で堂々と舞う瑠依を見下ろす形になっている。
「剣舞っていうのかしら。きれいね。榊とか鈴とか扇とかを持つのが主流だと思っていたけど」
身を乗り出しながら千草が言うと、勾陣が「それは間違ってはいないな」とうなずいた。
「通常は、それらを持つことが多い。しかし、巫女神様は戦神だからな」
「ちなみに、今の瑠依と勾陣が戦ったら、どっちが強いの?」
「巫女神様だ」
即答された。すごいな、瑠依。
千草は橋の塀に腕を乗せ、瑠依を見下ろしながら腕に顎を乗せた。
「生きるのに疲れた……って、どういうことなんだろう」
「そのままの意味だろう。俺も、何で生きてるんだろうって思ったことがあるから、巫女神様の気持ちがわからないわけではない」
透哉が千草と同じく瑠依を見下ろしながら言った。千草はちらりと透哉を見て、彼が生きていてよかったな、と思った。
「長い時を生きるということは、何度も同じことを繰り返しているのに等しいからな」
勾陣も透哉の肩を持つように言った。千草は視線だけを勾陣に向ける。
「勾陣って、どんくらい生きて……存在してるの?」
確か、祖母の木綿子が代替わりを見た、と言っていたので、おそらく半世紀くらいだろうと思うのだが。
「私はまだ、千草の親と同じくらいの年数しか存在していないな。だが、先代勾陣は千年近い時を存在していた」
「……十二天将の代替わりって、数百年ごとに行われるって聞いたけど」
千草が口をはさむと、勾陣は「そうだな」とうなずく。
「だから、先代勾陣は十二天将の中でもまれにみる長寿だった。だが、その長い時の中で、彼女は少しずつ狂っていき……最後には暴走した」
勾陣が胸元に手を当てるのが見えた。
「そして、騰蛇に討たれた」
「……引きこもりの?」
「そう」
千草が思わず尋ねると、勾陣はその通りだと返した。透哉がやや引き気味に「引きこもりなのか……」とつぶやいている。
「暴走した先代を止められたのは、それこそ巫女神様か、十二天将随一の力を持つ騰蛇しかいない。騰蛇は身内の不始末は身内がつけると、先代を討ったそうだ」
伝聞なのは、現在の勾陣が先代勾陣が消滅してから生まれたからだ。十二天将の中には代々の記憶を持つ者がいるらしいが、勾陣はその中の一人らしい。
「これがあって、騰蛇は引きこもりになったらしいが」
「……そうなの」
なんか、何とも言えない理由だ。今どきの若者か。
「とにかく、長い年月は、心を狂わせる。たとえそれが十二天将であっても、神であっても」
十二天将も、半神半人である瑠依も、神でもあるが人間にも近い。そのため、その心は不安定なのかもしれない。
ざあっと風が吹いた。生ぬるい、黄泉の風。死者の空気。
いつの間にか、河原に影の数が増えていた。
「まさか、こんなあからさまにおびき出されるなんてねぇ」
感慨深そうに玉華は首をかしげた。舞をやめた瑠依が彼女に向き直る。
「出てきてくれて感謝するよ、姉上」
「せっかく呼ばれたんだから、出てこない手はないわ」
会話を聞きながら、千草は印を切る。パン、と柏手を打った。ほぼ同時に、少し離れたところにいる木綿子と千秋も柏手を打った。
「還られませ、還られませ。怒れる魂よ、安らぎの元へ還られませ」
文言を繰り返す。瑠依の御霊送りはあくまでおとり。本当に玉華を送り出すのは陰陽師である千草たちの仕事だった。
「人間ごときの術が、私に効くはずないでしょ」
傲慢な言葉だった。時々、瑠依もこれに近い発言をするが、玉華のこの言葉は完全に相手を侮っていた。
玉華が両手で持った鏡が光った。ぷつん、と糸が切れるような感覚がして、千草がよろめいた。透哉が千草の肩を支える。
「っ! 術が切られた!」
「まあ、仮にも巫女神様の姉君だからな」
透哉が嫌に冷静に言った。いや、確かにその通りなのだが。勾陣が塀に手をかけ、今にも飛び出していきそうになるが、しかし、彼女に与えられている任務は千草の護衛であるので踏みとどまった。
「じゃ、直接攻撃はどうだ!」
千草は矢をつがえて弓を引き、破魔矢を放つ。だが、それは鏡に吸収され、打ちかえされた。あの鏡、物理攻撃のはねかえせるのか!
「そんなの反則!」
「何言ってるんだ!」
透哉がツッコミをいれつつ塀に足をかけた。千草も彼に続いて橋から河原へ飛び降りる。最後に勾陣が続いた。透哉と勾陣が刀と剣で玉華に斬りかかる。しかし、障壁によって防がれた。瑠依は紫蘭に引っ張られてさがっている。言い合いをしているようだが、よく聞こえなかった。
再び千草は柏手を打つ。木綿子と千秋もそれに合わせて手を打ち鳴らした。
「還られよ、元いたところへ!」
呪文と言うより、願い。思い。人間の不幸を手助けする玉華は、悪いが現世に存在されては困るのだ。
「姉上!」
はっきりと聞こえた。瑠依の声だ。その声に全員が気を取られた。
次の瞬間、千草を妙な感覚が襲った。何も、感じない。虚無。これは、瑠依の力だ。
「姉上。私たちの時代は、もう終わった。私が間違っていた。あなたを神に奉るなんて、するべきではなかった」
それは、懺悔であった。玉華がふん、と鼻で笑う。
「そうね。鬼になった私をあのまま殺してくれれば、私も雪莉と同じところに行けたのに。……まあ、結果論だけど」
実際には、雪莉の方が先に存在をなくしてしまったので、玉華が言うように結果論にすぎない。それでも、子の側に居たいと思うのが母親なのだろうか。
「私は、確かにまだ生きていたいと思った。でも同時に、生きることにも疲れた」
瑠依は、出雲で、確かに生きるために死力を尽くした。なのに、生きることにつかれたと言うその矛盾。
だが、その矛盾が彼女の人間らしさなのかもしれなかった。
「ねえ、姉上。私は、身内の不始末は身内がつけるべきだと思うんだ」
「あら。力の半分以上をそがれたあなたが、今の私に勝てるとでも?」
「忘れていないか? いくら力がそがれていようと、この空間は私の支配下だ」
その通りだ。瑠依の支配下にあるのだから、もちろん、彼女の力が最も高まる空間であるのだ。
いくら神としての力がほとんどなくても、瑠依は強い。戦神だ。
だから、負けるはずがないと思った。
なのに、結果は相打ちだ。相打ち、と言っていいのだろうか。玉華の鏡を貫いた瑠依の剣が、自身の胸を貫き、その衝撃で刀身が半分に折れていた。玉華の鏡も瑠依の神通力に耐え切れずにひびが入る。
どうして、どうしてこうなった。手を出すすきがなかった。一瞬の出来事だった。
「る、瑠依」
千草は名を呼んだ。強い力を込めて。でも、この空間はまだ瑠依の力に支配されていた。千草の力は彼女に届かない。
「佳夜明姫!」
真名を呼ぶ。彼女が反応した。血のつたう口元に笑みを乗せ、唇を動かした。
ごめん。
そう言っていた。
「馬鹿! 生きるって言ったのに!」
どこか満ち足りた表情で、長い間離れ離れになっていた姉妹はともにくずおれた。
△
「紫蘭さん……何とかできないの?」
二人分の遺体……玉華の方はすでに肉体が崩壊して白骨化しているが、それを見下ろしながら千秋が尋ねた。
「……無理だ。死んだものを生き返らせることは、この世の理に反する」
何度も聞いた言葉だ。だから、黄泉から逃げてきた玉華をそのままにしておくこともできなかった。
二人の魂はどうなったのだろう。転生の輪に戻ったのだろうか。だとしたら、また出会えるかもしれない。
「巫女神様は、最初から玉華と共に死ぬつもりだったんだろうか……」
つぶやきは、透哉のものだ。今となっては、誰にもわからないことである。
生きたいと言った。でも、生きるのに疲れたと言った。どちらも、瑠依の本ね。神の言うとおりに死にたくはない。だけど、生きるのには疲れた。勾陣が言ったように、長い時を生きるには、人間は弱い。瑠依は、半分神だったけれど。
こうして、瑠依はその長い一生を閉じた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次の終章で最後になります。
当初、プロットの段階では瑠依は死ぬ予定ではありませんでした。でも、『神がおわす場所』を書いているとき、「あ、こいつ、生きるのに疲れてるな」と思ったんです。そして、この最後。
たぶん、紫蘭は瑠依が生きるのに疲れていることに気づいていて、彼女を死なせたくなかったから子供を拾ってきて面倒を見させていたんだと思います。面倒を見ている間、死ぬに死ねないですから。




