33.玉依姫【4】
「まあ、どうしたのですか。と言うか、どちら様ですか?」
木綿子が帰宅してすぐに言った言葉である。彼女は鏡から出現した妖を退治しに行っていたのだ。千草と透哉はともかく、瑠依と紫蘭が邪魔している。ついでに言うなら、紫蘭と木綿子は初対面である。
「あ、おばあちゃん、お帰りー」
「ええ……ただいま」
戸惑い気味の木綿子だ。まあ、無理もないだろう。
「お邪魔しているよ、木綿子。ちなみに、こちら私の連れ合いで医術の神の紫蘭。真名は私も知らん」
瑠依がさらりと言った。連れ合い、と言うところは認めるんだ。
「初めまして、土御門の当主よ。紫蘭と呼んでくれ」
「お初御目文字仕ります。紫蘭様。土御門木綿子と申します」
とりあえずこれで自己紹介は終わった。木綿子がすぐに切り込んでくる。
「姫。今日の妖大量出現ですが……」
「ああ、ごめん。うちの姉のせい。十二天将たちが出払っているのは、そのせい?」
「そうですね。留守居役に貴人を残しただけです」
「そっか」
瑠依はうなずいて、部屋の隅に控える貴人をちらりと見た。彼以外の十二天将は、自称平和主義者の六合までが出払っている。ちなみに、千秋もいない。
「姉は……面倒だから名前を伝えておこうか。玉華と言うんだけど、彼女は私が神の力を切り捨てた時に黄泉に堕ちたはずなんだ」
瑠依が姉……玉華を奉っていた力は、神の力に起因するのだと言う。それが無くなったため、すでに死んでいた玉華の魂は黄泉に堕ち、輪廻の輪に戻ろうとした。だが。
「なまじ、力が強かったから出てきちゃったみたいだね」
「……そんな、何でもないようなことみたいに」
千草が指摘するが、瑠依はけだるげに笑うだけだ。
「実際、何でもないことなんだよ。だって、彼女を黄泉につれ戻すのは簡単だもの」
「……簡単?」
「ああ。私が、一緒に連れて行けばいいんだよ」
「……」
それは、瑠依が玉華を連れて黄泉路を下ると言うことだ。彼女は、戻ってこられなくなる。
「無理やり黄泉に落としても、姉は納得しないだろう。姉には、私が千八百年にわたって与え続けた神通力がある。私ほどの力はないはずだけど、私には、彼女を無理やり殺すことはできないから」
瑠依は膝に肘をつき、頬杖をついた。だから、彼女は姉を殺すことをためらったのだ。
「あの人は、巫女神様のように本体が別にあったりしないのか?」
透哉が尋ねた。瑠依は首を左右に振る。
「ないよ。あの人は、ほとんど人間だから」
だから、玉華は約千八百年前に人間たちに殺されたのだろう。紙ならば、そう簡単に死んだりしないと思う。瑠依はため息をついた。
「で? 紫蘭が得てきた情報って何」
瑠依が話を紫蘭に振った。ふらふらといなくなったと思ったら、情報収集をしていたらしい。何でも、紫蘭は戦闘能力があまり高くないため、実行は瑠依、情報収集は紫蘭、と昔から分かれていたらしい。昔からって、いつからだろう。
「遭遇したと聞いたから、黄泉から逃げ出した死人が、瑠依の姉であると言うことはわかっていると思う」
ちなみに、紫蘭も瑠依の姉の名をこの時初めて聞いたそうだ。瑠依、どれだけ秘密主義者なんだ。
「その逃げだした死人が、『玉依姫』と言うゲームを行った人間の恨みを晴らすのに力を貸しているようだ」
「……」
瑠依が無言で頭を抱えた。何か強い力が関わっているのだろうという話はしていたが、本当にかかわっていた。
玉華は、妹である瑠依の神通力により奉られ、神となっていた。その力を使っているのだから、瑠依の力で人々に害をなしているも同然なのだ。
春樹が言っていた玉依姫と言うゲーム。そのゲームを行うと、呪われた対象である人間は、数日のうちに何らかの不幸に見舞われると言っていた。今まですっかり忘れていたが、そんなことを言っていた気がする。
車に惹かれたり、足を踏み外して階段から落ちたり、病気が見つかったり。ただの偶然だと思えるようなことも、偶然ではなく玉華が干渉した結果だとしたら。
「……姉は神としての力は弱いけれど、性質としては人間の『生』に関するものをつかさどっているんだ」
瑠依は、どちらかと言うと『死』に近い。だから、姉である玉華は『生』なのかもしれない。
「人の『生』とつかさどると言うことは、運命に干渉することができるんだよ……なるほど」
瑠依は軽く首を左右に振った。木綿子がひとつ、うなずいた。
「なるほど。何となく話は理解いたしました。それで、姫の姉君をなんとかすればよろしいのですね」
「……まあ、そう言うことだね」
「姫ができないと言うのなら、私がやります」
「……うーん。人間って、強いよね」
瑠依が苦笑気味に言った。木綿子は毅然として言った。
「人間が生きられる時間は短いのです。ですから、その時間を精いっぱい生きようとする。だから、強いのですよ」
瑠依と紫蘭が顔を見合わせた。千八百年にも及ぶ時を生きている二人。人間の言葉を聞いて、何を思うのだろうか。
瑠依は、もう一度言った。
「本当に、強いね。人間は……」
だから、神がいなくても大丈夫だと、そう言っているように千草には聞こえた。
△
さて。玉華が人間の不幸に手を貸しているとわかった以上、早急に何とかした方がいいだろうと言うことになった。ちなみに、妖討伐に行っていた勾陣が帰ってきていたので、『道』を作る能力で何とかできないか聞いてみたが、無理、との返事が返ってきた。
「え、なんで?」
「私の『道』と『運命』は違う。私が干渉できるのは、人間の精神的な部分であって、運命ではない」
ある意味一番恐ろしい能力を持っている戦闘狂の十二天将はさらりと言って否定した。アレだ。彼女は、玉華討伐の際に連れて行けばいいのかな。
方針としては簡単だ。勾陣の力は使えなくとも、玉華を黄泉に送り返せばすべてを終わる。もう一度彼女を殺すのもありだし、御霊送りを行うのもありだろう。陰陽師的には後者を選びたいところだ。
問題は。
「どうやって玉華さんを見つければいいのさ」
これである。瑠依の側にいればまた出会える気がするが、それでは後手に回ってしまう。
「『玉依姫』のゲームをすればいいんじゃないか?」
「私らで? そんなに呪いたい相手なんていないわよ」
透哉の意見に、千草は首をかしげて見せた。透哉も「確かにな」とうなずく。
「私が父親を呪ってもいいけど」
「瑠依の父親って、建御雷神じゃない。呪い返しにあうだけだよ」
千草に冷静につっこまれ、瑠依は肩をすくめた。透哉の意見はいい線をついていると思うのだが、何分実行が難しかった。
「わざわざゲームをしなくても、初依がおびき寄せればいいだろう」
紫蘭がついにツッコミを入れた。まあ、確かに瑠依さえいればいつでも玉華は現れるような気もした。
「じゃあ、私がこれ見よがしに御霊送りをしてみようか」
瑠依が言った。完全におとりである。これには木綿子が驚きの声をあげた。
「姫。御霊送りなどできるのですか?」
「失礼な。できるよ。一応巫女なんだから」
これで千草の母である元巫女の絢音がいれば、彼女に神楽を任せるのだが、彼女はまだ海外だ。今はシンガポールにいるらしい。
「そう言えば、大文字の送り火の時、やってたもんね」
透哉と初めて会った時のことを思いだし、千草はうなずいた。うん。確かに、あれは瑠依が魂を送り返していた。
「勾陣も連れて行くといいんじゃない? 巫女神様と能力的に近いはずだから、役に立つでしょ」
勾陣の『道』をつなげる能力と、瑠依の沈黙と静寂の能力の性質は近しい。同系統の力であるので、同時に使えば相乗効果が生まれるかもしれない。ちなみに、意見した貴人は紫蘭と能力が近い。
ある程度作戦が固まったところで、千草はふと言った。
「玉華さんが悪くないとは言わないけど、でも、あの人、昔、一人で玉依姫頑張ってたんでしょ。それなのに人間たちに裏切られて、大切な人を殺されて、恨む気持ちもわからなくはないわよね」
瑠依は、玉華は神より人間に近いと言った。その彼女が、人間に絶望した。千草は、玉華の気持ちが何となくわかるような気がした。
「きっと、玉華さん、一人でさみしかったんだよ」
テーブルに頬杖をついて言った。瑠依が目を伏せて言った。
「一人でさみしかった、か」
誰も、彼女と近しいはずの紫蘭ですら何も言わなかった。ただ、視線だけが彼女の方に集まっている。
「私はね。自分は人間だと言いながら、自分が神に近い性質だとわかっていた」
瑠依はそう言って目を開いた。穏やかな口調だった。
「だから、私は姉の気持ちがわからないのだと思う」
人間を軽く見た神に対して怒りを見せた瑠依。だが、その彼女は玉華の気持ちはわからないのだと言う。
「姉が、一人で玉依姫と言う職務を行っていたことが、さみしいことなのかはわからない。だけど」
瑠依はため息をつくように言った。
「私は、もう、生きるのに疲れた」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次でこの章終わりなのに、まだ書きあがってないよ、どうしよう。




