31.玉依姫【2】
年が明けてしばらくすると、だんだん三年生は受験モードに入っていく。大学を受験するらしい瑠依もさすがに勉強をしている。数学や英語などはともかく、社会科や理化学は内容が変わっていることが多く、長すぎる時を生きる瑠依には苦しいようだ。それでも理化学がやりたい瑠依は勉強している。ちなみに、成績は上位をキープしている。
千草が試しに大学受験は何回目? と聞いたら、五回目、と言われた。マジか。嘘かどうか、ちょっと判断がつかない。
「ちーぐさっ」
「おわっ」
背後から抱き着かれた千草はバランスを崩す。同じ家に住んでいるから当たり前だが、一緒に下校しようとしていた透哉が千草の体を支えた。
「ありがと……もうっ。加代子ったら突然飛び着いてこないでよ」
千草が背後から抱き着いている加代子に向かって言うと、彼女はへへへ、と笑った。
「ごめんごめん。二人とも、仲いいねぇ」
と加代子は千草と透哉を見てにまにまする。千草は冷静に「一緒に住んでるから、仲よくせざるを得ないんだよ」と答えた。透哉も大きくうなずいた。
「あのさぁ。近所にクレープがおいしい店ができたらしいんだけど、食べに行かない?」
加代子が千草と透哉に話しかける。千草が透哉と一緒にいることが多いので、加代子も含めて三人でいることが多くなっている。
「クレープかぁ」
ちょっと心惹かれる。だが、透哉はバッサリ切り捨てた。
「俺はいかない。二人で楽しんで来い」
「言うと思ったわ」
透哉は甘いものが苦手なのだ。多少は食べられるらしいが、以前、生クリームたっぷりのケーキを食べさせたら、吐いた。シフォンケーキとか、甘さ控えめのチョコレートケーキとかなら食べられるらしい。
だから、彼の反応は当然だ。
「じゃあ、ちーちゃん。一緒に行きましょうよ」
加代子が千草の手を取った時、透哉が「おい」と声をかけてきた。
「何よ」
千草が睨みあげると、透哉は校門のあたりを指さした。
「あれ、紫蘭さんじゃないか?」
ばっと千草は校門の辺りを見た。女子生徒が固まっている辺りに、背の高い髪がかった美顔が見える。
「ほ、ほんとだ」
あれは見間違えようがない。間違いなく紫蘭だ。だが、その整った顔に釣られた女子生徒たちが周囲にいるので、巻き込まれたくない。
千草は透哉と目を見合わせる。
「よし、わかった。私は見つからないように通り過ぎるから、透哉、頼んだ」
「おい。何丸投げしようとしてるんだ!」
透哉が怒った。彼は、紫蘭が苦手らしい。何となく、性格が似ているからだろうか。
「えっと。そんなに嫌な人なの?」
加代子が首をかしげた。いやではない。面倒くさいのだ。確実に何かに巻き込まれる。だからこっそり通り過ぎようとした。しかし。
「待て、千草」
何故ピンポイントで千草の名を呼ぶのか。透哉でもいいじゃないか。千草と言う名の人間がそうそういるとは思えないので人違いです、とは言えない。仕方なく、千草は紫蘭の方を向いた。
「久しぶりね、紫蘭さん……」
「まだ三か月程度しかたっていないだろう」
「……」
なんかこの辺、瑠依と同じだ。二千年近くの時を生きる彼らにとって、三か月程度では久しぶりではないのだ。
「瑠依ならいないけど」
千草は先にそう言った。紫蘭が眉を吊り上げる。
「何故だ」
「だって、三年生が午前中だけで放課だもん」
この時期になると、三年生の授業などあってなきがごとした。もう少したつと、学校には自由登校になる。瑠依は午前中の授業だけですでに帰宅しているはずだった。
「瑠依んちに行けばいいのに、なんで学校に来るの?」
「あれの家がわからん」
やっぱり、紫蘭と瑠依の付き合い方がよくわからない。
「気配探ればいいじゃん」
「今のあれの気配は探れん」
ああ。今、瑠依の気配を探るのは大変かもね。いつもは駄々漏れの神通力がほとんどないから。
つまり、千草に案内しろと言うことだ。千草は透哉に鞄を預け、彼と紫蘭の手首をつかんだ。
「加代子っ。ごめん! やっぱり帰るわ~」
「う、うん」
近くで見た紫蘭の美貌に圧倒でもされていたのだろうか。加代子が動揺気味にうなずいた。千草はそのまま走り出す。引きずられる男二人。校門から見えない角を曲がったところで二人を解放する。
「っていうか、ここまで来たんならうちまであと少しじゃん! 瑠依んち、うちの近くだよ!」
千草がツッコミを入れると、紫蘭は「そうか」とうなずいた。
「あれがこちらに越してきてからあったことがないからな」
「マジで? 瑠依っていつから京都に住んでるの?」
「さあなぁ」
紫蘭が首をかしげている。生まれは出雲で、東京にもいたことがあるらしい。謎の多い女、瑠依。
「学校はよくわかったね」
「京都で一番の進学校と言えば、ここらしいからな。そうしたらお前たちの気配があったから、待っていた」
「……紫蘭さん、実は探査系の術苦手でしょ」
千草のツッコミに、紫蘭は視線を逸らした。図星かい! 考えてみれば、出雲でだって彼は近くに瑠依がいるのに、自分の本体である勾玉を持っていた千草の所に現れた。あれは、自分の探査能力に自信がなかったからか!
まあそれはともかく。千草は透哉を見上げた。
「巻き込んでごめーん」
「謝っている態度じゃないけど、別に気にしてないからいい」
「透哉って結構心広いよね」
「まあ、土御門家に住んでいれば、自然と悟りを開けると言うか」
「どういう意味だ」
まあ、確かに普通に十二天将がいたりするし、兄と父は変人だし、祖母は半分妖怪だし、否定できないかな。
ちなみに、最近、勾陣がよく姿を見せてくれる。戦闘狂であることをのぞけば、穏やかな性格の姉みたいな存在である。最近、彼女に琵琶を習っている。
って、それはどうでもいい。勾陣の存在が土御門邸の変質具合をあげているのは事実であるが、今は関係ない話だ。
土御門家のある路地の一本手前を曲がれば、すぐに神藤家、瑠依の家だ。千草は迷わずにチャイムを鳴らす。中から「はーい」と声が聞こえてきた。がちゃっと玄関が開く。
「……珍しい組み合わせだね」
玄関を開けたのは瑠依だった。一番手前にいる千草から透哉に視線を移し、最後に紫蘭を見ての言葉である。まあ、彼女でなくてもそう言うだろう。
「紫蘭さんが、瑠依の家がわからないっていうから」
「……まあ、言ったことはないけどさ」
瑠依が呆れつつも三人を招き入れてくれた。リビングに通されると、マグカップが二つ。
「由良もいるの?」
「由良はまだ大学。冥府の官吏が来てた」
さらりと言われる言葉ではないのだが、瑠依はさらりと言った。千草は「ふーん」とうなずいた。
「何の話だったの?」
「君たちも、何の用かな」
そう言いながら、瑠依はキッチンに消えていく。紅茶でいい? と言う声が聞こえたので千草は「だいじょーぶ」と答えた。千草は勝手にテーブルについた。透哉と紫蘭も続く。どうでもいいが、この家は二人しか住んでいないのに、テーブルは四人掛けである。
「透哉君。和菓子は食べられる?」
瑠依も透哉がショートケーキを食べてはいたことを知っているのだ。そんな問いが聞こえてきた。
「あんことかは大丈夫です」
「ならよかった。茶菓子が今なくて」
出てきたのは、羊羹にどら焼き、葛きりなどなど。抹茶を出したほうがいいのではないだろうか。せめて日本茶。
だが、出てきたのは紅茶だった。しかも、輸入品だ。結構な値段のやつ。
「半分フランス人だけど、由良は紅茶党でねー。こういうのがいっぱいで」
つまり、消費に協力しろと。確かに、茶葉は放っておくとしけっちゃうけど。
「で、どうしたの?」
瑠依が席について尋ねた。冥府の官吏が何をしに来たのか、話す気はないらしい。
「だいぶ、均衡が戻ってきたと思っていたが、ちょっとした問題が起こった」
紫蘭が唐突に話し出した。
「黄泉の扉が完全に閉まる前に、黄泉から逃げた死人がいるらしい」
千草も瑠依も、顔をしかめた。逃げたってどういうこと。
「イザナミとイザナギとか、エウリュディケとオルフェウスとか、黄泉から出ようっていう神話はいくつかあるけど、成功した話はないよね?」
念のため尋ねると、瑠依が「そうだね」とうなずいた。
「それに、巫女神様自身が、黄泉から人を生き返らせることはできないと言っていたはずだ」
透哉も指摘する。瑠依は再び「そうだね」とうなずく。
「黄泉還らせると言うことは、この世の理に反するからね。でも……そうか。一気に均衡を修復したから、どこかにほころびが生じて、その隙間から逃げ出した……とも考えられるか」
と少し考え込むように彼女は言った。
「私は医学の神だから直接の関わりはないが、お前は沈黙と静寂の女神だろう。沈黙も静寂も、死に通じるはずだ」
「私が直接つかさどっているのは、その先の変化と神秘なんだけどねぇ」
沈黙は神秘を、静寂は緩やかな変化を。いつだったか千草が考えたことは当たっていたというわけだ。
「実は、冥府の官吏から聞いた話はそれだった」
瑠依は頬杖をついて言った。どうでもいいが、お前、どう考えても受験勉強してないだろ。
「冥府……まあ、この場合は黄泉かな。逃げ出したやつがいるってことで」
「誰? 冥府の官吏を振り切って逃げるなんて、相当でしょ」
千草が身を乗り出して尋ねると、瑠依は「教えてもらえなかった」と肩をすくめた。
「だけど、千草の言うとおり生前はかなりの力を持っていたのだろうね。たぶん、人間だと思うけど……」
憶測で物を言っても仕方がない。
「冥府の官吏が私に忠告してきたってことは、この辺にいるってことだろ。そのうち、嫌でも姿を拝むだろうね」
瑠依のその言葉は、正鵠を射ていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
どうでもいいですが、クレープ食べたい。(食べに行けよ……)




