25.神がおわす場所【3】
千草が駆けつけた時、ちょうど勾陣が右腕を瑠依に斬られたところだった。
「勾陣!」
千草の声に、千秋と透哉が振り返る。
「どうして戻ってきた!」
「って、誰!?」
透哉と千秋がそれぞれ叫ぶ。千秋の問いは、千草の背後の青年に向けられたものだろう。誰と言われても、千草も知らない。
青年は気にした様子もなく勾陣と鍔迫り合いになっている瑠依に声をかけた。
「初依。何をしている」
あ、やっぱり初依は瑠依のことなのか。妙に納得した千草である。
だが、瑠依はこちらを見ない。うつろな焦点の定まらない目で勾陣を見つめている。ように見える。青年は瑠依と勾陣に近づき、瑠依の腕を握った。
「初依! いい加減にしろ!」
青年が無理やり勾陣から瑠依を引き離す。え、それでいいの?
攻撃してくるので倒さなければダメかと思ったが、そうでもないようだ。
それとも、相手があの青年だから、瑠依は攻撃できないのだろうか。
りぃん、と勾玉が何かに共鳴した。それにつられるように、瑠依の瞳が焦点を結ぶ。まず彼女が捕らえたのは自分を捕まえている青年だった。
「し……ら、ん」
瑠依の口がそう動いたように見えた。しらん。それが、青年の呼び名だろうか。
瑠依はそのまま気を失った。しらん、と呼ばれていた青年が彼女を担ぎ上げる。
「こいつが迷惑をかけたようだな。お詫びに、案内してやろう」
青年は千草、千秋、透哉、勾陣、貴人を順に見つめた。千秋が代表して尋ねる。
「どこへ?」
青年はふっと笑った。
「神々が集う場所だ」
△
千草は千秋に手を引かれて歩いていた。道のない山を登るのは大変だ。千草は息も切れ切れである。
「あとどれくらいですか」
十二天将であり体力が人間の比ではない貴人が青年に尋ねた。青年は『しらん』と名乗った。紫の蘭で、紫蘭。やはり半神半人だそうだ。
「もう見えてくるぞ。……あそこだ」
と紫蘭は木々の間を指さした。唐突に、赤い屋根が見えた。何かの社のように見える。紫蘭の言葉を借りると、『神々が集う場所』だ。
紫蘭は臆することなくずんずんと中に入っていく。間違いなく社のようだが、他に人の気配はない。扉を開けた紫蘭に続いて中に入ると、煌々とかがり火がたかれた祭壇に出た。紫蘭はやや乱暴に瑠依の体を祭壇におろした。
「ちょ、ちょっと。もう少し丁寧に扱ってよ」
千草が抗議の声を上げるが、紫蘭は「これくらいでどうともならん」と取り合わない。まあ、半分神である瑠依だ。これくらいでは、確かにどうともならないだろうけど。
紫蘭は腰に佩いていた神剣を引き抜くと、意識のない瑠依に握らせた。それから祭壇を下りてくる。
「しばらくすれば、目を覚ますだろう。まあ、ほかの神々は気にくわないかもしれないが、俺もあの女を失いたいわけではないからな」
「……あなた、瑠依の知り合いなの?」
千草は、やっとその問いを発した。紫蘭は祭壇の前にある階段に腰かけると、腕を組んだ。
「そう言うお前は、安倍晴明の血族か。懐かしいな。まだ途絶えていなかったか」
「確かに俺たちは安倍家の血を引いているけど、知り合い?」
千秋も首をかしげている。十二天将を連れているので、紫蘭は彼女らが安倍家の血筋だと気付いたのかもしれない。
「いや、私は何度か力を貸した程度だ。彼女はそれなりに親しくしていたようだな」
紫蘭は膝に頬杖をつき、一度目を閉じる。眼を開いた彼は、唐突に語りだした。
「私はある女神と人間の男の間に生まれた。今から十八世紀は前のことだな」
そ、それは長生きだ。
「私も初依……彼女の実年齢は知らないが、おそらく同じ程度だろう。初めて会ったとき、彼女は二十一歳だと言っていたからな」
おそらく、彼女の時間は二十一歳で止まっているのだと、彼は言う。
「初めて会ったとき、彼女は幼い子供を連れて逃げてきていた。出会ったのは、ちょうど出雲のこのあたりだ」
その言葉で、千草はふと、しばらく見続けている夢を思い出した。倒れている男女。駆けつける、瑠依によく似た女性。かすかに聞こえる小さな子供の声。
やはり、あれは瑠依なのだろうか。
「彼女は初依と名乗り、子供は姪で、雪莉と言うのだと言っていたな」
「姪?」
「ああ。姪だ。まあ、額面通りに受け止めるなら、兄弟の子供と言うことだろう」
まあ、そりゃそうか。
「初依は逃げるのに疲れ果ててはいたが、私よりずっと強い力を持つ神だった。そんな彼女から私は逃げてきた理由を聞かなかったし、彼女も何も言わなかった。だが――――」
紫蘭は一度言葉をきり、それから言った。
「彼女が逃げてきたのと同じころ、出雲地方にあった都市国家が、一つ消滅した」
紫蘭によると、その国は割と大きな古代国家だった。国家とは言うが、扱いとしては邪馬台国などと同じである。
出雲の一角を支配していたその国は、代々『玉依姫』と呼ばれる女性が守護してきたのだそうだ。神話にも出てくる玉依姫であるが、一人の女性をさすのではないと言われている。神をその身におろす巫女が玉依姫と呼ばれるのだ。
古代国家のことは、現代を生きる千草たちにはよくわからない。だが。
瑠依が逃げてきたのと時を同じくして崩壊した都市国家。
出雲地方にあったという、玉依姫が治める都市国家。
そして、『瑠依』も『初依』も『依』の文字がつかわれていること。
これらをかんがみるに、瑠依がこの玉依姫が治めたと言う都市国家から逃げてきた可能性は高い。千草たちも、紫蘭と同じ推論にたどり着いた。
「……たしか、瑠依は、神々の世界からはじき出されたって……」
震える声で千草が言うと、紫蘭はなんでもないような調子で「ああ」とうなずいた。
「この女は――――」
「紫蘭」
鋭い声が紫蘭の言葉を制した。咎める言葉だったにもかかわらず、彼はやはりなんでもないような調子で振り返った。
「起きたか」
つられて千草たちも祭壇の上を見た。流れるつややかな黒髪。その顔は恐ろしく無表情で、恐ろしいまでの美しさ。こちらを睥睨する瞳は深みのある藍。
神だ。彼女は。瑠依ではない。直感的に千草はそう思った。
「まだ半分か」
立ち上がった紫蘭は祭壇の上に上半身だけ起こした瑠依を見て言った。彼女は片膝を立て、その膝に肘を乗せていた。
「余計なことをしてくれたようだな。やっと納得したのに、お前の声でまた揺らいでしまうだろう」
「そのために来たからな」
見比べると、確かに紫蘭より瑠依の方が強い神のようだ。なのに、紫蘭は恐れを知らないと言うか、腕を組んで互角に言い争って見える。
「私は神から見放された神だ。役目を放棄した。このまま、贄として消えるのが、一番被害が少なくて済む」
「それは『神の』都合だろう。我々には影響がほとんどない」
「何を言うか。私が役目を放棄したことで、この世界は均衡を崩している。早々に対処せねば、このまま崩壊する危険もある」
「だからと言って、お前が贄になるいわれはないはずだろう」
「私は……」
唐突に、恐ろしいまでの無表情だった瑠依の表情がゆがんだ。
「私は、己の役目を放棄した! 今、その付けを払わなければならない……! 私が祈るのをやめたから、神々は怒りを人界に向けた……」
玉依姫は、神をその身におろし、託宣をする。神をその身におろすためには、神楽を舞い、祝詞をささげ、祈りをささげる。だが、瑠依はそれを怠った。
だから、神々に見放された? 理由としては弱い気がする。
「初依」
紫蘭が祭壇の階段を上がり、瑠依の肩に手をかけたのが見えた。彼の体に隠れてしまって、瑠依の顔はよく見えない。
「瑠依は、玉依姫だったってこと?」
「うーん。確かにそうっぽいけど……なんか違和感が」
「筋は通っていると思うが、神々から見放されるにしては弱いな」
と千草、千秋、透哉はこそこそと会話をする。貴人と勾陣は見ているだけで参加してこない。こういう時、人間に口を挟まない方がいいと知っているのだ。
「おい」
「!」
呼ばれて振り返る。見ると、いつの間にか祭壇の下に紫蘭と瑠依が降りてきていた。紫蘭は相変わらず表情が無く、瑠依も真顔でこちらを見ている。
会いたいと思っていた相手。だが、実際に再会すると、何を言っていいのかわからない。言いたいことはいろいろあったはずなのに、目の前にいるのが本当に瑠依なのかわからなくて、戸惑う。
瑠依はいつも笑っていたし、春先に髪を切ったから肩に触れるほどの髪の長さになっていたはずだ。目の前の女性は腰元まで黒髪がある。外見だって二十歳前後に見えたのに、今は二十代前半に見えた。
「あの、これ……」
とりあえず、千草は瑠依に向かって勾玉を差し出した。預かっていた、翡翠の勾玉だ。何故か、紫蘭が受け取る。
「悪いな」
「え、どういうこと?」
千草が問うと、紫蘭はしれっとして答えた。
「これは私の本体だ」
マジか!
「ちなみに、初依の本体はこれ」
と紫蘭は瑠依が左手に持っている神剣を示した。つまり、この二人は互いに互いの本体を持っていたということだ。確かに、神は本体がある限り存在し続けるともいわれるが……。
瑠依。そんな大切なものを千草に投げてよこしたのか。紫蘭が千草の前に現れたのは、彼女が彼の本体を持っていたからだろう。
逆に考えれば、だから千草は紫蘭と出会え、瑠依に再会できた。瑠依は、そこまで見越していたのだろうか。自分に何かあれば、紫蘭が探しに来ると、わかっていたのだろうか。
「安心しろ。今のこいつは君たちが『瑠依』と呼んでいる人物だ」
紫蘭に言われ、千草はじっと瑠依を見た。瑠依も千草を見つめ返した。その鋭い視線にたじろぐ。
そして、瑠依は一言言った。
「何をしに来た」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
新キャラ、紫蘭が怪しすぎる件について(笑)




