24.神がおわす場所【2】
出雲は、現在の島根県のあたりになる。東海道新幹線で一度岡山まで行き、そこから先は普通列車を乗り継いで島根に入った。
神々が集う場所と言えば、出雲大社だろう。しかし、三人と二人の十二天将が向かったのは、出雲大社ではなかった。かといって、黄泉平坂でもない。
古事記に伊邪那美の墓所があると記載されている、島根県の比婆山である。まず、比婆山久米神社に詣でる。この神社は山上にある。ここにはイザナミの神陵古墳と言われるものが存在するらしい。千草はよくわからないが、千秋は興味津々だった。
まあ、昼間はそれなりに人がいる。一応、観光地になるのか? 祭神伊邪那美之尊が子授かりと安産の神らしく、かなり坂がつらいにもかかわらず、女性の参拝者も結構いる。ちなみに、全て千秋からの情報だ。なんと言うか、彼は情報収集能力が半端ない。
とはいえ、それは現在の千草たちの目的には関係ない。この比婆山が、勾陣に導かれて千草たちがたどりついた。瑠依がいる(かもしれない)場所なのだ。
「山と言うのは、今も神の息吹が感じられる場所だもんね」
千草がぽつりと言った。千秋や透哉はいまいち感じられないらしいが、千草にはこの山の空気が異常なまでに清浄であることを感じていた。空気が澄み過ぎて逆に気持ち悪い。
神社からそれた山の中で、千草たちは十二天将と合流した。いや、二人ともついてきていたのだが、遁甲していたので姿が見えなかったのだ。
「はい、千草」
「ありがと」
公共交通機関に持ち込むのはいかがかと言うことで、千草の弓矢と千秋、透哉の剣・刀は貴人と勾陣が預かっていた。弓矢は貴人が、剣・刀は勾陣が預かっていた。ちなみに、勾陣は、今日は裳裾を引きずるほどの上衣を着ていない。まあ、山の中歩くなら邪魔だしね。
そう。これから、千草たちは山歩きをするのだ。一番前はもちろん勾陣である。
まだ日が高いというのに、山の中は暗かった。涼しいと言えば涼しいが、神気が強すぎで寒いかもしれない。貴人もこれは感じるらしく、若干身を震わせていた。
ふと、勾陣が立ち止った。これまでよどみなく歩みを進めていたのに、どうしたのだろう。
「勾陣。どうしたの?」
尋ねると勾陣はかすかに眉をひそめた。
「……道がわからなくなった」
「……」
彼女について行っていた四人は沈黙した。千草はすっかり癖になってしまったのだが、瑠依に預けられた勾玉を握りしめる。
「たぶん、人界とは別の世界に足を踏み入れちゃったんだね」
こともなげに千秋が言った。明らかに異常事態であるが、騒いだところでどうにもならない。
「っていうことは、勾陣の感覚がいきなり狂ったわけではないのね」
「だろうね」
千草の疑問に千秋がうなずく。幽世に足を踏み入れてしまったため、勾陣が気配を探れなくなってしまったのだろう。
「単純に考えれば神の世界に入り込んじゃったのかな?」
千草は首をかしげたが、どうも釈然としない。比婆山に足を踏み入れた時から彼女が感じていた清浄さ。それが、今は感じられない。だから、ここは人界の比婆山ではないのだと思う。だが、神の世界かと言われると違う気もする。
人界であれば、若干の霊力と雑多な気配。先ほどの比婆山であれば不自然なほどの清浄さ。だが、この場所は何も感じない。『虚無』だ。
周囲を見渡せば、確かに景色は目に入る。木々が生い茂り、見上げれば青い空が見える。それでも、気配が違う。
とりあえず調べて見ようかと思い、千草は足を踏み出した。しかし、肩をつかまれて立ち止る。
「何?」
千草の肩をつかんだ透哉を見上げると、彼はこちらを見ていなかった。鋭い視線を一方向に向けている。
「貴人、千草を」
「了解」
勾陣が剣を抜いた。千草は貴人に保護され、後ろにさがる。千秋と透哉は柄に手をかけた。
勾陣が強く地を蹴り、剣を振り下ろした。千草には視認できなかったが、何かが高速で近づいてきていたらしい。勾陣と切り結んだことで動きが止まったので、千草にも確認できた。
「って、瑠依じゃん!」
早々に遭遇できたが、どうやら彼女はこちらを認識できないようだ。そもそも、目の焦点があっていないので、操られている可能性がある。
千草が首にかけている勾玉が、共鳴するように熱くなった。
古代の巫女のような装いに、長い黒髪。そう言えば、瑠依は今年の春ごろまでは腰まである長髪だった。気づいたら、肩までになっていたのだが。
彼女が剣を持っている姿は初めて見た。勾陣と瑠依。美女と美女が戦っていると言う妙に迫力のある状況だ。それを、臨戦態勢で見ているのは美形の人間代表、千秋と透哉だ。とても妙な状況である。
剣戟もすごいが、それよりも勾陣と瑠依からあふれ出る神通力がすごい。この空間の気配が虚無であるから、なおさら強く感じるのかもしれない。
操られていても、やはり瑠依の方が十二天将より強いようだ。半神半神でありながら、瑠依は神と同じくらいの力を持つのだと言う。
勾陣の体が弾き飛ばされ、ぶつかった木がその衝撃でなぎ倒された。どういう仕組みなのだろうか! 勾陣は長身であるが細身だ。ぶつかったところで巨木が倒れるとは思わない。
と言うのはともかく、勾陣が戦線離脱したことで瑠依の標的が変更された。
「これ、大丈夫なの!?」
騒ぐ千草に、
「殺しても死なないだろうから、大丈夫なんじゃないか?」
さりげなくひどい透哉だ。彼と、千秋が剣を構えている。兄千秋も今回ばかりは真剣な表情である。二人が強いのは知っているが、瑠依と真正面からやりあって勝機はあるだろうか?
「……千草。逃げる準備をするよ」
貴人が千草の耳元でささやいた。えっ、と叫びそうになった彼女の口元を、貴人は掌で覆う。
「僕らがここに居ては、邪魔になる」
「そう……かもしれないけど」
千秋と透哉を見捨てるのだろうか。勾陣も気を失ってしまったのか、木をなぎ倒したまま起きてこない。せっかく瑠依に会えたのに、ここでまた別れてしまうのだろうか。
「巫女神は日本の戦闘神の血を色濃く受け継いだ戦女神だ。彼女と話したいのなら、先に彼女を正気に戻すべきだ」
「……」
否定できないな、と思った。おそらく、今の瑠依はほぼ神なのだ。だから、話が通じない。恐れ多くも神のおわす場所に足を踏み入れてきた人間を許せない。
「行けっ」
千秋が叫んだ。貴人がその声に反応して千草の手を引く。その強い力に引っ張られ、千草は走り出した。
「ちょっとごめんね!」
少し走った貴人は、千草を引っ張るとそのまま抱え上げた。というか、肩に担いだ。
「ちょ……っ」
「しゃべらない! 舌かむよ!」
声を上げようとした千草であるが、貴人に指摘され口をつぐんだ。確かにその通りであるからだ。貴人は人間ではありえない速さで疾走しており、下手に喋れば舌をかむ。
仕方なく、千草は反発をあきらめて口をつぐむ。あとで兄たちと合流できるかが不安だが、今は考えないことにする。
おそらく、貴人は当てもなく走っているのだろうが、瑠依の神気が遠ざかったころ、唐突に立ち止った。急に止まったため、かつがれている千草は「うっ」とうめいた。貴人の肩に触れている腹が圧迫されたのである。
「何よ?」
立ち止ったので千草が問いかけたが、貴人は返事をしない。千草は身をよじり、自ら彼の肩から降りた。貴人が見ている方向を見た。
青年がいた。二十代前半ほどに見えるきれいな男だ。
改めて認識すると、彼が神の気配を放っていることがわかる。ここまではっきりしていると、何故気づかなかったのか不思議だ。
この場所で出会うと言うことは、瑠依をけしかけた神だろうか。
思わず身構える千草と貴人であるが、神の青年は考え込むように顎を撫でた。
「……ふむ。やはり、あの女は向こうか」
「……」
あの女って、瑠依のことだろうか。
千草はまじまじと青年を見た。長めの黒髪に、黒い瞳。すらりと引き締まった体躯に、これぞ神、というような瑠依に通じる神がかった美貌の青年だ。古代巫女装束の瑠依に対し、こちらも古代日本の男性の衣装のように見える。官服のようにも見えるが、腰に剣を佩いている。その剣も神通力を放っており、おそらく神剣であることがわかる。
「そこの娘。大きな翡翠の勾玉を持っていないか?」
唐突に話しかけられた千草は、びくっとしてとっさに胸元の勾玉をつかんだ。何となく、勾玉が熱くなり、振動した気がした。青年が顔をしかめる。
「ああ。やはりか。あの女、他人に渡すとはな……」
ため息をついた。そんな姿も絵になる。ではなく。
「何処かの神とお見受けするが。我々に何の用でしょう?」
貴人が千草をかばいながら尋ねた。青年は片眉を吊り上げると、言った。
「お前たち、初依の知り合いだろう」
「初依?」
千草と貴人の声がかぶった。思わず目を見合わせる。
「その勾玉をお前に渡した女だ。今は……何と名乗っているんだ?」
青年が首をかしげた。どうやら、瑠依の知り合いのようだが、現在の瑠依とはかかわりがないようだ。そりゃそうか。最近の瑠依は千草たちと一緒にいるが、彼は見たことがない。
「……だとしたら、何だと言うの?」
千草が答えると、青年がこちらに向かって歩いてきた。一メートルほど離れたところで彼は立ち止る。貴人が千草を背後に隠すように押しやった。
「そう警戒せずとも何もせん。お前たち、初依に会いに来たのだろう?」
青年は二人の隣をすり抜けた。
「話にならなかっただろう? 私なら、あの女を正気に戻せる」
自信ありげに青年は言った。千草と貴人は再び目を見合わせる。
「どうする?」
青年の声に、千草は彼の方に顔を向けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
うう……っ。続きが……!(←書いてる最中)




