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20.転校生【8】














「……勾陣」


 千草は思わずつぶやいた。前に見た時と同じ姿なのに、どこか凄絶な気配を発している。六合や太陰、太常とは違う、ああ、神だ。と思わせるような力だ。


「勾陣。あー、よかった」


 六合が火炎をさばきながらほっとした口調で言った。勾陣は彼を睥睨すると、するりと上着を脱いだ。ひらめいていた長い上着がなくなり、勾陣は身軽な格好となる。相変わらず裳裾はひらめているが、上半身は袖のないなんというか、少々扇情的な姿になった。

 勾陣は六合が持つ剣よりも短く、細身の剣を抜いた。剣先で地面をこすりながらゆっくりと前進していく。その気配に押され、みんなが彼女に道を空けた。


「千草。勾陣が来たのでもう心配ありませんよ」


 そう言うと言うことは、祖母も六合一人では不安だったと言うことか。遠回しにひどいことを言われた六合であるが、彼はへらりと笑っている。太陰は千草を手招きした。


「距離をとるぞ。勾陣は戦闘狂である故な」

「マジか」


 神の怒りに巻き込まれたらとんでもないことになる。千草はあわてて太陰に駆け寄った。ちらっと勾陣と六合の方を見ると、彼女が参戦してすでに三つ首のうち一つが切り落とされている。風の吹く頭だ。

 六合は火に弱いが、逆に勾陣には力を与える。逆に勾陣は水に弱いが、こちらは六合に力を与える。うまくできているな、と思った。


「ああ、遅かったか……!」


 駆けつけてきたのは貴人である。彼は勾陣と一緒にいたはずだ。


「遅かったわね」


 瘴気の吹き出す穴をふさぐために祝詞を唱え始めた祖母に力を貸しつつ、千草は貴人に言った。彼は苦笑する。


「突然勾陣が走り出すからさ。彼女、速いんだよね」


 足の速さは十二天将の神通力の強さが反映しているらしい。勾陣は十二天将の中でもずば抜けた神通力を持つので、速いようだ。


「ダメですね。ここにいる全員の霊力を使っても、全てを閉じるには足りません」


 あきらめた木綿子が肩をすくめた。


「神に助力を請いますか」


 妥当なところだと、千草も思う。だが、現代、神の存在は希薄となっている。人々から信仰心が消えていっているからだ。


 と、その時。


「ちょっと失礼っ」


 頭上から、女性が降ってきた。


「久しぶりね」


 栗毛をなびかせた漆黒のマキシ丈のワンピースを着た女性は金の杖を持っていた。もちろん、由良である。


「おやまあ。お久しぶりですね」

「木綿子も元気そうね。力を貸しましょうか」


 由良はニコリと笑う。瑠依に比べればまだ常識的に思えるから不思議であるが、由良も百年以上の時を生きる四分の一、神の血を引く女性だ。つまり、木綿子より長生きである。

 千草たちが返事をする前に、由良の杖のそこが地面を打った。そこから金色の光が広がり、魔力が広がり、つながっていく。感覚を研ぎ澄ませれば、由良の魔力が円を描き、瘴気を囲む結界を上書きしていくのがわかる。


「円には終わりがない。だから、常に力は増幅される……。魔術にも、同じような考え方があるわ。それを応用したのが魔法陣」


 由良が簡単に解説をしてくれる。同系統の術である木綿子の力は効かなかったのに、全く違う西洋魔術が効くのはなぜだろうか。


「あの男の結界の支配権を乗っ取っただけよ。早く扉を閉じないと……」

「そうですね……姫はどうなさいました」

「瑠依? ああ、そうだ。伝言があるんだった。『必要なら、私の名を呼べ』以上」


 由良が思い出したように言った。ちんぷんかんぷんすぎる。どういう意味だろう。たぶん、真名を呼べと言うことなのだろうけど。そもそも、千草も木綿子も彼女の真名を知らない。

 と、三つ首が倒された。勾陣と六合がとどめをさしたようだ。男が声をあげた。


「あと少し……あと少しだったのに……!」


 その絶望的な叫びに、千草たちは一瞬固まる。透哉と切り結んでいた千秋も目を見開き、この辺が彼の残念なところなのだが、腹に柄を叩き込まれ、塀に激突した。頭を打ったらしく、そのままぐったりする。


「兄さん!?」

「千秋!」


 貴人が千草の後ろから駆けだす。彼は癒しの力を持つ。もう一人、天后も癒しの力を持つが、彼女は今留守居だ。貴人が兄を何とかしてくれるだろう。

 透哉がこちらに急速に迫ってくる。以前と同じく、由良が彼を迎え撃った。


「お久しぶりね。有坂君、で良かったかしらっ!」


 神の血の恩恵である馬鹿力で由良は透哉の刀をはじいた。


「六合! 勾陣! こっち!」


 もともと魔女である由良には、剣士の相手は少々荷が重いようだ。千草はどうしたものかとおろおろする。


「お前が行け!」


 男の方と切り結んでいた勾陣が六合を蹴飛ばした。六合は「ひどっ」と言いながらも透哉に後ろから斬りかかる。透哉はその場を蹴って後ろにさがった。身体能力の高い透哉だが、神に近い十二天将には劣るだろう。

 六合を応援すべきなのだろうが、透哉に怪我をしてほしくない。


「何をしているのですか、千草」


 木綿子に声をかけられていてはっとする。いつの間にか、周囲には有象無象の妖たちが大量に集まってきていた。千草のまわりにも集まってきているが、太常の結界がうまく阻んでいる。


「おおっ!?」

「驚いている暇があるなら、姫を呼びなさい」


 術を放った木綿子に冷静に指摘され、千草は「えっ」と声を上げる。


「姫って、瑠依よね」

「ほかに姫と呼ばれる方がいますか」

「……うん。いないね」


 千草はうなずいた。この時代に『姫』呼びされる人などそうそういない。いや、彼女は半分神だけど。


「でも、私、彼女の真名なんて知らないわ」

「私も知りません」

「……」


 木綿子に一蹴され、千草は考えた。確かに、この状況では神頼みが一番早い。念のため、と言うことだろうか。木綿子が太常に周囲の黄泉への穴を確認してくるように頼んでいた。

 神の力は、人間の信仰心に由来する。彼らの名を呼ぶことで、彼らの存在は確固たるものとなる。

 瑠依の神力が落ちてきているのは、名を呼ぶ者がいなくなったからだろう。


 だから、彼女の真名が何なのかわからない。


 わからないのだ。


 六合と打ちあう透哉を見る。彼は、瑠依を『沈黙と静寂の女神』と言った。彼女はそれを否定しなかった。千草は弓を強く握る。


 沈黙と静寂。どちらも静止や夜、死を暗喩する。だが……。


 彼女の神力はそう言った負の力ではない気がした。だとしたら。

 沈黙は転じて神秘を意味し、静寂は静止ではなく、緩やかな変化を意味するともいわれる。

 ふと、夢のことを思い出した。黒髪を束ねた瑠依に似たあの女性は、何と呼ばれていただろうか。千草は、あの女性が瑠依だと思っていた。


「あ……あけ……」


 千草の口から、言葉が漏れる。


「か、かやあけひめ……」


 つぶやいた途端、どん、と体に重圧がかかった気がした。勾陣の時の比ではない。

 急速に、瘴気が払われていく。黄泉への穴が閉じていき、空間が正常に戻っていく。

 とはいえ、出てきていた黄泉の化け物はそのままなので、どちらにしろ討伐はしなければならない。

 気配を探れば、黄泉の扉が閉じるのが感じられた。だが。


 鍵は、かからない。


「久しぶりに、私を呼ぶ声を聞いたよ」


 またも頭上から女性が降りてくる。先ほどの由良は飛び降りてきた感じだったが、彼女はふわりと着地した。

 肩のあたりでまとめられた長い黒髪。古代風の巫女装束に、風もないのにひらめく領布ひれがはためいている。

 千草が覚えている姿より、少し大人びて見えるが、彼女は瑠依だった。いや。


 半神・佳夜明かやあけ姫。その名の通り、夜から朝にかわる時間、そして、昼から夜に代わる時間をつかさどる女神。ゆっくりとしたその変化。そして、その時間に起きる神秘。だからこそ、彼女は『沈黙と静寂の女神』であるのだ。


 こちらが、本来の彼女の姿なのだろう。あまり、人間の気配はしなかった。


「神は、助けを求めるものには、必ず力を貸すものだ」

「だが、あなたは私に力を貸そうとはしなかった」


 勾陣と戦っていたはずの男は、佳夜明姫を見据えてそう言った。千草の側からは彼女の背中しか見えないが、彼女の口元が弧を描くのがわかった気がした。


「死んだものをよみがえらせることは、私にもできないのでね」


 両の腰に手を当て、彼女は言ってのけた。彼女が存在するだけで、空間が清浄に保たれている。


「そんなはずはない! あなたは現に、一度死したものをよみがえらせたはずだ……!」


 男が叫ぶが、佳夜明姫は首を左右に振る。


「私は、そんなことはできない。彼女はよみがえったわけではない。死して、鬼に落ちそうになったのを私が留めただけだ」


 だから、彼女の魂は今もこの世をさまよっているんだ。佳夜明姫がつぶやくのが聞こえた。


「それに、死したものをよみがえらせることは、この世の理に反することだ。世界から、はじき出される」


 佳夜明姫はゆっくりと男の方に足を踏み出す。男の側にいた勾陣が身を引き、彼女に道を空けた。


「私のことを知っているということは、調べたのだろう? 私のことは、神話にも歴史書にも記されていない……はじき出されたからだ」

「それでもかまわない。彼女がよみがえるのであれば……!」

「……私には、お前の気がしれない。私は自分がやったことを後悔してはいないが、もうやろうとは思わない」


 佳夜明姫ははっきりと言った。千草は何となく木綿子の顔を見るが、彼女はまっすぐに佳夜明姫の方を見ていて、何を考えているかはわからなかった。


「……では、女神よ。あなたを生贄とすれば、彼女は戻ってくるか?」


 男の言葉に、千草は背筋が寒くなるのを感じた。女神である佳夜明姫を読みに落とす代わりに、『彼女』を手に入れようとしているのだ。だが、佳夜明姫は笑うだけだ。


「どうだろうな?」


 笑った佳夜明姫に対し、男は術を放った。佳夜明姫は、よけようとしない。

 千草はふと、彼女が死んでも良いと考えているようなことを言っていたことを思い出した。とっさに印をきる。

 自分の前に出現した障壁に驚き、佳夜明姫は千草を振り返った。それで、男は彼女が邪魔をしたと気が付いたようだ。


「やはり、邪魔者は消すべきだったか」


 今度は、千草に向かって術が放たれた。


「千草っ!」


 木綿子や十二天将がかばいに入る前に、千草は腕を強くひかれた。その方向にいたのは、確か。


「有坂君?」


 千草は呆然とつぶやいた。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


瑠依には呼び名がたくさんあります。

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