12.夏休み【7】
大文字の送り火から2日。一向に連絡が取れないので、千草は近所の神藤家を訪ねていた。お供は相変わらず貴人である。
インターホンを押すと、ややあって「あら、千草じゃない。開けるわねー」と由良の声が聞こえてきた。いつも思うが、このうち、ノリが軽すぎ。
「こんにちは、由良」
「こんにちは、千草。今日も貴人が一緒なのね」
「お邪魔します。由良殿」
姿を現した貴人もにっこり笑って会釈する。どうやら、貴人は由良のことは『殿』づけで呼ぶらしい。
「今日はどうしたの?」
リビングで千草にアイスティーを出した由良は小首を傾げて尋ねた。
「いや、連絡取れないから、どうしたのかなーって」
アイスティーを一口飲み、千草はそんな事を言う。由良は、ああ、と納得の声をあげた。
「瑠依はまだ寝てるし、私、端末壊しちゃったのよ」
「!? 壊した!?」
最近の通信用携帯端末はそう簡単に壊れない。五メートルの高さから落としたくらいでは画面すら割れないと言われるそれを、壊した?
「ほら、二日前、この辺を貫かれたでしょ。その衝撃で壊れたみたいで、うんともすんとも言わないのよ」
「……」
千草は鳩尾のあたりを示して言う由良を見て沈黙した。そう言えば、そうだった。こうして元気にしているが、由良は普通の人間なら死にかねないほどの大けがを負ったのだった。
「……新しいの、買いに行きなよ……」
それか、固定電話を敷いてください。そう言うと、由良は苦笑した。
「そうれもそうだけど、千草だって、式を飛ばしてくれればよかったのに」
「あっ」
言われて、気が付いた。それもそうだ。自分は仮にも陰陽師なのだから、式を飛ばせばよかったのだ。なんて馬鹿なんだ、自分。
「うわぁ……」
千草は頭を抱えた。由良と貴人が、慰めるようにそれぞれ彼女の肩をたたいた。
「ま、せっかく来たし、瑠依の顔でも見ていく? 寝てるだけだけど」
「うん。……あ、由良は大丈夫なの?」
「私は平気。もう傷跡もないわよ」
「ホントに、どんな体質なの……」
再生能力に関しては、十二天将や瑠依を確実に上回っているだろう。
神藤家は二階建てだ。住人は由良と瑠依だけで、二人は従姉妹だと言うことになっている。まあ、確かに姉妹にしては似ていない。一度、由良と瑠依が母娘ではないかと考えたことがある千草は納得してうなずいた。
階段を上がって一つの部屋に入る。個人の私室にしてはかなり広い。思えば、千草が瑠依の部屋に入るのは初めてだ。
ベッドを覗き込むと、確かに瑠依が眠っていた。なんと言うか、死んだように眠っている。
「これ、生きてるの?」
「難しいこと聞くわね。まあ、生きてるか生きてないかで言うなら、生きてるわね。死んでないから」
何、その逆説的な説明は。
目を閉じていてもわかる。瑠依の神がかった美貌。一瞬、目を閉じた彼女が別の姿に見えた。
すなわち、長い黒髪で、古代の巫女装束をまとい、古風な寝台に横になっている姿だ。
時々、千草はそんな幻覚のようなものを見る。おそらく、現在の瑠依と過去の瑠依がダブって見えているだけなのだが、いつもはっとする。
「……目、覚めるよね」
「神通力が戻ればね。前回は10年近く目を覚まさなかったけど、早ければ3日くらいで起きるわ」
「……」
10年も眠り続けるっていうのもすごいな。
「……早く目覚めるといいな」
「そうね」
由良は微笑んで千草の頭をなでた。じっと瑠依を見ていた千草だが、ふと思った。
「半分神でも、睡眠で回復するのね」
「神だって眠りにくらいつくよ。僕たちもそうだしね」
答えたのは貴人だった。彼らも、神に近しい存在だ。考えてみれば、千草は人外のものとの付き合いが多すぎる。
「まあ、そう心配しなくても、神通力が戻り次第回復するから。大丈夫。目を覚ましたら連絡するわ」
「端末壊れてるのに?」
「瑠依のを使うわよ」
それもそうか。そうでなければ、式……由良の場合は使い魔か。それを飛ばしてくれればいい。むしろ、家まで来てくれてもいい。徒歩五分ほどだから。
「じゃあ、またね。貴人がいるから大丈夫だと思うけど、気を付けるのよ」
「歩いて5分だよ。大丈夫大丈夫」
千草は苦笑し、由良に手を振りかえしながら家に帰った。
土御門邸に戻ると、いつもより人口密度が高かった。なぜなら。
「おや。どこに行っていたのですか、千草」
「おばあちゃん!」
祖母、帰宅である。祖母が兄とリビングのテーブルにつき、麦茶を飲んでいた。
「いつ帰ったの?」
「さっきです。千草はどこに行っていたのですか?」
「瑠依んち」
「ああ、姫の所ですか。そう言えば、姫の力が弱まっていますね。また眠りにつきましたか」
「またって……」
そんなに何度もあることなのだろうか。そう思ったが、千草はツッコミは入れないことにした。人生、流された方がいいこともある。
土御門木綿子は、昔風に言うなら土御門家当主である。もう亡くなっているのだが、祖父は土御門家に婿入りしたことになる。
木綿子はさほど霊力が強い陰陽師ではない。彼女が強い陰陽師であれるのは、その技術が卓越しているからだ。霊力だけで言うのなら、土御門家では兄の千秋が一番だろう。
年は、たぶん、60半ばくらい? 年齢を聞くと、「女性に年齢を聞くとは何事ですか」と睨まれるので、正確なところは不明である。
千草は、木綿子に似ているとよく言われる。主に言うのは十二天将たちで、若いころの木綿子に似ているのだと言う。
木綿子はとにかくフットワークが軽い。年齢詐称してんじゃないのか、と思うくらい、日本全国を飛び回っている。今回は東京に行っていたらしく、お茶菓子に東京土産が出されている。
「姫の様子はどうでしたか?」
「ひたすら眠ってたよ」
「まあ、そうでしょうね」
わかっているのなら、なぜ聞くのだ。そう思ったが、恐ろしいのでツッコミを入れられない。
祖母が何となく恐ろしいので、千草は視線をそらして増えた十二天将に声をかけた。
「お帰り、太常」
「ええ。ただいま戻りました。千草もお元気そうで何よりです」
「……そうね」
なんだろう。この似た感じ……。この生真面目な宰相風の十二天将は、太常という。祖安倍晴明は彼を後四大裳土神家在未主冠帯衣服吉将と記している。古代中国の官僚のような服装で、貴人ですら着崩している衣装をきっちりとまとっている。ちなみに、髪と目の色はとび色で、絶対に眼鏡が似合うであろう怜悧な美形である。
正直、この生真面目な太常と堅物・木綿子が二人っきりでどんな会話をしているのか全く想像できない。
「今しがた、太陰から勾陣の伝言を聞きました」
木綿子がそう言ったのを聞いて、千草は勾陣は木綿子が相手でも出てこないのか、といっそ感心する。
「役目云々は、おそらく姫に聞かねばわかりません。ただ、“道”がつながるのはどうしても避けたいところですが……」
「一応、扉は閉まってるらしいけど」
「鍵はかかっていません」
「……ですよねぇ」
軽いノリで千秋が苦笑した。少し暢気な兄と、まじめな祖母はいつもこんな感じである。
一方で、千草は首を傾けた。
「結構根本的なことを聞くけど、『道』がつながったらどうなるの?」
千秋と木綿子が千草の方を見て、一度目を見合わせた。結局、祖母が口を開く。
「まあ、場合にもよりますが、たいてい人間にとってよくないことが起こりますね」
今回は黄泉への道がつながろうとしているらしい。そりゃ、よくないことが起こるわ、と千草も納得した。
「でも、『道』がつながらないようにするなんて、どうすればいいのよ」
「まあ、術者に解かせるか……殺すか、ですね」
「……」
木綿子の言葉に千草は沈黙した。まあ、ある程度答えは予測していたの他のだが。
「でも、術者が死ぬことによって力が増す術もあるじゃない? 『道』をつなげるのは、それとは違うのかな」
いくら暢気にふるまっていても、千秋も陰陽師だ。そんなことを言った。確かに、言われてみれば術者が死ぬことで定着する術もある。『道』をつなげることは術なのかはよくわからないが、似たようなものだろう。
議論を交わす祖母と兄を見つつ、千草は思う。道は扉を閉じるだけではなく、鍵もかけなければならない。その鍵はどうやってかけるのだろう。
こういったことが起きるとき、古い世界では生贄がささげられることが多かった。何か天変地異が起こると、それは神が怒っている、妖が怒っている、とされ、彼らにささげるために人身御供を差し出すのだ。
もしかしたら、鍵を閉じる方法も同じなのかもしれない。人の命、魂と言うものは強力だ。
鍵をかけるには、人の命が必要かもしれない。
ただの千草の予測であるが、本当にそうであった時に衝撃を受けないように、千草はそのことを頭の片隅に置いておくことにした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
千草は木綿子似。千秋は母親似です。おっとりした兄です。




