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寵姫は陛下の渡りを拒む

 アルディシアはどうしようもなく高鳴る胸を押さえ、寝台の端に腰掛けていた。


 時刻は夜の十二を過ぎた頃。場所はダナム王国の後宮である。

 付け加えるならば、アルディシアは後宮に上がったばかりの下級貴族の娘だ。

 栗色の髪に淡い菫色の瞳のアルディシアは、顔はそこそこ可愛い程度だが、身体つきは女性的だ。男の劣情を煽るには十分だろう。

 つまり、いよいよなのである。


「ああ、どうしよう。緊張し過ぎて気持ち悪くなってきちゃった……」


 アルディシアは立ち上がり、青い顔で部屋の中をうろつき始めた。豪華な寝室は寝台以外には机と椅子がある程度で、うろつくのには都合がいいが、貧乏貴族だったアルディシアを余計に落ち着かない気持ちにさせた。

 そもそも、アルディシアはこんな場所には縁の無い人間だったのだ。


「陛下が仕事一辺倒でほとんど後宮に通わないから、取り敢えず年頃の娘をあてがおうなんて……いい迷惑だわ」


 アルディシアは悔しげに親指の爪を噛んだ。即位したばかりの新しい国王がストイックだろうが、女官が色めく美形だろうが、玉の輿だろうが、どうだっていい。アルディシアは、ただ静かに暮らしたかった。おっとりとした母や苦労性の父と貧しいながらも穏やかな暮らしをして、いつかは好きになった人と添い遂げたかったのだ。

 ……今となっては、遠い夢だったが。


(ううん、まだ希望はあるわ。要は陛下が飽きればいいのよ)


 三年の間渡りがなければ、その娘は後宮から出る事を許される。将軍や高官に下げ渡される事もあるが、特に美人でも有力貴族の娘でも無いアルディシアには関係の無い話だ。

 今夜は仕方ない。だが、極力目立つ事を避けて、三年間陛下の渡りがないようにする。それがアルディシアの計画だった。


 カーン、カーン


 鐘の音が二回響き、アルディシアはぎくりと身体を強張らせた。

 陛下の渡りだ。

 アルディシアは定められた通りにランプの明かりを調節し、部屋を薄暗くした。初めての渡りの時は、緊張をほぐすためかこうして薄暗くするのが習わしらしい。


(ああ、緊張する!)


 破裂するんじゃないかと思うくらいに心臓が脈打つ中、静かな衣擦れの音をたてて一人の男が部屋に入ってきた。なぜか頭巾を被っていて顔はよく見えないが、禁色である紫の衣を纏っている。国王、ヴィルダートで間違いないだろう。

 アルディシアは深く腰を沈め一礼した。

 事前に陛下から、渡りの際には挨拶は無用、会話も極力せずに、目を合わせることも避けるように、と伝えられている。どうやら新しい国王様はかなりのシャイボーイらしい、と冗談めかして考えていたものだが、今は感謝すらしていた。こんなに緊張しているのに愛想良く接待なんて、無理だ。


「……これを」

「え、あ、はい」


 ヴィルダートが何かの包みを差し出し、アルディシアはそれを受け取って内心で首を傾げた。


(お茶の葉? ……淹れろってことかしら)


 アルディシアの戸惑いを無視するかのように、ヴィルダートはさっさと椅子に座っている。躊躇いながらもアルディシアはお茶を淹れた。

 ヴィルダートの分だけを淹れて差し出すと、アルディシアにと渡される。追加でもう一人分を淹れて、アルディシアとヴィルダートは無言で椅子に腰掛けたままお茶を啜った。

 ……なんなのだろう。


(でも、このお茶は美味しいわ。もしかして、わたしの緊張を解そうとなさっておられるのかしら……)


 もしもそうなら、随分と優しい人だと思う。少しだけアルディシアはヴィルダートに好意を持ち、彼の手の辺りを見つめた。

 意外とがっしりした手が印象に残った。


 お茶を飲んだ二人は、ゆっくりと寝台に移動した。ヴィルダートに肩を抱かれ、アルディシアの心臓は口から逃げ出しそうなほどに動揺している。


(あああ、落ち着いて! 落ち着くのよ、アルディシア! 目を瞑って我慢したらいいの! 簡単よ!)


 心の中で自分を鼓舞し、アルディシアは寝台に横たわられるのをじっと堪える。男の長い指が、そっと頬を撫でた。


「……っ!」


 反射的に、アルディシアは顔を上げて真っ直ぐに相手を見てしまった。決して直視してはいけないと言われていた国王陛下を。そして、――アルディシアは呆然とした。


「あなた……誰?」


 いまだに相手は頭巾を被ったままだったが、下から見上げたアルディシアには顔が見えた。目の辺りを中心とした上半分だけだったが、その顔は昼間謁見した国王ではなかった。よく似ているが、別人だ。

 今、アルディシアにのしかかっているのは、この後宮の主ではなく、別の、知らない誰かだった。


「……っ!」

「しっ!」


 思わず悲鳴をあげそうになったアルディシアの口を、その知らない誰かが手のひらで防いだ。怖い。誰なのだ、この人は。

 涙目で睨むアルディシアを困った顔で見下ろし、その人は言った。


「……全部ちゃんと説明してあげるから、叫ばないでね? そしたら手を放してあげる。いい?」


 アルディシアが頷いたのを確認して男は手を放した。そして身体を起こし、警戒するアルディシアに両手を上げて大丈夫だよ、と柔らかく目を細めた。


「取り敢えず、自己紹介かな。僕の名前はフリード。ヴィルダート国王の、異母弟だよ」



   *****



 フリードと名乗った男によって、アルディシアの部屋に二人の男が密かにやってきた。一人は本物の国王ヴィルダート陛下で、もう一人は護衛らしき騎士だ。


「まずは詫びよう。アルディシアよ。怯えさせてすまなかった。だが、これにはわけがあるのだ」


 堂々とした態度でヴィルダートは話しだした。こうして改めて見ると、やはりフリードとは違う。

二人とも金髪碧眼で体格もよく似ているが、ヴィルダートの方が精悍な顔立ちをしていて、フリードの方は物腰が柔らかだ。


「わけ……ですか」


 正直、何も聞きたくない。知らなかったふりをするから家に帰して欲しいが、ヴィルダートはそんな彼女の願いとは裏腹に、事情を語りはじめる。


「……ああ。実は、その、な。ここだけの話にして欲しいんだが。私は、その、な」

「女の人が抱けないんだよ。夜の方の意味でね」

「!!」


 いきなり思ってもみなかった方向の話になり、アルディシアは真っ赤になった。そんな彼女をフリードは楽しげに見つめ、ヴィルダートに舌打ちされる。


「フリード……」

「いや、ごめん。でも、こういうのはさっさと言った方がいいと思って」

「……はあ。まあ、いい。とにかく、そういう事だ。私は、ある事情から女が抱けなくなった。勿論、治す努力はしている。だが、こんな話は公には出来ないからな……後宮に渡らなくなった理由が説明できず、放置していたら、そなたが召しだされる事になってしまった。その点についても、すまないと思っている」

「は、はい」


 アルディシアはなんとも言えない顔で頷いた。だって、他になんて言えばいいのだろう。


「フリードに頼んで、睡眠効果のある茶を飲ませ、眠ったら入れ替わる予定だったんだが……」

「全然、眠そうじゃないよね。もしかして、薬とか効きにくい体質?」

「あ、はい。昔から、あまり効かないようです。風邪の時とかも……」

「そっか。あ、ちなみに僕は飲むふりをしてたんだけど、意味なかっね」


 笑うフリードを見ながらあの美味しかったお茶はそういう事だったのか、とアルディシアは思った。あの時感じた好意を思い出してなんだか虚しい気持ちになる。

 やっぱり、ここは嫌だ。早く家に帰して欲しい。

 そう思いながらも、気になった事をアルディシアは尋ねてみた。


「……お茶で眠らせてしまうおつもりでしたなら、陛下ご自身でもよろしかったのでは?」

「いや、それは……」

「眠りにつくまでの間、それっぽい事をしなきゃおかしいでしょ? ヴィルはそれが嫌だったんだよ」


 アルディシアの疑問に答えたのは、またしてもフリードだった。ヴィルダートは苦虫を噛み潰したような表情で押し黙る。

 どうやら、かなりの事情があるようだ。


(……まあ、いいわ。とにかく、誰にも言ったりしないからさっさと家に帰して欲しい)


 だが、更に事態はアルディシアの願いから離れていく。


「まあ、そういうわけで後宮に渡る事も出来なかったが……明日からは、アルディシアの部屋に通えるな」

「そうだね」

「えっ!? なんでそうなるんですかっ!?」


 アルディシアは目を丸くし、不敬ということを忘れて叫んだ。


「いや、だってさ。ヴィルの事情を知ったアルディシアなら、堂々と渡ることが出来るし。そうしたら、ヴィルの秘密も守れるから良い案じゃないかな」

「わたしは嫌です!」

「だが、ここは後宮だ。本来ならば当然の事だ」


 淡々とヴィルダートに告げられ、ぐっとアルディシアは言葉に詰まった。確かに、その通りだ。その通りなのだが……


 アルディシアは泣きそうになりながら周囲を見回した。ヴィルダートは言うまでもなく、フリードはなぜか楽しげで、名前も知らない黒髪の騎士は無表情のまま、何を考えているのかわからない。

 逃げ場もなければ助けてくれそうな相手もいなかった。


「……わたしは、家に帰りたいんです!!」


 儚い抵抗と知りつつも、アルディシアはそう叫ぶ。しかし、その願いはやはり叶えられなかったのだった。

 題名について。

 今のところ、「寵姫(に、なる予定のアルディシア)は陛下の渡りを拒む(けど却下された)」と、いう感じですね。

 お読みいただき、ありがとうございました。

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