第96話 「夜の訪問者」
使用人達へのお披露目の食事会は終わった。
終わると同時に、ルウは率先して片付けを始めたので使用人達が驚いて止めに入る。
「どうして? 皆で片付ければ早く終わるぞ」
ルウは不思議そうに首を傾げた。
そこに駆け寄ったのはアネットとオレリーである。
彼女達はドミニクの使用人という立場なので謝罪しながらルウを止めようとしたのである。
しかしそこでルウを諭したのはアデライドであった。
「ルウ、貴方は本当に優しい子。だけど今夜だけはジーモン達に任せましょう。彼等はこの仕事で給金を得ているの、それを取り上げてはいけないわ。代わりに女性陣は明日の朝に起きられたら朝食の支度を手伝ってあげて」
アデライドは同時に、アネットとオレリーの母娘に対しても片付けを手伝うのは無用だと伝えたのである。
「今夜の貴女達はお客様よ。特にアネットさん、貴女には料理の仕込みを手伝って貰ったので充分過ぎるくらいですよ。今夜はもうゆっくりしてくださいね」
「アデライド様、勿体無いお言葉です。ありがとうございます!」
上級貴族とは思えない労りの言葉。
優しいアデライドの人柄を知ったアネットはとても感激しているようだ。
加えてアデライドはアネットの普段の奉公ぶりを称えたのである。
「ドミニクおば様は貴女を大変気に入っているようよ。貴女が昔、旅芸人としてこの世界を回った話を聞くのも生きている楽しみのひとつだって仰っていたわ」
それを聞いたアネットは思わず涙ぐむ。
「お、奥様がそんな事を!?」
「ほら、もう……オレリー、お母様を用意したお部屋に連れて行ってくれる?」
今夜、オレリー母娘はこの屋敷で一緒の部屋に泊るのだ。
「はい、アデライド母様。では旦那様、皆様おやすみなさい……」
ちらりとルウを見たオレリーは一瞬、寂しそうな表情を見せたが気を取り直すと母の手を引いて用意された部屋に引き揚げたのである。
「じゃあ良いわね。各自用意した部屋に引き揚げなさい」
アデライドが促しても今度はフラン、ジゼル、ナディアがルウにくっついて離れない。
フランは勿論であるが、ジゼル、ナディアは一緒の部屋でルウとは別々に寝るのである。
「もう、貴女達……今夜は決められた部屋でちゃんと寝なさい。いずれ機会を作ってルウがしっかりリードしてくれるから」
オレリーはちゃんと聞き分けたでしょうと、アデライドが諭すとやっとフラン達はルウから離れたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
深夜……
使用人室の奥にあるルウの部屋に近付く影がひとつあった。
窓から差し込んだ月光に照らされた細身のシルエットからすると女性らしい。
女性は左右を見ると恐る恐るドアのノブに手を伸ばし、ゆっくりと回した。
がちゃり……
どうやら鍵はかかっていないようである。
女性は手早くドアを開けるとすっと部屋の中に滑り込んだ。
部屋にあるベッドではルウが軽い寝息をたてている。
女性はそれを見てホッとしたように溜息をつくとスッとルウの右横に潜り込む。
ベッドに潜り込んだ女性がそのままルウに寄り添うと、寝ていた筈の彼の右手が動いてスッと彼女の髪を優しく梳いた。
「わ!」
思わず女性は声を出しそうになる口を自分でそっと手で押える。
「ボクが来るの、ばれてた……かな?」
忍んで来た女性はナディアであった。
「ああ、そうだな。ナディア」
髪を梳きながらルウはナディアの方に向き直る。
そして左手の指を鳴らすとドアの鍵ががちゃりと掛かったのだ。
ルウが施錠の魔法を発動させたのである。
ナディアが部屋を抜け出したのがばれないように今頃、彼女の部屋にも鍵が掛かっている筈であった。
「御免なさい。ボク、アデライド母様の言いつけを破っちゃった……」
「良いさ。お前はあの日以来、夜が……深い闇が怖いんだよな」
あの日……というのは例の事件の日の事であろう。
それを聞いたナディアは一瞬驚きの表情を見せたが、直ぐ頬を赧める。
そしてそんな自分を恥ずかしがるようにルウの胸に顔を埋めたのだ。
「もう! ボクの事……全部分っちゃうんだよね……ねぇもしかして旦那様は言いつけを守って帰れって言うのかな?」
心配そうに言うナディアにルウはゆっくりと首を横に振ったのである。
「大丈夫だ、このまま一緒に寝よう」
「あ、ありがとう! ボクっていつも澄まして格好つけているけど、臆病で甘えん坊で、凄くはしたない女の子なんだ……こんなにいけない子だけど。お願い、旦那様……どうか、嫌いにならないで、どうか捨てないで」
必死に懇願するナディアはどうやら涙ぐんでいるようだ。
そんな彼女をルウは黙って抱き締めてやった。
「でも今夜は規則を破ったけれど……ちゃんとけじめはつけようって考えているんだ。は、初めて旦那様に抱かれるのはフラン姉さんの後だって……この前、皆で話して……フラン姉さんも含めて全員、だ、男性に抱かれるのは初めてだけど、これは彼女を尊重したいんだ」
決意を語るナディアの声は震えていた。
勇気を振り絞ってルウに伝えているのに違いない。
「お前は魅力的な女の子だ。柔らかくて凄く良い香りがする……抱きたいけど今夜は我慢して身悶えしながら寝てやるさ」
優しいルウの言葉を聞いたナディアは嬉しそうに笑う。
そして優しく背中を撫でているうちに、やがて寝息を立て始めたナディアをルウは優しく抱き締めたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ドゥメール伯爵邸午前6時……
「うう~ん」
ジゼルと共にあてがわれた部屋のベッドでナディアは目を覚ました。
傍らのベッドではジゼルが幸せそうに眠っている。
「あ、あれ?」
まず、いつも目覚める学生寮の部屋と違う事に違和感を感じたが、直ぐに夕食会に招かれたドゥメール伯爵邸の来賓用の宿泊部屋だと気付く。
しかし彼女はまだ違和感がある事を分かるまでに数秒間かかってしまう。
そうだ!
昨夜、旦那様の部屋に行って思い切り甘えたんだっけ……
やっと昨夜の事を思い出したナディア。
いつの間にか元の部屋に居るのはルウが上手く戻してくれたのだろう。
旦那様、やっぱり凄いな!
昨夜アデライドの言いつけを破った罪悪感を少し感じるが、ルウはしっかりと、そして優しく受け止めてくれた。彼女にはそれがたまらなく嬉しかった。
ナディアは急いで普段着用のブリオーに着替えるとドアを開けて廊下に出る。
彼女は貴族だが気軽に着れるこのブリオーを愛用していたのだ。
階下からは料理を作っている良い香りが漂って来ている。
そう言えば!
……ボクもいろいろ花嫁修業しなくちゃ!
ナディアは大きく頷いて気合を入れる。
「ボクも手伝います!」
凛とした声が響くと、華奢なナディアの身体は屋敷の厨房に勢いよく飛び込んで行ったのであった。
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