第93話 「記憶」
きさくな雰囲気で、ルウが差し出した手に吃驚し、一瞬躊躇したジョルジュではあったが……
軽く息を吐くと、思い切ってルウの手をしっかり握る。
そして改めて大きく頭を下げた。
様子を見守っていたドミニク・オードランが、ふとアデライドの方を見ると笑って頷いていた。
成る程……
プライドの高いジョルジュ坊やに頭を下げさせる何かがあったという事ね……
ドミニクはそう考えた。
だが、フランの婿とこの弟が仲良くやってくれる事に異存はない。
「さあ、春とはいえ冷えてきたわ。早く中へ入りましょう」
アデライドの促す声で皆は、屋敷の中へ入って行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後6時30分、ドゥメール伯爵邸大広間……
既に夕食会の準備は出来ている。
ルウの発案により、飲み物は水属性凍結魔法によって思い切り冷やされていた。
試したアデライドがすっかり気に入って採用したのだ。
またドミニクの年齢も考えて立食ではなく、オーダー制の食事会にした。
参加者はメニューを書いた紙を渡され、好きな物を注文する。
当然、料理をその都度作ると大変な事から、殆どが作り置きしたものではあるが……
全員着席したのを見計らい、冷えたエールのマグカップが各自に回される。
ヴァレンタイン王国では15歳から飲酒が許されている。
それ故、最年少である16歳のオレリーがエールを飲んでも全く問題はない。
オレリーの隣には母アネットも座っている。
アネットの表情は幸せそのものだ。
やがてアデライドが立ち上がり、簡単な挨拶をする。
「皆様、よくいらしていただきました」
アデライドはそう言うと、会場を見回した。
「今夜の宴は私の娘フランシスカ、そしてカルパンティエ公爵のご息女ジゼルさん、そしてシャルロワ子爵のご息女ナディアさん、そしてここに座っているアネット・ボウさんの娘オレリーさんも一緒に、彼ルウ・ブランデルの婚約者、すなわち未来の妻として報告と紹介を兼ねたものです」
ここまで話すと、アデライドは全員に起立を促し、自らマグカップを高々と持ち上げる。
「では乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯っ!」
「乾杯」
「エールを飲み慣れていない人は注意してね。いざとなったら魔法で治癒しますよ」
アデライドが悪戯っぽく笑い、夕食会は始まったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
旧知のフランは勿論、ドミニクはルウの婚約者全員と話して行く。
ドミニクの両脇の席は常に座る顔ぶれが変わっていった。
フランが襲われた事件は王都中に知られた事件だったので良いとしても……
悪魔ヴィネやオレリーの事件はあからさまには出来ない。
その為、ある程度脚色している。
ジゼルとナディアは『狩場の森』での勝負の際、魔物から、
オレリーは街でならず者に絡まれたのを、
共にルウにより助けて貰った事にしていたのだ。
フラン達と話しながら、ドミニクはルウの瞳が気になって仕方がない。
この子の、あの吸い込まれるような瞳。
どこかで見た事があるわ……
ここで、いきなりドミニクの記憶が甦る
ああ、そうよ!
夫から受け継いだ、禁忌とされているあの絵に描かれていたのと同じ瞳だわ。
今は亡きドミニクの夫ガストン・オードランは……
子爵にして創世神に仕える司祭であり、さらに神学者でもあった。
ガストンの研究とは表向きは創世神の事を研究する王道的なものであった。
しかし実のところ、『異端』とされる伝説も調べていたのである。
その『異端な研究』とは、創世神に反逆し、冥界の最深部に堕とされたかつての大天使長ルシフェルの考察である。
ルシフェルは己の力の過信や人間への嫉妬など、安易な理由で創世神に逆らったというのが通説らしかった。
だが、聡明なルシフェルが、
「そのようにつまらない理由で叛乱を起こすのであろうか?」
という疑問がガストンには長年あったらしい。
ガストンは具体的にイメージする為……
ルシフェルを描いた数枚の絵を密かに所有していたのである。
ある時、ドミニクが夫から見せて貰った禁忌の絵……
描かれていたルシフェルの美しさは素晴らしいものであった。
端整な顔付き、無駄な筋肉の全くない美しい肉体、
12枚ある純白の羽を背に持つ神々しい容姿もさることながら……
処罰される覚悟で、絵を描いた画家の思い入れもあったのであろう。
誰をも引き込むような妖しい瞳の輝きに、
ドミニクは一気に心の底まで魅せられてしまった。
亡くなる少し前、ガストンはドミニクに厳命した。
自分が死んだら……
絵を始めとした関係書類を始末し、研究の事は一切口外するなと。
夫の言う通り……
もしもばれたら、背信者として処刑される事は確実であったから。
『遺言』を残して夫が亡くなると、ドミニクは夫の指示通り関係書類を処分した。
しかし絵はどうしても手放せず、屋敷の地下室に隠してある。
そして……
今、目の前に居るルウという男の謎めいた瞳……
可愛がっているドゥメール伯爵令嬢の婚約者がルシフェルと同じ瞳であるとは、驚愕以外のなにものでもない。
い、一体!
彼は、ルウは!
な、何者かしら?
だが……
目の前に居るルウはドミニクから見ても全く邪気など感じられない。
穏やかな笑みを浮かべたルウにフラン達が楽しそうに話しかける光景を見ると……
かつて夫の言っていた言葉が甦って来る。
ルシフェルは『明けの明星』と呼ばれ、
創世神と共にこの世に光をもたらす者であると……
そんなドミニクの『想い』はオレリーの言葉で破られる。
「奥様、奥様!……どうなさいました?」
ドミニクは……
話しかけるオレリーを無視し、ずっと考え事をしていたらしい。
「もしかして、私と話すのがお嫌でしょうか?」
オレリーは泣きそうになっている。
と、そこへルウがやって来た。
「オードラン様、何かオレリーが粗相でも?」
ルウから尋ねられたドミニクは首を横に振った。
「いいえ、私が考え事をしていただけなの。ごめんね、オレリー」
ドミニクに対し、まだオレリーは心配顔だ。
ルウはオレリーの隣に座ると、優しく肩を抱き、髪をすいた。
「オレリー、大丈夫だ。オードラン様は偽りなど仰ってはいない」
ルウの言葉を聞き、やっと安心したらしい。
オレリーは強張った笑顔を見せる。
「は、はい、旦那様! でも……」
オレリーの言葉を遮ってドミニクが申し訳無さそうに口を開いた。
「オレリー、ごめんなさい。本当に私が悪かったの」
「お、奥様……」
「ぼうっとして、考え事なんかしていたから。それにルウ、アデライド同様、私の事はドミニクと呼んで欲しいわ」
そしてドミニクは悪戯っぽく笑う。
「ルウの言葉遣いって、うふふ……よそ行きな感じで無理しているのが丸分かりよ。いつもの貴方通りで良いわ」
図星という面持ちで、ルウがばつが悪そうに頭を掻く。
「じゃあ……お願いついでに貴女を『婆ちゃん』って呼んでも良いかな?」
「ば、婆ちゃん?」
あまりにも砕けた呼び方に、ドミニクは呆れ顔だが……
ルウの話にはまだ続きがありそうである。
「フランの婆ちゃんなら俺にとってもそうだ」
「ええっ? フランのばあちゃん?」
「実は……俺を拾って育ててくれたアールヴのソウェルを爺ちゃんと呼んでいたんだけど、嫌かな?」
ドミニクもさすがにアールヴ一族の頂点に立つソウェルの称号は知っている。
「アールヴのソウェルに拾われたの? ……爺ちゃんって……そうか、ルウは孤児なのかい……」
ドミニクはしばし考え込むが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「構わないよ、ルウ。お前の『婆ちゃん』で……その代わりフラン達を絶対に幸せにするんだよ」
「ようし! 任せろ!」
大きな声で誓うルウの決意。
聞きつけたフランが駆け寄って来る。
その言葉こそ……
フランがルウの事を好きになったきっかけであり、彼女が大好きな言葉であったのだ。
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