第922話 「アドリーヌの帰郷《60》」
「タチアナ~っ!」
フェルナンは叫ぶ。
絶対先に告げなくてはならない、お前の思い込みは誤解だと。
許されないのは、この俺の方なのだと。
愚かな俺を……タチアナは快く許してくれた。
そう……
人生の決断が出来なかった後悔から身を持ち崩し、悪魔に魂を奪われかけたフェルナンを見捨てなかったのだ。
「許してくれ! お前の気持ちを見抜けなかった俺を!」
「いいえ、許して貰うのは私よ……だって……」
タチアナが、俯いて懺悔する。
その姿は痛々しい。
見守るフェルナンは、とても辛くなる。
心の底から詫びたくなるのだ。
「違う! 俺に勇気がなかった。それに分かるよ、貴族の娘は父親の言う事には逆らえない」
「…………」
「済まない! 俺はあの時、大人の男になる覚悟がなかった。だからお前を妻にしたいというひと言が、お父上に言えなかった……」
「フェルナン……」
「だが、もう後悔はしたくない」
フェルナンは、まっすぐタチアナを見つめた。
「タチアナ、お前を愛している。俺の妻になってくれ、結婚しよう」
「わ、私も! 貴方が好き! 良く分かったの、私が本当に愛しているのは貴方なんだって」
「タチアナ!」
「で、でも私……」
「な、何?」
まだ何か、タチアナにとって気にかかる事があるのだろうか?
フェルナンはこの際、はっきりさせたかった。
自分の全てを知られたように、彼女の全てを知りたかった。
新たな決意が生まれて来るから。
今の自分にならタチアナの全てを受け入れられる気持ちになれるから。
「フェルナン、貴方には正直に言います。カントルーヴ家はもうお終いです」
「お前の家がお終い? 何故?」
「私が大事な結婚を駄目にしたので……面子を潰されたと、寄り親からは見放されました。父はいずれ左遷されるでしょう」
「…………」
「没落する貴族の娘である私に、もう何の価値もない。貴方は……私みたいな出戻り女を妻にしても何も得るものはないのよ」
「ああ!」
フェルナンは、思わず叫んだ。
タチアナの言った事に同意したからなどではない。
自分への深い思い遣りを感じたのだ。
フェルナンがこれから貴族として上へ行く将来を慮って。
結婚する妻が良い家柄の娘なら、騎士である夫フェルナンの出世に繋がるが……勝手な理由で離縁を申し出たタチアナは寧ろ逆。
自分が妻では、貴族社会において足を引っ張りかねないと、危惧してくれたのだ。
やはりタチアナは優しい。
気配りが出来て自分を深く愛してくれている彼女を、もう二度と放したくないと思う。
だから、フェルナンは言う。
はっきりと言い切る。
「何を言っている。お前が嫁になれば、俺は最高に幸せになれる。だから……結婚しよう!」
「あ、あああ……」
「俺もお前も、もう柵はない。俺達を縛るモノは、もう何もありはしないんだ」
「フェルナン!」
「おいで、タチアナ。今度こそふたりで幸せになろう」
「はいっ!」
ふたりはお互いに走りだした。
そしてかたくかたく抱き合う。
楽園に佇んでいたふたつの影は、今ようやく『ひとつ』になったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝……
まだ夜は明けきっていない。
しかしコレット家では、隣接するダロンド家へ赴く準備が進められほぼ完了していた。
あとは日の出……太陽が地平線から顔を出したと同時に出発するだけだ。
メンバーはデュドネ、マクシミリアンと従士10名がコレット家の一行。
それにルウ、アドリーヌ、モーラル、そしてバルバトスが加わる計16名だ。
と、その時。
コレット家従士長のオラースが顔色を変えて飛び込んで来たのである。
思わずデュドネは眉を顰める。
「何だ? 騒々しい」
「だ、旦那様!」
「むう! お前が騒ぐと碌な事が起こらん」
フェルナンが失踪した時も、オラースが慌てふためいて報せて来た。
変事の原因は、オラースのせいではない。
長年、コレット家へ忠実に仕える従士長の気持ちを考え、マクシミリアンが庇う。
最近特に気難しくなり、暴言が多い父デュドネのフォローをする事が多いのだ。
「父上、そのような言い方ではオラースが気の毒です。オラース、どうした?」
「魔法鳩が! ダロンド家からの鳩便が参りました、それも付けられていた手紙には緊急の刻印が!」
「何! 緊急だと! オラース、こちらへ渡せ」
ダロンド家からと聞いた、デュドネが色めき立った。
吉報か? それとも凶報か?
どちらにしてもフェルナン失踪に関してのなのは間違いないと思われた。
デュドネは、差し出した手紙を引っ手繰るように受け取る。
宛名は……丁度デュドネとなっていた。
これは……親友ユーグからの手紙。
筆跡にも見覚えがある。
中身が余計に気になる。
デュドネは急いで封を切った。
これから出かける事に重大な影響がありそうだと、マクシミリアンを含めたコレット家の面々も注目していた。
一方、ルウ、アドリーヌ、モーラル、バルバトスは平然としていた。
まるで内容が分かっているかのように。
マクシミリアンは自分の妹をちらっと見て、あまりにも冷静なのに驚く。
そんな中、封を切ったデュドネは唸ったまま、一層眉間に皺を寄せた。
「むむむ!」
唸るデュドネ。
良い報せ、悪い報せ?
一体どちらなのだろう?
マクシミリアンは、難しい顔になった父へ尋ねるしかない。
「どうしました?」
「一応……吉報だ」
「一応? 吉報……なのですか?」
一応、吉報?
マクシミリアンは、父の言葉を心の中で繰り返した。
微妙な反応だが、最悪の事態は避けられそうだ。
続くであろう、父の言葉を待つ。
「ああ、フェルナンは……今日未明に無事、ダロンドの屋敷へ戻って来たそうだ」
行方不明のフェルナンが無事戻って来た。
やはり良い報せではあった。
しかし父は訝しげな表情を変えない。
マクシミリアンも、釣られて怪訝な表情となる。
「戻って来た?」
「ああ、無事……としか書いておらん。心配無用とも書いてある……」
「成る程……」
不可解だが、情報が無い中、事実を受け止めるしかない。
と、そこへ、
「まあ、良かったです。ならば、予定通りに出発しましょうか。我が家同様に『提案』をする良い機会ですわ」
アドリーヌが、明るく元気な声で出発を促した。
「むう!」
「…………」
デュドネは唸り、マクシミリアンは黙り込む。
緊迫していた中で、あまりにも不自然な、アドリーヌの態度。
「え? あ、あれ?」
父と兄のジト目を受けて、アドリーヌは思わず顔を伏せてしまったのであった。
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