第92話 「歩み寄る心」
ドゥメール伯爵邸正門前……
今夜はドゥメール家にとって、近しい間柄の人間を招待した特別な夕食会が開かれる。
その招待客のひとり……
フランが『祖母』と呼び敬愛するドミニク・オードランを乗せた馬車が門の前に停まった。
馬車の扉が開き、老齢の男が一足先に降り、
そしてドミニクの手を取って降りた。
武人の雰囲気を持つ男は……
貴族の地位を王国へ返上したオードラン家において、唯一残った使用人であり、かつてドミニクの夫ガストンに仕えたセザール・シャンブリエという名の従士である。
長年の風雪に耐えたといってもいい、深い皺の刻まれた顔は表情を殆ど表に出さない。
セザールも、主ともども今夜の食事会に招待されていた。
ちなみに主従が留守のオードラン家には、アデライドから王都騎士隊へ警備の依頼が出されている。
「奥様、そんなに急がなくても……」
主の為、セザールが注意するがドミニクの歩みは止まらない。
「ふふ、わくわくするわ。私にとっては孫同様のフランが結婚するのよ。セザール、貴方も小さい頃から彼女を知っているでしょう、凄く楽しみじゃない?」
「はい、それは仰る通りでございますが……」
セザールが静な口調で答えたその時。
ドミニクの直後に到着した別の馬車から、何人もの若い女性の声が聞こえた。
かと思うと……そのうちのひとりが大きな声をあげる。
「お祖母様~!」
「あらあらあら!」
ドミニクにとっては、とても親しみを覚える声だ。
そう、彼女を大きな声で呼んだのは孫娘に等しいフランである。
フランは、一気にドミニクへ駆け寄るとその胸へ飛び込んだ。
数人居る女性のひとりは、ドミニクが先日雇ったばかりのオレリーである。
「奥様、お疲れ様です」
オレリーは「ぺこり」と頭を下げた。
「お疲れ様、オレリー。アネットはどうしたの?」
オレリーの母アネットの姿が見えないのが、ドミニクには気にかかったらしい。
「はい、奥様! 母はどうしてもお手伝いがしたいって厨房に!」
オレリーの答えを聞いたドミニクは嬉しそうに目を細めた。
アネットは少し身体が弱かっただけで、実際、相当な働き者である。
ルウが施した治癒魔法で体調の心配がなくなったどころか、以前よりまして元気になった。
フランの紹介で面接を受け、気さくで誠実な人柄をドミニクに気に入られ、雇われてから……
ドミニクの好みを聞き、即座に厨房へ入って得意な料理を作ったり、屋敷の掃除を隅々まで行ったり、まめまめしく働いていた。
そんなアネットは、本日の夕食会の手伝いを申し出て、ドゥメール伯爵邸の使用人達と一緒に立ち働いているようだ。
主のドミニクはやはり自分の見込んだ通りだと喜んでいる。
「それはお疲れ様。で、こちらがジゼルさんとナディアさんだね」
続いてドミニクの視線は、オレリーの傍らに立っていたふたりへ移る。
「は、初めましてジゼル・カルパンティエです」
「初めましてナディア・シャルロワです」
こうして……
ドミニクを、ルウの許嫁4人が囲む。
「皆、可愛くて綺麗だ。こんなに美しい娘達を一度に嫁に貰う不届きな殿方は彼なのかい?」
ドミニクの言葉に反応し、フランがルウへ合図をする。
「はい、この度はご足労頂きありがとうございます。ルウ・ブランデルです」
ドミニクへの挨拶は、フランがルウへ徹底的に教え込んだものだ。
普段のルウに、全く似合わない言葉遣いに、誰かがくすりと笑う声がした。
「ほう、黒髪に黒い瞳ね、ルウさんは東方の方なのかい?」
何気なく、ドミニクはルウの瞳を覗き込んだ。
すると、ドミニクはルウの瞳に吸い込まれるような錯覚を覚える。
まるで……
漆黒の玻璃のような不思議な輝きだった。
思わずドミニクの足もとが「くらっ」と揺れる。
瞬間!
ルウが、さっと動いてドミニクを支えた。
「あ、ありがとう……さあアデライドの所へ行くとするかね」
さすがに、ドミニクの声はかすれていた。
フランを始め4人の娘達はドミニクを心配そうに見つめている。
セザールが慌てて駆け寄り、改めてルウからドミニクを受け取ると……
彼女が倒れないように支えた。
「だ、大丈夫よ、心配しないで」
ルウやフラン達にそう答えながら……
ドミニクは全く違う事を考えていた。
ルウという名の、彼のあの瞳……
どこかで見た事がある。
ええっと、確か……
ううん、駄目だ。
思い出せない……
密かに自問自答しながら、ドミニクはセザールに支えられ、
4人の娘達と共にドゥメール伯爵邸へ向かったのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「オードラン様! どうかされましたか!?」
屋敷の入り口で一行を待っていた家令ジーモンは、セザールに支えられたドミニクを見て、血相を変えた。
「ちょっとね、眩暈がしただけよ」
セザールは主を心配そうに見つめている。
そんなセザールを見て、
ジーモンが促すように「ルウ様」と呟いた。
ルウはそれだけで、全てを了解したようである。
「セザールさん。オードラン様をしっかり支えていてくれ」
ルウは神速で言霊を唱える。
「治療」
気つけの治癒魔法なのであろう。
ドミニクは顔を2回、3回と左右に振り、にっこりと微笑んだ。
「聞いていた通り……凄い治癒魔法ね。ルウさん。ありがとう」
ドミニクは礼を言い、軽く息を吐くと話を続けた。
「ウチのアネットが感謝していたわ、貴方の事」
オレリーを自宅に送った時……
臥せっていたアネットに対し、ルウは治癒の魔法を掛けた。
貧しく治療もままならなかったのに、
今や、元気に働ける。
その上、愛娘まで幸せにして貰った。
ルウから受けた大恩を、アネットは忘れてはいない。
結婚相手がルウならばと、手放しで喜んでいるらしい。
と、そこへアデライドが支度を整え、
フランの弟ジョルジュと共に現れた。
「オードラン様。ご無沙汰しております。本日は良くいらっしゃいました」
「ふふふ、やめてよ。そんな他人行儀な言い方……いつもの呼び方でお願い出来ないかしら?」
軽く睨むドミニクに対し、アデライドも嬉しそうに微笑んだ。
「分かりました。ではドミニクおば様」
「宜しい!」
「うふふ、この夕食会はおば様へ、フラン達の婚約披露の場でもありますから……たっぷり楽しんでください」
そう言うと、アデライドはジョルジュに目配せする。
「ジョ、ジョルジュです。お祖母様、ようこそいらっしゃいました」
「おや、ジョルジュ坊かい! とても立派になったねぇ」
ジョルジュは少し顔を赧め、ドミニクに一礼した後、
ルウを振り返る。
「あ、兄上! あ、危ない所を助けていただき、本当にありがとうございましたっ!」
思わず、フランが表情を変えた。
弟ジョルジュのプライドの高さや性格を考えたら、
このような謝辞は有り得ないからだ。
とても驚いたフランではあったが……
ルウが穏やかに微笑みながら、弟へ握手を求めたのを見て、
一転、とても嬉しくなったのであった。
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