第918話 「アドリーヌの帰郷《56》」
ルウは、ヘレヴの攻撃を軽々と躱す。
何故か攻撃せずに、ひたすら躱し続けた。
と、その時。
『ルウ、何を悠長に遊んでおる!』
『そうじゃ、まどろっこしい! 妾達の力を使え』
ルウに、またも女の声が響いた。
魂へ、まるで煽るように呼びかける念話である。
それも……ふたり。
先程の助けを呼ぶ女の声とは全く異なった、気品のある別の声だ。
だが、ルウは声の主を知っていた。
『空気界王、水界王』
呼びかけたのは高貴なる4界王のふたり、空気界王と水界王であった。
シトリーの異界でモーラルに助力した上級精霊達はルウに付き従い、この現世へと降臨していたのである。
『ルウ! あの悪魔の思惑通りにはいかぬ。お前の秘めたる力を使わずとも、あのような木偶など我らの魔力で充分だ。かつてお前が、青銅の巨人を捕らえた時のようにな』
空気界王が言ったのは、以前ルウがロドニアへ旅した際に取った方法だ。
古に滅んだ南の女神が繰り出した守護者、青銅の巨人を行動不能にした究極の精霊魔法。
空気界王が放つ、全てを凍てつかせ行動不能にする大気。
水界王が行使する、未来永劫溶ける事のない嘆きの川の氷塊。
大いなるふたつの力で、青銅の巨人を容易く縛り、異界へと封じ込めたのである。
※第583話参照
しかし、ルウは首を振った。
『いや、やめておこう。あいつに魔力をぶつけるとこうなるからな』
ルウは向かって来たヘレヴの蹴りを躱すと、振り向きざまに風弾を放った。
風の魔法使いが最初に覚える初級魔法であるが、ルウの風弾は規模がまるで違う。
強固な街の外壁さえ簡単に破砕するのだ。
風弾をまともに受けたヘレヴは衝撃で数十m吹っ飛んだ。
何回かバウンドし、地へ倒れ込んだヘレヴ。
だが、暫くすると「むくり」と起き上がった。
ヘレヴの全身は眩く光っている。
空気界王がヘレヴを見て、納得したような声で言う。
『ほう! 確かに、あのクサレ悪魔の言う以上らしいな』
ヘレヴの身体が光っているのは、風弾によるルウの魔力を吸収したからである。
悪魔ネビロスは言った、ヘレヴは相手への接触により魔力を吸収すると。
その言葉は偽りではなかった。
しかもヘレヴはそれ以上の力を有していた。
敵から受けた魔法を吸収し、自らの魔力へ転換するという能力も備えていたのである。
更に風弾による衝撃も、特殊な鎧と魔導皮膚のお陰で殆どダメージを与えてはいないようだ。
『ははははは』
しかし、空気界王は大笑いした。
『笑止! ならば奴が魔力を吸収する限界以上の魔力をぶつけてやれ! 我が魔力は無限! 思い切り使えば良いっ!』
大気に含まれる魔力の素は空気界王が創り出すこの世界の魔力の源である。
無限なる魔力の創造主がこの空気界王なのだ。
『ふん! 青銅の巨人に使ったほんの数倍の魔力をぶつければ、あの人形など我が魔力を吸収しきれず粉砕されるだろうよ』
『空気界王の言う通りじゃ! 妾の魔力も使えば完全に無に帰る』
『そもそもルウ! お前の魔力をほんの少し使うだけで充分ではないか。あの程度の人形は簡単に破壊出来るぞ』
確かにルウが本気を出せば、ヘレヴに過剰な魔力を与えてパンクさせる事は容易い。
そしていくら強固な装甲を持つとはいえ、身体強化魔法による魔導拳の膂力で破壊する事も可能なのだ。
だが、ルウは首を振った。
やはりこちらから攻撃をせず、ずっと避けているのには理由がありそうだ。
『考えてみよ、ルウ。いちいち戦うのも面倒。破壊せずとも青銅の巨人のようにお前の得意な対転移魔法でどこかの異界へ飛ばしてしまえば済む』
空気界王の言葉を聞いたルウは、ポンと手を叩く。
『成る程! 空気界王、名案だな、確かにそうすれば良かったかな?』
『そうすれば良かったかなだと? ……あはは、本当にお前は惚けた男だ』
『ほんにのう、うふふ』
呆れたように苦笑する、空気界王と水界王。
ルウはふたりへ穏やかに微笑む。
『ははっ、ありがとう。だが俺には考えがあるのさ』
ルウの言葉を聞いた空気界王達は、彼の考えを理解したらしい。
『ふうむ……奴を……救うのだな? ……お前は本当に優しい。だから我等も心からお前を慕い、付き従うのだ』
『その通りじゃ! お前が哀れな魂の残滓を救う……ならばこの場は任せよう、だが妾達の力を欲するのならいつでも言えば良い。それに……』
水界王も空気界王に同意し、そして……
『気配を感じる! 火界王、地界王ともども近くに居る。お前が心配なのだろう、ははは、地界王のじゃじゃ馬娘までおるぞ!』
この現世に、高貴なる4界王の4人が一堂に揃う。
それは、何かのきっかけになるのかもしれない。
しかしルウには今すぐにやる事がある。
助けを呼ぶ謎の声の秘密を見抜いたからだ。
悪魔ネビロスの邪悪なたくらみ。
ガルドルドの対悪魔兵器ヘレヴの力ではルウを倒せない事を……ネビロスは最初から知っている。
ネビロスにとって、所詮ヘレヴは使い捨ての駒なのだ。
ルウの秘めたる力を引き出す為の道具に過ぎない。
そのヘレヴが迫って来る。
感情を持たず命令に従い、今度こそルウを打ち倒そうと。
そして!
ルウは何と反撃する。
魔導拳による突きや蹴りを繰り出したのだ。
今度はヘレヴがルウの攻撃を受ける番となった。
ルウの攻撃はヘレヴの最高速度を完全に上回っている。
あっさりヘレヴは打撃を受ける。
一見無人の闘技場に、鈍い音が何度も響く。
だがルウの攻撃を受ける度にヘレヴの身体が輝く。
それこそ、ネビロスの思うつぼだ。
「ははははは! ヘレヴ! ルウの魔力を吸え! 遠慮なく吸収するんだぁ」
なおも攻防は続き、何故かヘレヴの右手がルウの腕を掴んだ。
まるでわざと掴ませたようである。
「やった! ヘレヴよ、どんどん吸ってしまええっ! ははははは!」
ヘレヴの全身が今までにないくらい眩く輝いた。
ネビロスの絶叫と高笑いが響くが……
ルウは、まるで気にせず不敵に笑う。
「ははっ、吸収される俺の魔力の流れがヘレヴの仕組みを露わにした。……とうとう見つけたぞ」
「な、な! なに~っ!?」
ネビロスが、大声で驚くのも無理はない。
魔力を吸収されるルウの身体が、ヘレヴ以上に眩く輝いていたからであった。
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