第917話 「アドリーヌの帰郷《55》」
数千年前に滅んだガルドルド魔法帝国が、試作品として開発した古代の対悪魔兵器。
戦闘用自動人形のヘレヴが、ルウへと迫る。
野を行く獣のように、凄まじい速さで駆けて来る。
魔力で動く人造の自動人形故、人間の走る速度を大幅に上回っていた。
しかしルウは構えもせず、待ち受けている。
既に身体強化の魔法は無詠唱で発動。
結果、頑健さは勿論、身体速度等も大幅アップしていた。
ルウの眼差しが鋭い。
自動人形ヘレヴの体内に流れる魔力と共に、放出される魔力波を見極めようとしているのだ。
彼が使っているのはアールヴの長ソウェル直伝の秘拳『魔導拳』の奥義のひとつ、魔力波読みである。
この世界に生きとし生けるものは全て魔力を持ち、魔力波を発する。
無機質なものさえ魔力波を発するのだ。
中でも、特にアクションを起こす際の魔力波は、識別しやすい。
放出される魔力波が行動は勿論、感情さえも表すからだ。
魔導拳の奥義を極めたルウはその魔力波を事前に読み取り、相手の行動を予測してしまう。
いわば、相手の意思や行動を事前に見切ってしまうと言える。
ルウが見るところ、ヘレヴは自分の感情を殆ど持っていないようだ。
感情の起伏がない魔力波が伝わって来る。
ネビロスから命じられ、ルウへの殺意を持っているに過ぎない。
もうルウの寸前にヘレヴが居た。
ヘレヴの右手から結構な魔力の高まりを感じる。
これは!
鋭い踏み込みから、ヘレヴの突きが繰り出された。
ぎりぎりまで引き付けて、ルウは避けた。
ルウの背後には石扉があったが、ヘレヴは躊躇しなかった。
小さな拳が石扉へと吸い込まれた瞬間!
轟音が鳴り響き、分厚く頑丈な石扉が粉々に砕け散る。
突きを外したヘレヴは、「わけが分からない」というように首を傾げていた。
自分の会心の突きを躱した事が、信じられないようだ。
しかし、悔しがるという素振りではない。
単に計算が合わないという、淡々とした反応である。
ヘレヴの攻撃を躱したルウは、10mほど離れた場所に立っていた。
ルウも穏やかな表情で、しれっと言う。
「爺さん、扉が思いっ切り壊れたけど、構わないのか?」
「な、何?」
「この闘技場は、お前の手下に命じて折角作ったのだろう? 同じお前の部下が派手に壊したぞ」
ルウの人を喰ったような発言に、ネビロスは憤る。
「う、うるさいっ! そんな事は構わん」
「ほう、そうなのか。じゃあどんなに壊してもOKなんだ?」
「小僧! 相変わらず口が減らぬ奴。ヘレヴ! 殺せ! 容赦なく殺すんだぁ」
古代闘技場に響く、ネビロスの絶叫。
ヘレヴは小さく頷くと、ルウへ向き直った。
そしてまた地を蹴ると、勢い良くルウへ迫る。
速度が更に上がっていた。
どうやら相手のルウに合わせて、対応したらしい。
ルウに向かって繰り出される突き、蹴り。
腕が伸び、蹴りの軌道が自在に変わる。
人間ではありえない角度に関節が曲がり、思いもかけない方向から蹴りが来る。
まるでこれは、かつてルウが戦ったドゥメール伯爵家家令ジーモンの拳法だ。
魔導拳は、成長し続ける拳法である。
数多の種族に比べて、膂力に劣ったアールヴが生み出した最強の拳法だ。
神に近い底知れぬレベルの身体強化及び攻撃防御魔法、そして卓越した体術を組み合わせて、無敵を誇る。
その上、戦った相手との経験も全て取り入れて糧としてしまう。
ちなみにルウは、師シュルヴェステル・エイルトヴァーラが戦った数千年の経験則も自分のものとしているのだ。
ルウは戦いながら、ヘレヴに対しての分析を冷静に進めていた。
ヘレヴの戦いぶりを見て、ルウがまずイメージするのはモーラルである。
夢魔モーラであるモーラルの約150㎝の体躯と、ヘレヴはほぼ同じ。
そんなヘレヴの動きは、魔導拳を使うモーラルの動きに酷似している。
その上、ヘレヴには魔力吸収の能力があると、ネビロスは言った。
したたかな悪魔の言う事なので罠である可能性もあり、簡単に鵜呑みには出来ない。
だが、事実であれば……
ヘレヴの特性は魔力吸収を得意とするモーラルそのものなのだ。
またヘレヴは腰にミスリル製らしい魔法剣を提げている。
属性魔法を纏わせて、戦うのなら自分やミンミのような魔法剣士なのだろう。
魔法剣への対処も必要となる。
結局、ルウはヘレヴの突きや蹴りを全て躱してしまう。
ヘレヴは更に4段階、都合5段階速度を上げたがルウは全て見切ってしまったのだ。
飛び退ったヘレヴは、ルウを見て再び首を傾げる。
ルウに対して、今迄経験した事のない未知の存在だという認識を持ったらしい。
ヘレヴは、無造作に腰の魔法剣を抜く。
持つ剣へ魔力が込められる。
火の波動を感じたルウは剣を見据える。
思った通り、「ごおっ」と猛炎が噴き出した。
やはりミンミと同じ……かと、ルウは思う。
ルウの妻であるアールヴのミンミは魔法剣の使い手。
ふたつ名『炎の飛燕』という炎の魔法剣を得意としているのだ。
ルウを見据えたヘレヴは炎を纏わせた剣を振るい、最高速度で飛び込んで来た。
これまた、体術に劣らない凄まじい剣捌きである。
炎の魔法剣が円を描き、ルウの首を落とそうとする。
薙ぎ払われ、ルウの胴体を切断しようとする。
ルウはミンミを含めてアールヴの魔法剣士とは散々戦った。
ましてや、この世界最強の魔法剣士は7千年の戦闘経験を持つシュルヴェステルと言い切って過言ではない。
ルウは修行の最終段階では師の剣も見切っていたから、ヘレヴの剣を避けるのは容易である。
またもやヘレヴの攻撃を楽々と躱したのである。
と、その時。
『殺さないでっ』
『…………』
『お願い、壊さないで!』
またもやルウの魂へ内なる声が聞こえて来たのだ。
先程より更に切迫した声である。
『……大丈夫だ』
ルウは剣を避けながら言う。
『心配するな、お前を必ず助けよう』
『…………』
言葉を発した相手から返事は戻って来ない。
しかしルウの魂へは、ホッとしたような相手の安堵の感情が伝わって来たのであった。
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