第898話 「アドリーヌの帰郷㊲」
驚くアドリーヌへ、ルウは説明を続ける。
キーマンとは一番縁遠いアドリーヌの兄マクシミリアンがキーマンになりうる理由を。
「アドリーヌ、利に聡い人間というのはやはり利に目が行く。優先するのは感情よりもまず利害なのさ。それに敵の敵は味方ともいう、モーラルの話を聞いたところ、お兄さんはフェルナンとは相性が悪いというじゃないか?」
アドリーヌはハッとする。
ルウはモーラルの報告も全てインプットして考えを纏めていたのだ。
家族との和解方法ばかり考えていたアドリーヌは、フェルナンと兄の相性など考えもしなかった。
しかし、良く考えてみればルウの言う通りである。
兄はフェルナンとは昔から水と油であった。
敵の敵はこちらの味方になりうるのだ。
「はい、フェルナンは情のない兄とは昔から性格が合いませんでした」
「ならば尚更だ。フェルナンと敵対するお兄さんを味方にするのが今回のパズル完成への早道だ。それにお兄さんは冷酷じゃない。アドリーヌの言う通り冷酷で情が一切無いなら、コレット家をとっくに見限っている筈だ」
兄が冷酷じゃない?
コレット家繁栄の為には魔法鑑定士に必ずなれと冷たく言い放ち、意に従わぬ自分を激しく詰った兄が?
「え?」
アドリーヌが意外そうな表情をすると、ルウがその理由を教えてくれる。
「お兄さんは長男で跡取りという柵を正面から堂々と受け入れて、コレット家を何とか繁栄させようと頑張っているのだから」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、本当に冷徹で計算高い人間なら自分だけ良ければと、今頃は全てを見捨てているよ。アドリーヌを王都へ送ってくれたのも思い切り自由に勉強させてやる為さ」
「…………」
まだ納得がいかないのだろう。
アドリーヌは眉間に皺を寄せた。
「アドリーヌが怒るのも分かる。何かにつけてお兄さんの言葉がきつかったのだろう? 相手に対して何の気遣いもない言葉は簡単に心を傷つける、鋭利な刃と同じだからな」
「ええ、兄の言い方や態度は本当に酷かったのですよ、今でも決して忘れません!」
ルウが同意してくれたので、アドリーヌはホッとする。
兄マクシミリアンには度々辛くあたられた。
思い起こせば、何かにつけて罵倒の嵐を浴びせられたのだ。
「そうか、ならお兄さんは俺に似ているかもしれないぞ」
「え? 旦那様に?」
「ああ、はっきり言って俺は不器用だ。誰にでも態度が偉そうだし、頻繁に心無い言葉を投げかけて、すぐに後悔する」
「違います! 旦那様は絶対に偉そうじゃありません、誰にでもざっくばらんでフレンドリー過ぎるんです」
「ざっくばらんでフレンドリー過ぎるか……まずいな、今後もっと気を付けるよ。それに俺は余裕がないと焦るから、やはり不器用だよ、なあ、アドリーヌ、そうだろう?」
「う!」
アドリーヌはルウの言葉を聞いて返事に詰まった。
余裕がないと焦る……
ルウが自分の欠点のように言うが、それはまさにアドリーヌ自身の欠点を指摘していたからだ。
他人からあからさまに欠点を指摘されて良い気分になる人間は稀である。
笑顔のルウがハッとする。
言ってから、気が付いたらしい。
「ああ、御免! 俺また余計な事言ったな……申し訳ない」
謝るルウへ、アドリーヌはジト目で睨む。
頬が膨らみ、口が尖っている。
「旦那様、本当にひと言多いです。でも……」
アドリーヌはそう言うとルウに抱きついた。
顔をルウの胸にすりつけて甘えまくる。
「わざとでしょう? 今そう言ったの?」
「そんなことないぞ、俺はひと言どころか、ふた言以上も多いんだ」
「もう! 嘘つき! ……でも旦那様の仰りたい事が分かります」
そう、アドリーヌには分かった。
愛する夫の言いたい事が。
ルウは兄と仲直りすれば良いと助言しているのだ。
相手の本質を理解した上で、和解出来ればアドリーヌは更に幸せになれると、ルウは言っている。
一見冷酷に見える兄が、本当は違う。
極端に不器用なだけで、実は優しい兄。
分かり合えれば、必ずルウとの結婚だって祝福してくれる。
アドリーヌはルウの胸に顔を埋めたまま、なかなかあげない。
愛する夫の優しさに感激したアドリーヌは思わず涙がにじんでしまったのである。
そんなアドリーヌの姿を同じ妻のモーラルは勿論、悪魔のバルバトスさえ慈愛を込めた眼差しで見守っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝、午前4時……
辺境にあるコレット家の朝は早い。
当主以下全員がこの時間にはもう起きだしている。
農民を兼ねた従士が長男マクシミリアンの下へ手紙を持って来た。
魔法鳩による便で、今朝手紙が届いたらしい。
マクシミリアンは首を傾げる。
ダロンド家以外、あまり人つきあいのないコレット家へは滅多に手紙が来ないからだ。
果たして差出人は誰であろうか?
封書の裏を見たマクシミリアンはため息をつく。
差出人は妹のアドリーヌであった。
フェルナン・ダロンドのアドバイス通りに送った手紙が功を奏したのか?
何故か中を見たくない。
可愛い妹のアドリーヌがフェルナンと結婚するのが嫌だからである。
フェルナンが嫌いなのと同様、マクシミリアンもフェルナンが大嫌いだった。
幼い頃から乱暴且つがさつな少年で、いつも妹のアドリーヌを虐めていたフェルナン。
マクシミリアンにはそれが許せなかった。
一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが、年下の少年に大人げないと思ってやめた。
手を出さないと思ってか、フェルナンはいつしか自分を馬鹿にするようになった。
少なくともマクシミリアンはそう思っている。
本当に嫌な奴、大嫌いだ!
お互いにそう思うと、ますます嫌悪感は加速する。
だからマクシミリアンは、フェルナンが王都へ行ってせいせいしていたのだ。
そんなフェルナンが急に帰郷してアドリーヌが好きだと言って来た。
不思議だった。
父デュドネはフェルナンがアドリーヌと結婚することを望んでいた。
ダロンド辺境伯を通じて縁談を数回申し入れている。
だが、いつもフェルナンは一方的に断って来た。
それが急にアドリーヌと結婚したい。
分家を作りたいと希望しているらしい。
当然父は喜んで賛成した。
もうひとりの妹ペラジーを嫁にやっただけでは飽き足らなかったようだ。
父の親友ダロンド辺境伯も喜んでいるという。
末っ子のフェルナンを溺愛しているダロンド辺境伯の事だ。
可愛い息子が結婚する事に、もろ手を挙げて歓迎しているに違いない。
しかしマクシミリアンは複雑な気持であった。
まだフェルナンの兄、ダロンド家の跡取りである長兄は良い。
気が弱いのは玉に瑕だが、人間が善良だからである。
妹ペラジーの夫だから、自分が兄と呼ばれても全然不快ではない。
でもフェルナンは違う。
奴から兄と呼ばれたくない。
虫唾が走る。
ペラジーが嫁いでいるからフェルナンはもう『弟』なのだが、これ以上濃い関係になりたくないのだ。
だが今のコレット家の窮乏ではフェルナンの提案を飲むしかない。
確かに現状を打開する素晴らしい話であるからだ。
マクシミリアンは再びため息をついて手紙の封を破った。
アドリーヌの手紙を読み進む。
読み進むうちにマクシミリアンの表情が変わって来た。
喜びに満ち溢れて来る。
そのような主の変貌を、手紙を届けた従士は不思議そうに見つめていたのであった。
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