第89話 「オレリーの幸せ」
オレリーがフラン達と話をした数日後の朝の事……
ここは魔法女子学園正門である。
今朝も王都セントヘレナは快晴。
少々風があるが、春真っ只中であり心地良いといえる。
正門前に人待ちらしい少女がひとりたたずんでいる。
背まで伸ばした栗色の長い髪が陽の光を受け、きらきらと光っていた。
鳶色の美しい瞳が遠くを見つめていた。
しばらくすると……
少女の口元に笑みが浮かぶ。
やがて……
馬車が1台やって来た。
堅牢な造りの黒色の馬車は少女の前に停まった。
扉が開き、まず若い黒髪の男が降りる。
平民らしい長身痩躯の男は、濃紺の法衣を着用しており、魔法使いのようである。
男は馬車のすぐ傍らに控えた。
やがて……
落ち着いた雰囲気の貴婦人が姿を見せた。
男は貴婦人の手を取り、そっと降ろしてやる。
次に美しい貴族令嬢が現れ、同じく男に手を取って貰い降りた。
この様子を護衛役である若い男性騎士が数人見守っている。
魔法女子学園の正門に詰めている王都騎士隊勤務の彼等にとっては毎朝見慣れた光景である。
美しい貴族令嬢に柔らかな笑みを向けられた男。
普通であれば嫉妬されるのであろうが……
逆に彼は騎士達から尊敬されていた。
今や公然の秘密ではあったが……
かつて男は、邪悪な魔法を使う異形の怪物共からこの貴族令嬢を救った。
それも単に救っただけではない。
襲いかかる怪物どもをたったひとりであっさりと殲滅したという。
男が若輩ながら、騎士達に慕われ尊敬されているのは他にも理由がある。
この事件で異形共に喰い殺され、殉死した先輩騎士達の仇を討った事だ。
それどころか丁重な『弔い』を行った上、遺品まで持ち帰ってくれたと聞いたからである。
男に関する噂はまだあった。
先日模擬試合が行なわれた『狩場の森』の話も伝わっていた。
上位種を始めとした数多のオーガを難なく倒したらしい。
加えて、王国軍を統括するレオナール・カルパンティエ公爵が男をスカウトしようとして、断られたという話も伝わっており……
男の名声は高まるばかりであった。
閑話休題。
「理事長! 校長! お早うございます!」
馬車を待っていたらしい少女は、元気良く挨拶をした。
少女は……
この魔法女子学園の生徒オレリー・ボウである。
転居したばかりの新たな住まいから、魔法女子学園へ登校する初めての日であった。
「あら、オレリーさんお早う! 早いわね」
「お早う! オレリーさん」
挨拶を返したのはアデライドとフラン、
そして……
「おお、良い朝だな。オレリー」
「はいっ! お早うございます!」
旦那様! という続く言葉をオレリーが呑み込みながら……
元気一杯に挨拶をしたのは長身痩躯の男……
すなわちルウである。
「皆様へお礼を申し上げたくて、待っておりました。おかげさまで母のアネット共々、今日からドミニク・オードラン様のお屋敷で働かせていただけるようになりましたので……本当にありがとうございました」
「良かったわね、オレリーさん。お祝いを兼ねた詳しい話は改めて今夜しましょう」
「はい、ぜひ!」
オレリーに働き口を紹介したフランはとても嬉しそうだ。
今夜はドゥメール伯爵邸にて……
アデライド主催による、ドミニク・オードランを招いての夕食会が設定されていた。
使用人という立場でありながら、オレリー母娘も招かれている。
アデライドは、フランとオレリーのやりとりを見ながら優しく微笑む。
そしてこの場に居る全員へ登校または出勤するように促したのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午前11時50分……
午前の授業は滞りなく終わった。
2年C組の生徒達はフランから出されたふたつの課題をクリアする為、様々なやり方を想定した上で実行すべく頑張っている。
ふたつの課題のうち、やはり注目を浴びるのは『使い魔』召喚である。
だが、生徒達はまだまだ基礎訓練に勤しみ、召喚魔法発動を許可されてはいない。
午後12時を過ぎお昼休みへ入った……
オレリーは本校舎地下の学性食堂へは行かず、母の作った弁当を食べていた。
胸には……
ルウから貰ったあの『ペンタグラム』をつけている。
それはオレリーにとって単なる授業教材ではない。
唯一無二、一番の宝物と言って過言ではないのだ。
長い年月使い込まれた渋い質感は、この学園の購買所で購入したものとは一線を画していた。
「ええっと、オレリーさん……でしたっけ?」
声をかけて来たのは、ジョゼフィーヌである。
1年以上共に学んだ級友なのに、今更、名前を確かめるように呼ばれるのも困った事ではある。
学年首席でありながら、それだけオレリーがクラスの中では目立たなかったのだといえよう。
「その『ペンタグラム』ってどうしたんですの?」
「知り合いから譲っていただいたんですわ」
オレリーはルウから指示された通りに答える。
実は……級友の何人かからも同じ事を聞かれていた。
何故なのか、この魔道具には人を惹きつける何かがあるらしかった。
「少し、見せていただけないかしら?」
これも答えは決まっている。
「このままであれば宜しくてよ」
オレリーが返すと、ジョゼフィーヌはいかにも残念そうな顔をした。
これも他の級友の反応と一緒である。
見るだけでは満足できない。
手に取って触ってみたいというのだ。
オレリーは丁重に断った。
「では、どなたから頂いたんですの? せめてそれだけでもお聞かせくださる?」
答えは決まっていた。
こちらもルウからの指示である。
「譲って頂いた方との約束なので、申しわけありませんが、お答え出来ないのです」
「そうですか……それは残念ですわね」
ジョゼフィーヌはがっかりし、肩を落として去って行った。
オレリーは少し気の毒な気がした。
最近、ジョゼフィーヌは高慢さが和らぎ、素直で可愛くなっていると感じている。
それもこれも……
大胆過ぎるルウへのアプローチからだとクラス全員が認識していた。
これも最初は貴族のジョゼフィーヌが平民のルウをからかうといった趣きがあった。
だが、今はまさに『恋する乙女』そのものなのだ。
贔屓と非難されるのがまずいので、他の級友にも同様の答えを返してはいるが……
特にジョゼフィーヌに対しては、彼女の恋の相手であるルウから譲って貰ったなどと絶対に言えるはずもなかった。
オレリーは大きく溜息を吐くと、気の毒そうにジョゼフィーヌの後姿を見送ったのである。
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