第863話 「アドリーヌの帰郷④」
「アドリーヌのお願いって、一体何だ?」
ルウの問いに対して、アドリーヌはきっぱりと答える。
「私はルウさんの恋人として相応しく振舞えるようになりたいのです」
「相応しく?」
「はい! 誰が見ても貴方の立派な恋人に見えるように……だからお願いというのは……その、これから今すぐに……練習させて下さい」
両手を合わせるアドリーヌの懇願に、快く了解しながらルウは問う。
「練習? 全然構わないけど、どうするんだ?」
「ありがとうございます! ご心配なく、やり方は私が考えています。ではまず立ち上がってみて下さい」
「ああ、立ったぞ」
ルウが立ち上がると、アドリーヌも座っていた椅子からすっくと立ち上がる。
「私を、ルウさんの傍らに立たせてください」
アドリーヌはルウの返事を待たずに駆け寄って、ルウの隣に並んだ。
そしてルウの顔を見上げて言う。
「つ、次に! わ、私と……てててて、手を繫いで下さい」
アドリーヌは盛大に噛みながらもルウの手を取ってしっかり握った。
「うわ! 私、すっごく大胆になってます」
ルウの手から彼の体温が伝わり、アドリーヌは高まる緊張感と湧き上がる嬉しさが身体中に満ち溢れた。
上気した顔で言うアドリーヌに、ルウは頷く。
「おお、手を繫いで並べば俺達は間違いなく恋人同士に見えるだろう。じゃあ大広間へ行って姿見で見てみようか?」
ふたりで並んだ姿を実際に見て確認しようというルウに、アドリーヌは首を振る。
「うう、御免なさい! ま、まだもう少し! 練習がもっともっと必要ですね……このまま歩いてみても良いですか」
「OK、行こう」
ふたりは書斎をゆっくりと歩き回る。
ルウがリードしてくれるが、アドリーヌの歩みはぎくしゃくしており、ぎこちない。
まるで駆け出しの召喚術師が操るゴーレムのようだ。
繋いだ手にもびっしょりと汗をかいていた。
緊張が解けないアドリーヌは自分の至らなさを嘆く。
「ううう、何か情けな~いっ、本当にダメな、私!」
俯いたアドリーヌへルウは優しく声を掛ける。
「アドリーヌ……こんな時こそ気持ちを落ち着かせる為に呼吸法をやってみよう。呼吸法は俺達魔法使いの基本中の基本だからな」
「呼吸法!? な、成る程ですね……ええっと、ああ、こんな大事な時にどうすればいいのか思い出せな~い」
頭を抱えるアドリーヌ。
どうやら極度の緊張により一時的に失念したらしい。
しかしルウは、落ち着くように言う。
「ははっ、焦らないでじっくり思い出すんだ。アドリーヌがいつもやる呼吸法で大丈夫だから」
「ううう、何か、頭が真っ白です。ど、どうすれば……」
「大丈夫だ、問題ない。だったら俺がアドリーヌを導こう」
ルウはアドリーヌを励ますと、きゅっと手を握った。
「あは……何かホッとしました。……ありがとうございます」
ぎこちない笑いを向けるアドリーヌではあったが、彼女の笑顔は誰をもホッとさせるような癒しがある。
「アドリーヌ、お前の笑顔は素敵だし、本当に可愛いぞ」
「本当ですか! ルウさんにそう言われると自信になります」
「そうだ、自信を持て! 穏やかに堂々とするアドリーヌはとても素敵だ」
「はいっ、じゃあ……呼吸法ですよね」
「よし、まずは腹式呼吸をしよう。リラックスして来たら調息を試してみようか。これは出会った頃のフランにも教えたんだ」
「フランさん……いえフランにも?」
「ああ、最初は慣れないから苦しいかもしれないが、ダメだったら腹式呼吸で行こう」
ルウはアドリーヌと一緒に腹式呼吸を始めた。
「背筋を大きく伸ばして……そう、鼻からゆっくりと息を吸い込む。そうだ、そしてお腹に吸い込んだ息を留めて……そう、口からゆっくりと出す」
「ああ、これって!? そうだ、いつもやっています! 思い出して来ましたっ!」
アドリーヌは漸く落ち着いて来た。
忘れていた記憶も戻って来る。
す~……は~……
す~……は~……
「ああ、大丈夫ですよ、ルウさん」
「よっし、じゃあ次は調息だ、やり方は……」
「うふふ、面白そうですね。頑張るぞ~」
ルウから未体験の呼吸法を聞いたアドリーヌは、好奇心満々だ。
早速試してみると、思いの外苦労しないでこなす事が出来た。
いきなりは無理だが、鍛錬していけばモノにする事が出来そうである。
生き生きと新たな呼吸法習得に取り組むアドリーヌを見て、ルウは微笑む。
「アドリーヌ」
「はい?」
「さっきお前が言ったけれど、俺に相応しくなるなんてとんでもないよ」
「え?」
「お前は本当に魅力的な女の子さ。俺こそ、頑張って相応しい男にならなきゃいけない」
「そんな!」
「よっし、じゃあ書斎を少し歩いて練習したら、大広間へ降りて姿見を見てみよう」
今度はアドリーヌも異存がないようだ。
ルウの誘いに対して力強く頷いたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウとアドリーヌは書斎で充分な『練習』を行った。
アドリーヌには徐々に自信が生まれて来たようである。
「もう大丈夫です。大広間の姿見で……私達がどう見えるか確認したいです」
「了解! じゃあ降りてみよう」
ルウとアドリーヌが階下へ降りて、大広間に顔を出すと意外な状況になっていた。
夜も遅くなったのに大広間にはフラン以下家族全員が待っていたのである。
フラン達は優しい笑顔を向けて来る。
アドリーヌは思わず聞いてしまう。
「どうして?」
フランはアドリーヌの質問には答えない。
ルウと並んで立つアドリーヌを見て大きく頷いたのである。
「うふふ、ばっちりね。旦那様と仲睦まじい妻って感じよ」
「え? ル、ルウさん? どうして、皆が?」
慌ててルウを見たアドリーヌ。
しかしルウは首を振る。
「俺は、フラン達には一切言っていないが、お前は悩みを打ち明けたのだろう? だから家族全員で作戦を考えていてくれたのだよ」
「家族全員で……考えていてくれた……」
ルウの言葉を繰り返すアドリーヌへ、フランは言う。
「うふふ、旦那様の仰る通り、今回どう対処するか直接は聞いていないわ。でも貴女は私だけじゃなく全員に事情を話してくれた。だから考えたのよ、どうすれば貴女が実家と上手く行くかって」
フランに続いて、ジゼルも微笑む。
「私達はアドリーヌ姉の考える事が分かるぞ……そうやって歩いているのは旦那様と特別な関係に見えるように訓練だろう?」
「あう……ジゼル」
フランの、そしてジゼルの優しさが伝わって来る。
そしてナディアも。
「貴女の気持ちが分かるなんて、ちょっと怖いかな? でもね、アドリーヌ姉。ボク達は貴女の事をもっともっと理解したい、……家族だからね」
「家族だから……ありがとう、ナディア」
家族と言われてアドリーヌは本当に嬉しかった。
ブランデルの屋敷で過ごした数日間でフラン達と距離が縮まった気がした。
この人達とは家族になれると予感した。
しかしながら少し不安もあった。
アドリーヌの一方的な思い込みかもしれないという心配だ。
だがそんな心配など杞憂だった。
フラン達はアドリーヌの悩みをまるで自らの事情のように真剣に考えてくれたのだから。
オレリーも、ジョゼフィーヌも、リーリャも、アリスも、ラウラも、アルフレッド達使用人も……
皆が慈愛を込めてアドリーヌを見つめていた。
今夜ここに居ないミンミも親身になって励ましてくれたし、遥か遠く離れた自分の故郷ではモーラルが頑張ってくれている。
アドリーヌの目に涙が溢れて来た。
ルウがポンとアドリーヌの頭に手を載せる。
うふ! ルウさんの手は温かい!
私には愛する人と家族が居るんだ!
ルウはいつもの通り穏やかな表情で言う。
「じゃあ、俺達の立てた作戦を元にして皆で相談しようか? 何か良い意見が加わるかもしれない。構わないな、アドリーヌ」
「はいっ! お願いします」
大きな声で了解をしたアドリーヌ。
屋敷で過ごして感じた予感は、今確信に変わったのであった。
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