第862話 「アドリーヌの帰郷③」
「モーラルは明日も調査を行う」
アドリーヌはまだ、モーラルの真の姿や実力を知らない。
素晴らしい実力を持つ魔法使いらしいとは思うが、ずっと年下の少女が、王都から遠く離れた僻地で自分の為に働いてくれている。
ぐっと来るものがあった。
胸がいっぱいになった。
アドリーヌは思わず問う。
「明日も? た、たった、ひとりでですか?」
「いや、もうひとり従士が同行している。モーラルと共に今回の作戦にぴったりな奴さ」
「私の為に……とってもありがたいです」
アドリーヌの言葉は心からの感謝の表れであった。
ルウはアドリーヌの思いをしっかりと理解している。
「作戦が成功したら、ありがとうと言ってやれ。ふたりともアドリーヌの為なら頑張ると言っていたぞ」
「え? ほ、本当ですか!?」
「ああ、本当だ。俺も頑張るし、フラン達家族も全員応援している」
「あ、ありがとうございます」
フラン達家族全員で自分を応援してくれる……
アドリーヌの全身に嬉しさが満ち、力が漲って来た。
気合の入ったアドリーヌの顔を見てルウは頃合いと見たのか、実務的な話へと入る。
「うん、それで明日から俺達の予定だが……途中で一泊してから明後日にはアドリーヌの故郷へ入る」
「明後日って……しつこいようですが馬で10日はかかる筈なのに……何か私の常識が、がらがらと音を立てて崩れて行きますけど」
「ははっ、移動方法に関しては後で分かるから、説明もするよ」
「う~、約束ですよ」
この前感じた、アドリーヌの魔法使いとしての好奇心と探求心がまたもや甦って来た。
フランが以前話していた通り、屋敷で暮らした約一週間は未知の体験の連続で驚きの日々であった。
だが、この旅によってルウが使いこなす未知の魔法に更に深く触れる事になるのだ。
アドリーヌは緊張してごくりと唾を飲み込んだ。
一方のルウはいつもの穏やかな表情である。
「で、俺達が宿泊するのはバートランドさ」
王都から南下してコレット家の領地へ至るまでに大きな街がふたつあった。
ヴァレンタイン王国の旧都バートランドと歴史ある古き街ジェトレである。
「バートランドですか? 王都に出て来る際に宿泊だけはしました。何か荒々しい街でしたからホテルから一歩も出ませんでしたけど」
上京して来た当時のアドリーヌは『冒険者の街』という独特な雰囲気に怯えてしまったらしい。
「ははっ、バートランドなら俺、何とか案内出来るからな」
「うふふ、皆から聞きましたけど、ルウさんはこの夏に冒険者としてバートランドもジェトレも行ったんですものね」
ルウがバートランドを案内すると聞いてアドリーヌは気持ちが高鳴る。
以前のアドリーヌなら、そんな怖い思いをした街など二度と行きたくないと主張しただろう。
やはりアドリーヌは確実に変わっていた。
ルウは今回の宿泊地を決定した理由を教えてくれる。
「ああ、そうだな。ジェトレはコレット家の領地から最寄りの村でアドリーヌも何回か行ったと聞いたから、今回の宿泊はバートランドにしたのさ」
人口約5,000人のジェトレはヴァレンタイン王国創立以前からある古い街だ。
最寄りに魔物が出没する古代の迷宮があり、バートランドほどではないが冒険者達が数多く訪れる。
規模としては村より遥かに大きいが、昔からの呼称で親しみを込められて『ジェトレ村』と呼ばれていた。
ルウには告げていたが、アドリーヌは数回ジェトレには旅した事があった。
両親に連れられた子供の時と、成長してから師である女性魔法使いと一緒に遊びに行ったのだ。
「ありがとうございます。私に気を使ってくれたのですね?」
「どうせなら、知らない街の方が楽しいだろう?」
「はい! 楽しみです」
「昼間は情報収集を兼ねた観光でもして、俺とアドリーヌのふたりで泊まるホテルに、モーラル達から最終報告が入る。その内容を聞いてから作戦が確定する」
「成る程! って? 私とルウさんの……ふ、ふたりで泊まる?」
ホテルでルウとふたり……
アドリーヌの中に甘く美しい妄想が生まれた。
「ああ、そうだ。お前は俺と家族がもう理解出来たとは言ったが、予定は変えない。コレット家との問題解決は勿論だが、俺とアドリーヌお互いの理解を深める旅でもあるからな」
「うわぁ……ふたりで泊まる……ルウさんとふたりっきりで泊まる」
ルウの話も碌に耳へ入らず、アドリーヌの妄想はどんどん膨らんで行く。
「確かにふたりっきりだな」
「あうう~」
「でも安心しろ、ホテルの部屋は別々だから」
「へ? べ、別々?」
膨らむ一方だった楽しい妄想が、音を立ててぱあんと破れた。
上へ上へと登っていた梯子をいきなり外されたように、アドリーヌはがくっとしてしまう。
アドリーヌの落胆を他所に、ルウは粛々と話を進めて行く。
「ああ、そうだ。簡単に言うと作戦はこうさ、アドリーヌの故郷へ入ったら、俺とアドリーヌは将来を誓い合った恋人同士という触れ込みでコレット家の面々に会う」
「将来を誓い合った恋人同士……という触れ込み……」
「バートランドで一緒に観光するのもその一環。恋人の雰囲気が出るようになるからさ」
「…………」
「その上で俺はコレット家へ、アドリーヌを専属魔法鑑定士とした場合の便宜性や利益に匹敵するか、それ以上になる方法を提案する。俺達の提案を採用した方がコレット家が繁栄すると強調してな」
「…………」
「ダロンド家に対しても同じだ。両家が割り切った考え方であれば、すぐOKとはいかなくても何らかの反応を示す筈さ。そしてフェルナンは何かたくらんでいるらしいが、俺がお前と恋人同士だといえば特別なアクションを起こすだろう、そこで決着をつける」
「…………」
アドリーヌの反応がずっとないので、ルウは問う。
「どうした? さっきから黙って」
「ううう、い、嫌です!」
ルウの問いかけに対して、アドリーヌは子供のように嫌々をした。
「嫌?」
「わ、私とルウさんが! べ、別々の部屋に泊まるなんて! そして恋人と言う……触れ込みだなんて……わ、私は! ル、ルウさんが……だだだ、大好きだし、このお屋敷に来ると決まった時点で覚悟を決めていたのに」
またもやアドリーヌの思い切った発言が飛び出した。
ルウはアドリーヌの真っ直ぐな思いがいじらしくなる。
「ありがとう! そんなに俺を思って貰うとは嬉しいが、ふたり一緒の部屋なんて、旅先でいきなりお前を抱くかもしれないぞ」
「そうして下さい!」
「アドリーヌ……」
「抱いてください、私を……」
アドリーヌはそういうと、ルウを真剣な眼差しで見つめる。
「私と実家の関係を修復する為にルウさん達が尽力してくれる、それが目的の旅だとはちゃんと理解しているし、自覚もしています……でも、私にとってはルウさんの恋人になって、奥様候補にして貰う方が大事です。私にとっては意味のある本当に大事な旅なんです」
切々と訴えるアドリーヌを見て、ルウは頷く。
「分かった、俺にとってもアドリーヌとの思い出の旅になると思う……最高の旅にするよ」
「ああ、良かった! こんな事を言う私って……凄く、はしたないですよね?」
「いいや、アドリーヌは成長したよ。元々とても優しいけど、強さも備えたと思う」
ルウの賛辞にアドリーヌは胸を張って礼を言う。
「うふふ、ありがとうございます! 確かに以前の私であればこんな事は言えませんよね? じゃあ勇気を出した勢いで更に言っちゃいます。ひとつお願いがあるのです」
「お願い?」
「はい! 私にとってルウさんとの旅はもう始まっています。だからお願いをします」
穏やかで堂々としたアドリーヌ。
彼女の鳶色の瞳は自信に満ち溢れて、きらきらと美しく輝いていたのであった。
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