第85話 「安堵」
ジャネットはルウに頬を張られて一瞬気を失った。
ぱあん!
しかし息つく暇も無く、また反対の頬を同じ様に張られる。
激しい痛みを感じる。
口の中が生温かい血であふれていた、
張られた時に切れたようである。
意識が朦朧として目の焦点が合わない。
ジャネットには今、自分に何が起こっているのか全く分からなくなっていた。
「罪を犯し冥界へ落ちたら、未来永劫裁きを受け続ける」
誰かの声が聞こえて来た……
先ほど現れた黒髪の男だろうか?
『やはり創世神の仰せの通り、私が人の子へ知恵を与えたのは誤りだったのか?』
今度は違う男の厳かな声が聞こえて来る。
『何故? 安直で楽な道に進もうとする……厳しい試練を克服してこそ、魂は磨かれ浄化し、肉体が持つ限界値を超える』
何を言っているのだろうか?
意味が……分からない……
『人の子とは、己の快楽さえ得られれば、同胞を害し犠牲にしても全く平気なのか?』
「分からないな……どちらにしてもこの女は許せない」
再び聞こえたのは、黒髪の男の声なのか?
ジャネットはそう思いながら、呆気なく意識を手放したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウは半眼から……
目を大きく見開く。
気を失っているジャネットを見るが、その眼差しは冷徹である。
まるで毒を持つ虫けらでも見るようであった。
ジャネットから見れば、長い時間が過ぎたような感覚であったが……
実際には彼女が頬を張られてから、僅かな時間しか経ってはいない。
「治療」
ルウの口から言霊が発せられ、頬の痛みが消えて身体も軽くなった。
治癒の回復魔法である。
「女……気がついたか?」
「は!?」
意識を取り戻したジャネットではあるが、自分の身に何が起こっているか分からなかった。
気がつくと、黒髪の男ルウとあの魔族が自分を見下ろしている。
ジャネットは身も凍るような恐怖を感じた。
腹の底から、絞り出すような悲鳴を漏らす。
「ひ、ひいいいいいっ」
「お前の魂から記憶を読ませて貰った」
「あわわわわ……」
「今迄、300人以上を奴隷として他国へ売っていた、……認めるな?」
ルウの口からは、淡々とした抑揚のない言葉が放たれる。
黒い瞳がまるで無機質な玻璃のようにジャネットを見つめている。
嘘や偽りで返す事など一切許されない……
そんな雰囲気だ。
こうなると、ジャネットは素直に罪を認めるしかない。
「は、は、はい……」
「売られた人間には奴隷として死に勝る苦しみを受け、遠き異国で死んでいった者も居る。お前にはそんな簡単な想像も出来ないのか?」
「…………」
赤の他人など、どう死のうが知った事ではない。
ジャネットは奴隷に売った人間の行く末など考えた事はなかった。
「東方に『因果応報』という言葉がある」
「…………」
「これまでお前達が犯した罪はその言葉通り、今まさに返って来る」
「…………」
「この国の法律によりお前達は裁かれる。奴隷の中でも最下層の身分に堕とされ、死ぬまで働かされる」
売る側だったジャネット自身にも『奴隷』という苛酷な運命がめぐって来たらしい。
容赦なく自分に嬲られ、助けを求め泣き叫んだ奴隷達も……
今の自分のような気持ちだったのか……
ジャネットはルウに何も言えず、ただうなだれているだけであった。
「お前達がここで見た記憶は全てを消させて貰う。その上で王都の衛兵隊に引き渡す」
「…………」
「魔法により、自分達から罪を告白するようにもしておいた」
「…………」
「償い切れない罪は死後、冥界で裁きを受ける事となる」
ルウの声を聞きながら……
ジャネットは再び意識を手放したのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ジャネット以下9名の悪徳冒険者プラス1名の奴隷商人は……
ルウにより記憶を削除され、拘束と自白の魔法をかけられた。
そして王都セントヘレナの南正門へ転移魔法で送られる事となった。
ジャネット達を南正門付近に置きいて、モーラルが衛兵の注意をちょっと引けば確保される筈である。
「ルウ様、人間の屑のようなこいつらなど……いっそ殺しても良かったのですが」
「もし俺が犠牲者の身内だったらそうしたかもしれん」
「はい」
「とりあえずオレリーが無事だったからな。後はこの国の司法に任せよう」
「私がもう少し早く、彼女を助ければよかったでしょうか?」
「……俺も最初はそう思った。だがお前には考えがあったのだろう」
「はい……機会があればちゃんと謝罪致します。では行ってまいります」
「頼むぞ、モーラル」
「かしこまりました」
モーラルは捕縛したジャネット達と共にセントヘレナの南正門に向かうべく転移魔法で姿を消した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
モーラルが去って少し後……
ようやくオレリーが意識を取り戻した。
「もう大丈夫だぞ、オレリー」
「え!? ル、ルウ先生? な、何故?」
気がつけば……
オレリーはルウにもたれかかる様にして身体を預けていた。
「危ない所だったな……」
「…………」
「あの魔族は俺の従士だ。お前が思いつめていた様子だったから気になって、見張らせていたんだよ」
ルウの言葉を聞いて安堵したのか、見る見るうちにオレリーの目は涙で一杯になった。
オレリーの栗色で長い髪をルウは優しく撫でている。
「お前には金を稼ぐ方法が何も無かったのだろう。そうでなければこんな無茶をするわけがない」
「…………」
「もう大丈夫だ、後は俺に任せろ」
「あううう……私、私、先生……私、あんな奴におっぱい揉まれちゃったよう! 穢されちゃったよう! うわああああああん!」
ルウから優しい言葉をかけられ、オレリーの心の堰が切れた。
彼女の身体は刻みに揺れ、終いには号泣してしまった。
「大丈夫だ、お前は穢されてなんかいない、俺が保証する」
「だ、駄目なの! あいつの指の気持ち悪い感触が残っているの! い、嫌なのっ!!」
しかしオレリーは胸を触られた事がよほどショックだったと見え、激しく首を振り、嫌悪感を隠そうとしない。
そしてルウに対し、驚くべき懇願をしたのである。
「ル、ルウ先生! 私の胸……おっぱい、触って! お願いです!!」
「オレリー……」
「一刻も早く忘れたいんです! あんな奴の指なんか死んでも嫌ぁ!」
「オレリー……」
「ルウ先生がフランシスカ先生と仲良しなのも、可愛くない私が無理なお願いをするのも分っています。……私、来週から授業、頑張りますから! 今だけ、今だけで良いんです……どうか! お願いします!」
そしてオレリーは抱き締めていたルウの手を取ると自分の胸に誘導した。
ルウには一瞬のためらいがあった。
だが切ない眼差しを向けるオレリーを見て黙って頷くと、そっと優しく彼女の乳房を揉みしだいた。
オレリーはルウの愛撫を受けて目を閉じると、甘い吐息を洩らす。
ああ、大好きな人に優しく触られるって……
何て!
何て、気持ちが良いのだろう。
ありがとう!
私の優しい王子様。
目が覚めたら……
貴方はもう居ないでしょう。
だけど、一生忘れない思い出にします。
襲われた恐怖と疲れがまだ抜け切れていなかったのだろう。
オレリーは愛撫の心地良さに身を任せ、満足そうな笑顔を浮かべていた。
そしてルウの温かい胸の中で、深い眠りに落ちていったのであった。
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