第849話 「過ぎ去りし思い出の日々」
「学生食堂か……懐かしいな……」
ルウとベルナールは今、ヴァレンタイン魔法大学の学生食堂に居る。
数年前にオープンした同じ大学内にある今風のカフェに比べていかにも地味な装飾ではあったが、ベルナールは遠い目をして周囲を見渡していた。
真っ白で飾り気の無い壁に、額に入ったいくつもの王都及び近辺の風景画が掲げられている。
無機質で平凡な木製の横型大型テーブルがいくつも並び、これまた機能第一といった簡素なクッション無しの木製丸椅子がずらりと並んでいる。
ただ地味とはいえ、最新の魔導灯に煌々と照らされた室内にベルナールが学生時代を過ごした面影はない。
何と言ってもベルナールが魔法大学に在籍したのは40年以上前なのだ。
ベルナールが卒業してから学生食堂は校舎ごと建て替えられ、それ以外に内装も数回ほど改修されている。
しかし建物や内装の違いなどベルナールにはさして問題ではなかった。
過ぎ去りし懐かしい記憶が甦ると共に、学生食堂が放つ独特の雰囲気に魅了されていたのである。
「さあ、メニューを見ようか」
「はい」
ベルナールはイーゼルに立てかけられたメニューを指す。
イーゼルに薄い板が据えられ、紙が上に貼られていた。
その紙に10種類ほどの日替わりを含むメニューが、あまり綺麗ではない文字で書きなぐってある。
メニューを順繰りに見て行くベルナールの目に、あるセットメニューが飛び込んで来た。
「おおおっ! このランチセットはまだあるのだな!」
吃驚して、思わず大きな声をあげたベルナールに、ルウが問う。
「へぇ? まだって、以前からあるのですか?」
ベルナールはルウの質問に対して大きく頷く。
「ああ、このセットは私が入学する前からある。私が在籍していた頃に比べると値段はもう5倍くらいにはなっているが、王都の街中で同じ物を食べるよりはずっと安いんだ」
「そうでしょうね」
この魔法大学も魔法女子学園も王立である。
建物の建設や維持、教員の給料を始めとした人件費など経費が学校運営には経費がかかる。
王立とはいっても完全に無償というわけにはいかないが、ヴァレンタイン王国から多額の補助金が支給されているので食堂で摂る食事代は著しく安く済むのだ。
「私はこのセットを頼もう! 懐かしすぎるからな! ルウ先生、君は?」
「じゃあ、俺も先輩と同じものをぜひ食べてみたいです」
「先輩だって? 嬉しい事を言ってくれるな、君は」
しかし、このままでは食事を摂る事は出来ない。
ベルナールはルウを促す。
「おっと! ここで待っていては食べられないぞ。この食堂はセルフサービスなんだ。さあ、取りに行こうじゃないか」
「ははっ、でもセルフサービスなんて魔法女子学園の学生食堂と全く一緒ですね」
「ははは、だがあちらは私達男性職員が利用出来るとはいえ、女子専用といってもいい食堂だ。装飾のお洒落さでは数段魔法女子学園が上だね。魔法大学の学生食堂は……はっきり言ってダサい」
「ははっ、確かに!」
「し~っ、こんな事を言っていて、大学の関係者が聞いたらカンカンになって怒ってしまうぞ」
唇に指をあてて声を顰めるベルナール。
ふたりは顔を見合わせて笑う。
ルウとベルナールが今迄ふたりきりでじっくり話したのは数回しかないが、傍から見るととても親しい仲に見える。
カウンターでライ麦パン、僅かな肉が入った野菜スープ、そして紅茶を受け取ると、ふたりは席に座った。
まだまだ時間が早いせいか、500名は入れる広い食堂内は閑散としていた。
ルウ達の他には数組の学生らしき者が居るだけだ。
「今日はお疲れ様でした、ベルナール先生」
「ああ、お疲れ様! って君はまだ付き添いがあるのだったな、ははは」
ルウは肯定するように小さく頷いた。
目の前に置いた料理からはほかほかと湯気が立っている。
ふたりの鼻へ美味そうな匂いが入り込んで来た。
「おお、美味そうな匂いだ! 堪らないなぁ」
「本当に美味そうですね」
ルウが相槌を打つと、ベルナールはもう我慢出来なくなったようだ。
「ああ! じゃあ、早速食べようか? 話は食事をしてからだ、ルウ先生の時間は大丈夫かな?」
「はい! あと1時間くらいは大丈夫ですよ」
「ああ、ではゆっくりと食べられるな」
ふたりは食事を始める。
焼きたてのライ麦パンは王都内にあるものより、ずっと柔らかい。
安いパンは基本的に結構固くて、スープに浸して食べるのが普通だが、このパンはその必要もなかった。
野菜スープは鶏肉こそ僅かにしか入っていないが、大きめに切った数種類の野菜がごろごろ入っていた。
ルウがひと口すすると、スープに滲みた野菜特有の甘味が口の中に広がりたまらない味であった。
「美味い!」
ルウが感嘆の声を発すると、ベルナールが目を細める。
「だろう? こうやって食べていると、本当に昔を思い出すよ」
ベルナールはふと目の前で食事をするルウを見詰めた。
時間が戻って来たような感覚になる。
40年前はベルナールも若かった。
ルウと同じくらいの年齢であったのだ。
金が無かったので、安くて美味いこの学生食堂はしょっちゅう利用していたものだった。
過ぎ去りし思い出の日々……当時の記憶が鮮やかに甦えって来る。
若い頃は不安や怖さより、将来への期待の方が大きかった。
ベルナールには大きな夢があった。
誰にも負けない一流の魔法使いになると意気込んでいたし、好きな魔法学を極めて学者になるのだと決めていたのである。
気さくなベルナールは友人も大勢出来た。
男も女も、皆若くて夢と希望に満ち溢れていたのだ。
しかし……
現実は厳しかった。
成績が同じであれば、必ず貴族階級の生徒が成績上位に置かれたのである。
不本意極まりないと思った。
だが実力本位の魔法使いといえど、貴族と平民の身分差は大きかったのだ。
加えて自分の魔法使いとしての、才能の限界を感じたのも辛かった。
唯一恵まれていたと思った運も、結局は自分に味方しなかった。
ベルナールは夢破れて、ヴァレンタイン王国における魔法使いの世界とは、実は格差社会なのだと実感したのだ。
様々な事情により学者への夢を諦めたベルナールは、得意な鑑定魔法と錬金術に力を入れ、生きて行く為に魔法女子学園の教師となった。
でも……後悔はしていない。
環境に恵まれた他人を羨んでも仕方がないのだ。
あの時、自分は出来る事に対して全力を尽くした。
それでいい。
気が付くと対面でルウが微笑んでいた。
いつの間にか食事が終わったらしい。
既に食器はからっぽである。
ルウはポットに手を掛けた。
カップを引寄せる。
「紅茶、飲みますよね?」
「ああ、この値段でポット入りの紅茶が付くなんてお得だろう?」
「ええ、ベルナール先生の仰る通りですよ」
ルウが気を遣って紅茶を淹れてくれた。
「ありがとう! ああ、この香りだよ! 昔と変わらないな!」
カップから淹れたての紅茶の独特な芳香が漂う。
決して高価な茶葉ではないが、今のベルナールには最高の香りであったのだ。
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