第84話 「危機」
王都セントヘレナの正門を出て……南西へ向かう。
歩き続けるクラン『山猫』一行。
街道から外れてもう1時間。
周囲は人影もない鬱蒼とした森である。
相変わらず……
リーダーのジャネットは先頭を切り、さっさと歩いていた。
また3人の少女は含み笑いをしながら、オレリーを急かしつつ、歩いて来ていた。
オレリーは、だんだん不安になっていた。
現在居る場所がどこなのか?
さっぱり分からなかったし、このクラン山猫に違和感を覚えていたからである。
「あ、あの私……」
「やっぱり帰ります」と言いかけ、オレリーの眼が大きく見開かれる。
先頭を歩いていたジャネットが、歩くのをやめていた。
腕組みをして立ちはだかり、オレリーを見てにやにやと笑っている。
親しみのある笑顔とは違い、邪悪な意思のにじみ出る不気味な笑いであった。
「オルスタンス、悪いけどアンタとの契約はここでお終いさ」
「え? お終いって?」
「アンタはこれから、とお~い国に旅立つのさ。もうセントヘレナには二度と戻れないよ」
ジャネットが顎をしゃくると屈強な男が5人、木陰から姿を現した。
「あ!」
男達に驚いたオレリーに一瞬、隙が出来た。
クランメンバーの少女のうちのひとりが見逃さず、すかさず当身を入れる。
「ぎゃうっ!」
脇腹に激しい痛みを感じたオレリー。
呆気なく尻餅をついて座り込んでしまう。
それを見た男達は狼のように全員で襲いかかった。
男のひとりはオレリーをがっしりと押さえ込み、無骨な手で法衣の上から彼女の乳房を揉みしだく。
「い、嫌ぁぁぁ!! や、やめてぇっ!!!」
悲鳴をあげるオレリーに構わず、乳房を弄びながら男は下卑た声で笑う。
「へへへ、ガキのような見かけによらず結構なおっぱいだ! さぁて面を拝むとするかぁ?」
男は乱暴に、オレリーがつけていた仮面をむしり取った。
「おほう! 中々可愛い面してるじゃねぇか! こりゃ俺好みだぜ」
嗚咽するオレリーに顔を寄せようとする男。
と、そこへジャネットの鋭い声がふりかかる。
「おい! その辺にしておきな!」
「な、何だよ! 良い所なんだぜ」
男がオレリーを見ながら舌なめずりし、ジャネットへ言い返す。
しかしジャネットは、射殺すような冷酷な視線で男を睨み返した。
「その娘はね、間違いなく処女なんだ」
「だ、だろうな」
「そうじゃなきゃお前に自由にさせてやる。けどね処女となりゃ話は別。何せ、それだけで何倍もの値がつく」
「でもよぉ! 俺は収まりつかねぇぜ!」
「それ以上私に逆らうのなら、次は首を刎ねるよ」
なおも言い返す男へ、威嚇するようにジャネットはロングソードを抜く。
鋼鉄の刃が陽の光に反射し、不気味に光った。
けして冗談とは思えないジャネットの凄みのある物言い……
殺気のこもった表情を見て舌打ちをしながらも、さすがに男は引き下がった。
「さっさとその子を立たせな! もう買い手が待っているんだ」
男達が言われた通りにオレリーを立たせる。
そして強引にジャネットの前まで連れて来た。
オレリーの顔は涙と泥にまみれ、目は屈辱と絶望感に染まっていた。
しかし、抵抗する気力がわずかに残っていたのだろう。
口をすぼめると、「ペッ」とジャネットに唾を吐いた。
オレリーの吐いた唾がジャネットの頬にかかってゆっくりと流れ落ちる。
瞬間、大きな音がオレリーの頬で鳴り、彼女は崩れ落ちそうになった。
ジャネットが容赦無く、オレリーに平手打ちを食らわせたのである。
「ふふふ、良い根性だよ、オルスタンス。せいぜい売られた先でも頑張りな」
冷たい笑いを浮かべたジャネットは、そう言い捨てると踵を返し、歩き始める。
多分、奴隷商人が待っているのであろう場所へ……
オレリーを押さえた男達や3人の少女もジャネットの後へ続いたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おい、ユダ。商品を連れて来たよ」
一行がしばらく歩くと木々がない少し開けた場所へ出た。
ここにジャネットが『ユダ』と呼んだ奴隷商人が待っている筈であった。
しかしユダからの返事はない。
辺りはしんと、静まり返っていた。
「お、おい、お前達! 何か様子が変だよ、注意しな!」
ジャネットの鋭い声が飛ぶ。
異変を感じ取ったのに違いない。
と、そこへ、何者かの含み笑いが聞こえて来た。
低い若い女性の声である。
「ふふふ……見かけは派手なのに結構小心者なのねぇ」
「!」
ジャネットが声のした方を見ると、倒れた男の腹の上に座り込んでいるひとりの少女が居た。
独特なデザインの漆黒の衣裳をまとい、シルバープラチナの髪を肩まで伸ばした小柄な少女だ。
造り物のように端麗な顔立ち。
不自然なほど真っ赤に染まった瞳と唇。
……そして人間離れした生気のない真っ白な肌。
ルウに命じられ、オレリーを見張っていたモーラルであった。
「お、お、お前! ま、魔族かっ!?」
少女からは人間を喰らう、怖ろしい捕食者の気配が伝わって来る。
ジャネットは、思わず悲鳴が喉までせりがったのを強引に押さえ込んだ。
「へぇ、私に怯えているの? 本当にあこぎな事やる割には小心者ね」
モーラルはゆっくりと立ち上がる。
と、その時。
突如顔つきが悪鬼のように変貌する。
「その子を放せ。言う通りにしないとお前を殺すよ」
オレリーは少女とジャネットのやりとりを呆然と見つめていた。
魔族は確かに怖い。
しかしそれ以上に、オレリーは今置かれている状況に感覚が麻痺していたのだ。
この魔族が自分を助けてくれるかも……
ぼんやりと淡い期待を感じていた。
「ふ、ふざけるなぁっ! 魔族とはいえ相手は餓鬼1匹。つかまえれば良い見世物になる。行けっ!」
ジャネットが絶叫する。
まず少女3人がモーラルに突進した。
ひとりはショートソード、ひとりは短剣、そして最後のひとりは魔道具らしい斧を振るって襲いかかった。
しかしモーラルは熟練の踊り子のように、華麗な舞いで素早く攻撃を避ける。
更にモーラルはひとり、ふたり、3人と軽く相手に触れた。
それだけで、少女達は全員が呆気なく倒れてしまう。
「な、何故だぁ!? 何をしたぁ!!」
「ふ、単に魔力を貰っただけよ」
この世界で魔力は全ての生物の命を支える根幹である。
もしも魔力が尽きれば、活動は完全に停止してしまう。
魔力が尽きたまま放置されれば、遂には死にいたる。
夢魔モーラルは、魔力を吸収する能力を持つ。
それ故、触れた瞬間に相手の魔力の大部分を吸収したのだ。
「ば、化け物めぇ!」
絞り出すように言葉を吐き出したジャネットに対し、モーラルはせせら笑う。
「はぁ、化け物? そんな忌まわしい言葉は自分と同じ女を売り、鬼畜の振る舞いをしていたお前にそっくり返してやる」
「くうう!」
「何度も同じ事を言わせるな。さあ、その子を放せ、さもなくば……死ね」
モーラルが険しい表情のまま、「ずいっ」と前に出た。
絶対に敵わない相手!
ジャネットの頭の中には……
どうすれば、この場から逃げる事が出来るか?
という思いしかない。
単なる商品にすぎない小娘の為、自分の命を捨てるなど馬鹿げていた。
いざとなれば部下さえも捨て去るつもりでいた。
「ち、近寄るな化け物ぉ! 近寄ったら、この小娘の命は……」
「……どうにもならないさ」
背後からいきなり若い男の声がした。
全く聞き覚えの無い声である。
しかしジャネットは目の前の魔族以上に怖ろしい気配を感じる。
男は怒っている。
それも尋常の怒り方ではない。
ジャネットは恐る恐る後ろを振り向いた。
黒髪・長身痩躯の男が、気を失ったオレリーを抱きかかえて立っている。
男の足元にはジャネットの配下、5人の男達全員が倒れていた。
オレリーを抱く男はルウであった。
「お前達は今迄、人として許されない事をして来たな」
ルウは無表情。
半眼で言葉を放ち、声は淡々として全く抑揚がない。
感情の無さが却ってジャネットを戦慄させる。
と、そこへ。
ルウの下に素早くモーラルが駆け寄った。
オレリーを受け取るとにっこりと微笑む。
一方、ルウは相変わらず表情を変えず、つかつかとジャネットへ近寄る。
ジャネットは何故なのか、蛇に睨まれた蛙の如く動けない。
ぱあん!
いきなりジャネットの頬が鳴った。
ルウから平手打ちを喰らったジャネットは、呆気なく吹っ飛んでいたのであった。
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