第837話 「枢機卿問答③」
ルウの話を聞いたアンドレは今度は自分から切り出した。
何度も念を押されているので、さすがにストレートな表現は避けている。
『人の子の可能性とは限界を超えて成長し続ける事だと私は考えている。何故なら神には限界がない、いわば無限。ならば神に近しい存在として造られた我々にも限界などない筈だ』
『ああ、俺もそう信じたい』
同意したルウをアンドレはまじまじと見た。
そして笑った。
『ははは! その考えを私は今日確信した。理由……それは君の存在だ』
『…………』
創世神が造り上げたという限界の無い人間……
それを体現しているのがルウ。
確かにルウが見せた魔法はアンドレの常識を遥かに超えていた。
アンドレは最早、枢機卿の顔ではない。
ルウの実力を見極めたい好奇心旺盛な老魔法使いがそこに居る。
『君は私が見る限り、人の子の範疇を遥かに超えた存在だ。どうせまだまだ引き出しがあるのだろう?』
『…………』
アンドレが執拗に問い掛けてもルウは笑顔のまま答えない。
だがアンドレは構わず話し続ける。
『私から見て、まるで君は完全な人の子……すなわち創世神が最上位の世界である原形界に創りし原初の人間アダムに思える。もしくは人の子というより……魔人だ』
ここでルウが漸く口を開く。
『ははっ、アダムに魔人ですか? では……貴方は俺の存在を最終的にどう考え、どのように判断します?』
ルウの問いに、アンドレは切り込みどころと考えたに違いない。
ずばっと直球を投げたのだ。
『答える前に敢えて聞こう! ……君は禁忌の存在に触れたのだろう?』
アンドレのストレートな問いにもルウは臆さない。
『もし、そうだとしたら……どうします?』
質問に質問で返すルウであったが、この問いは答えに等しい。
アンドレは嬉しそうに笑う。
ルウとの距離が一気に縮まったと感じたようだ。
『ははは! 隠さないのだな! 枢機卿ブレヴァルとしては創世神の教えに背く異端の徒として断罪すべきなのだろう。しかし……』
『しかし?』
『ああ、探究心の塊である異端の一研究者アンドレとしては、君とぜひ親交を深めたい』
アンドレの答え――本音がとうとう出た。
自らを異端とはっきり認め、ルウと親しくなりたいという意思を示したのである。
対してルウもずばりと返す。
『俺としてもアンドレさんの方とは仲良くしたいものですね』
『ああ、異端を一切認めないブレヴァル枢機卿としてはもう二度と会いたくないものだ』
アンドレはノリが良い。
普段の厳しい顔が嘘のようだ。
だが素のアンドレはこちらなのである。
『私は自分の直感を信じる。君は初めて会った時に私の全てを見抜き理解した。そして君の放つ魔力波には邪悪な意思を全く感じない』
『初対面なのに何故そう言い切れるのですか?』
ルウがしれっと聞くと、アンドレは悪戯っぽく笑う。
『私を見くびって貰っては困る。枢機卿として創世神の教えを守り、長年邪悪な存在を退けて来た私だ。闇に魅入られた者も数多く見て来たからな』
『成る程! 俺だけではなく、俺の周囲を見てもそう感じたのですね』
『その通りだ。フィリップ様も、アデライド殿も、君の奥方であるフランシスカ殿も、学園の先輩教師達や生徒達も……皆、澄んだ綺麗な目をして清々しい魔力波を放っていた』
ルウもアンドレの言いたい事の予想がつくようである。
『最終的に確信したのは……アニエスですか?』
ずばりと言われたが、アンドレは驚かない。
ルウの実力を完全に認めているのだ。
『ああ、君がステファニーを変えてくれた時に予感がした。そして今日アニエスが変わった瞬間、予感は確信に変わったのだ』
『確信……ですか?』
『ああ、君にはまだまだ秘密がある。そう、私には分かる、君はこの世界の命運を左右する存在だ』
『おっと! 随分と評価して頂いたものですね』
苦笑するルウであったが、アンドレは到って真面目である。
『君が自ら胸襟を開いてくれるまで私は努力しよう。そして全てを語り合える日が来た時に私は満ち足りるだろう……生まれてずっと真実を追究して来たこの人生がね』
『俺もいずれそうなれば良いと考えていますよ』
ルウが同意してくれたので、アンドレも改めて礼を言う。
自分の事は当然、もうひとつの事も。
『ありがとう! そして遅ればせながら、愛する孫娘ふたりを救ってくれた事にも礼を言いたい。彼女達は自らを見詰め直して本来あるべき魔法使いへの道を歩み始めた。姉妹で助け合って行く事も最認識してくれた』
『俺はきっかけを作って、ちょっと後押ししたに過ぎませんよ』
『しかし君が容易に出来た事が、私や彼女達の両親には出来なかった。まあ長年に渡ってブレヴァル家に築かれたつまらない柵のせいもあったがな』
『ふたりとも素晴らしい魔法使いになりますよ』
『おお、君が太鼓判を押してくれれば大丈夫だ。しかし……』
『また、しかしですか?』
『ははは! またしかしだ! 問題は彼女達が将来望んでいる事さ。それこそ神のみが知る事だろう』
『…………』
ルウはまたもや黙ってしまう。
この件は何とも微妙なのだ。
アンドレも分かっているから、完全に面白がっている。
『まあ君が望めば相思相愛という事で私から父親を説得してやろう』
『…………』
『ははははは! 完璧ともいえる君にもとんだ弱点があったものだ。いや、弱点などではないな』
ルウは相変わらず黙って微笑んでいる。
『もしエデンに住まうアダムが君のように寛容なら絶対に相手と別れる事はなかったろう』
その時であった。
研究室の窓の外が徐々に明るくなって来たのだ。
『ああ、もう夜明けですね』
「おお、明けの明星が!」
アンドレは念話で話す事を失念して思わず声をあげた。
日の出前の東の空に瞬く星が見えたのである。
「ま、まるで私達を見守っているかのようだ」
「枢機卿……」
「分かっている! だがな……」
「それ以上は公の場で仰ってはいけません」
子供のようにはしゃぐアンドレをまるで父親のように諭すルウ。
ぴしゃりと言われては、アンドレも従わざるをえない。
「うむむ、済まぬ……分かった」
神妙に了解したアンドレを見て、ルウはいつものように穏やかな表情に戻る。
「俺が貴方をひと目で見抜いたなどおこがましい。今の言葉で漸く貴方の本質を理解しましたよ」
「おお! では!」
「今後とも宜しくお願いしますよ」
「おお、ありがとう! ありがとう!」
アンドレは思わずルウの手を握った。
予想通り、大きく温かい手であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
4時間後……
魔法女子学園正門前ではルウ達教師と入学希望者達が歓談していた。
学生寮で一泊した参加者達も全員で朝食を食べ終わると、とうとう学園を後にする。
本当の意味での魔法女子学園オープンキャンパスが今、終了したのだ。
そのような中でアニエスは相変わらず機嫌が良い。
目的を全て果たしたという表情だ。
「ルウ先生、さようなら~っ! また遊びに来ますね~っ」
元気溌剌な妹に対して姉は全く元気が無い。
「あううう……」
「おお、ステファニーどうした?」
どうせおしゃまな妹に頼られ過ぎたのであろう……
祖父の言葉を受けてステファニーが愚痴ったのは予想通りの内容であった。
「あううううう、聞いて下さい、お祖父様! 私達、結局は徹夜で話す事になっちゃいました……それも先生が部屋へ見回りに来る度にアニエスひとりだけちゃっかり寝て……私、ひと晩中謝っていましたぁ」
半泣きのステファニーにルウが近付いて行く。
そして……
「あ、あうううううん」
ルウの手がステファニーの頭を優しく愛撫したのである。
ステファニーはいかにも気持ち良さげになった。
こうなるとむくれるのはアニエスだ。
「あああっ、ずるいっ!」
「ははっ、アニエス。これくらいは良いだろう?」
ルウが宥めるが、アニエスは納得しない。
「だだだ、駄目ですっ!」
頬を膨らませ悔しがる妹を見て、ステファニーはやっと溜飲が下がったのであった。
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