第835話 「枢機卿問答①」
ここはヴァレンタイン魔法女子学園研究棟にあるルウの研究室……
8月13日のオープンキャンパス終了後、枢機卿アンドレ・ブレヴァルは自宅に帰らず学園に泊まってルウと話をしたいと言い出したのだ。
宿直として勤務中のルウは、アンドレとジュースで乾杯しながらフランと念話で話している。
一方フランは今、ケルトゥリ達と同じ学園内にある学生寮に居た。
入学希望者と父兄の面倒をみる『お泊り』企画の担当者として。
『旦那様、じゃあもうブレヴァル枢機卿から強引に引き抜かれる事はないのね』
ホッとした口調でフランは言った。
しかしフランには気になる事があった。
ルウから聞いた、ひと晩だけでは語り尽くせないとアンドレが言い切った話の中身は何か? という事だ。
ルウは大伯父の大公エドモン、宰相フィリップのみならず隣国ロドニアにおいてもリーリャの父である国王ボリス・アレフィエフを始めとしてトップの者達に気に入られている。
全員が一度はルウを腹心として迎えたいと考えた事実があった。
当初アンドレがルウを創世神教会に迎え入れようとしたのも、ルウの評判を聞きつけ調査の上で実力を見極め、単に優秀な人材だと判断したからであろう。
どのような組織でも優秀な人材を求めて勢力拡大をしようとするのは自明の理だ。
しかしアンドレにとって意外な事が起こった。
宰相フィリップや魔法女子学園の理事長アデライドにルウをスカウトする了解を得ようとしたら、一見遠回しなようで断固として拒否されて何かが変わったのだ。
こうなるとアンドレには好奇心以上のものが出る。
枢機卿が手を尽くしルウの事を念入りに調査している……
という話がフィリップからアデライド経由で伝わって来たのだ。
だからフランはとても不安になった。
一体……何の為に旦那様を調べるの?
……まさか創世神教会の敵とみなしている!?
オープンキャンパスが来る日までフランは悩んでいたのである。
ルウにも当然打ち明けた。
当の本人がどう思っているか、妻として知りたかったという気持ちもあった。
ルウは微笑むと「心配ない」と返し、絶対にオープンキャンパスの当日に枢機卿が接触して来ると、フランへ伝えていたのだ。
『もう心配は無いと思う。今の枢機卿には全く邪気を感じない』
『分かったわ、でも話の内容というのは気になる。それに屋敷では他の妻達も気にしているから……』
『ああ、モーラルに一報を入れておく。すぐ皆へ伝わるだろう』
このような場合、ヴァレンタイン王国の男連中は面倒臭がる場合が多い。
それに女から口出しされるのをとても嫌う。
しかしルウは相変わらず優しい。
妻を尊重し、心配させる事をしないのだ。
だからフランはとても嬉しくなる。
『うふふ、了解』
ルウはふとブレヴァル姉妹の事が気になった。
学生寮にふたつの魔力波は確かにある。
しかし喧嘩などしている様子はなく、少し不安げながら穏やかな波動が放出されていた。
『そちらの様子はどうだ? ステファニーとアニエスは?』
『うふふ、あの子達の事が気になるのでしょう? 大丈夫! ふたりとも借りて来た猫状態だから』
姉妹は普段、威勢が良くても屋敷外で夜を明かした事が殆どない。
そんな時に一番頼りになる相手が目の前に居ると心強いであろう。
『姉と妹……お互いを労る魔力波を感じるよ』
『ええ、とても大人しいし、ふたりともとても仲良く話をしているわ』
『アニエスは姉に対して甘えている。生意気なようでいて、実はとても頼りにしているんだ。これで完全に仲直り……行けそうだな』
『うん、もう少しで食事だから一緒に楽しく食べれば完璧ね』
食事は重要なコミュニケーションだ。
極端な場合、会話を交わさずとも分かり合える場合もある。
『じゃあフラン、頼むぞ!』
『ははっ、任せろ!』
『おお、俺にそっくりだな』
『うんっ! 練習したから』
フランの甘える波動が伝わって来た。
ルウは思わず微笑む。
『ははっ、じゃあまた明日の朝な」
『おやすみなさい!』
念話は一瞬で終わる。
向かい側で笑みを浮かべるアンドレも今日、初めて体験した。
但し、ルウとアンドレがそうであったように他人には一切聞こえない。
意図的に共有しない限りは。
乾杯してから暫く無言であったふたりだが、頃合と見たのかアンドレが口を開く。
「今日会ったのが初めてだというのに不思議だ。私から見て、君にはとても近しい感覚がある」
アンドレは「ふう」と息を吐くと、じっとルウを見詰めた。
「何故なのかと考えてみたが、すぐに答えは出た……君が私をひと目で見抜いたからだよ」
アンドレの言葉を聞きながら、ルウは黙って微笑んでいる。
「私の事を異端だと言ったからだ。ブレヴァル家では異端だと、ね」
確かめるようにアンドレが言うと、ルウも応えて言う。
「はい、加えて言うのなら枢機卿という立場なら更に異端でしょう。教会が考えを変えないのならという前提付きですが……」
「ほう、はっきり言う! とてもデリケートな問題だというのにな」
アンドレは苦笑した。
どうやらルウとアンドレが話しているのは、防御魔法以外認めないというブレヴァル家従来の方針変更云々ではない。
「ははっ、まあ飯でも食いながら気軽に話しましょう。一応念話にしますね、その方が安心でしょうから」
「……ははは、君は本当に気配りの男だ。フィリップ様やエドモン殿が気に入る筈だ」
アンドレはそう言うとひと口ハーブティを飲んだ。
これから自分は大変な事を話すというのに妙に気分が落ち着いている。
不思議としかいいようがない。
『ルウ、君は……ドミニク・オードランという女性を知っているね』
『はい、フランの身内ともいえる女性です』
ドミニクはフランが可愛がって貰っている元貴族で、オレリーの母アネットの雇い主でもある。
ルウとフラン、ジゼル、ナディア、そしてオレリーが結婚する時に一緒に祝ってくれた。
今でもたまにルウの屋敷へ遊びに来ていて、祖母代わりなのは勿論、アデライドと並ぶ『女性の先輩』という立ち位置で妻達とも大変仲が良い。
※第92話参照
アンドレは数回頷くと再び話を続ける。
『ふむ……私は彼女の夫で今は亡きガストン・オードランとはとても親しい間柄であった。彼は子爵にして創世神に仕える司祭であり、さらに神学者でもあったのだ』
『成る程……』
『君がいう異端とは……多分とてもデリケートなものだ。もし他者に知られれば私も含めて一族全員の命はない』
『…………』
『私とガストンはある研究をしていた。……それは』
アンドレがそこまで言いかけるとルウが急に話を遮る。
『待って下さい』
『ん?』
『いくら念話とはいえ、枢機卿が自らすべてを語るのは何かと問題があるでしょう』
ルウが枢機卿の本質を見抜いているのは事実らしい。
他者に知られたら身の破滅になる重大な秘密……
『むう……』
『これから俺が独り言を呟きます。俺個人の考えですから枢機卿には一切関係がありません、宜しいですかね?』
『な、何!?』
アンドレは驚いて、大きく目を見開いた。
しかし視線の先には会った時から変わらない、ルウの穏やかな笑顔があったのだ。
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