第834話 「枢機卿の誘い」
8月13日朝早くから行われた、ヴァレンタイン王立魔法女子学園のオープンキャンパスもスケジュール終盤に差し掛かっている。
時間は既に午後4時をまわっている……
学生寮前では、特に目立ってうきうきするアニエスの姿があった。
対照的に姉ステファニーは元気なく俯いていた。
切なげに肩を落とし、大きく溜息を吐いているのが遠目にも分かる。
これから実施されるのが、ルウが考案した今年のオープンキャンパスの目玉である『魔法女子学園学生寮お泊まり企画』だ。
入学希望者10名の超限定企画で当然すぐ満枠になったが、本日途中帰宅者が大量に出たせいでキャンセル枠が出て、幸いにもアニエスは参加する事が出来たのである。
この企画の参加者選定だが、入学希望者が魔法女子学園についていろいろと調べるように、学園も事前に入学希望者の調査を行っている。
参加者は希望者の中から素質に恵まれた者が意図的に選ばれていたのだ。
実は事前にアニエスへも学園から企画参加への打診はあった。
入学希望はあっても、当時は寮暮らしなど一切考えていなかったアニエスはあっさり断わっている。
しかしアニエスの考え方は今や完全に変わってしまった。
試験など二の次で入学後の姿のみを思い描くアニエスは時間の有効活用を一番に考えたからだ。
屋敷から学園への通学時間も惜しい。
学生寮に入れば、その時間も効率的に勉強する事が出来る。
使える時間に目一杯勉強すれば、短期間でもっともっと魔法使いとして高みに行けるだろう。
そうなれば私は……あの人も魔法も……全てをこの手に掴み……絶対幸せになるの!
「うふふ……」
意味ありげな含み笑いをする妹を見て、ステファニーはまた大きく溜息を吐いた。
「では学生寮お泊まり企画参加者の方々! 宜しいですか? 先導しますから私達に着いて来て下さ~い」
当該企画実行のメイン担当者はフランである。
ケルトゥリ、カサンドラ、ルネ、アドリーヌの5人の女性教師で参加者と付き添いの保護者各10名計20名をケアするのだ。
「さあ、お姉様そろそろ行きましょうか? 今夜は徹夜でじっくりと語り合いましょうね」
「か、語り合う? 今夜は徹夜ぁ!?」
「はぁい! どうせまだ夏季休暇中ですわ。今夜は寝ないで学園の事を徹底的にお聞きしたいですから」
アニエスはそう言い放つと、後に続く言葉を飲み込んだ。
ルウ先生の事を特にね……という言葉を。
「うふふふふ」
「ひいいっ」
不気味な笑みを浮かべ、凄みのある眼差しを向ける妹を見て、ステファニーが思わず悲鳴をあげた瞬間。
こつん!
またもやアニエスの頭が優しく叩かれた。
「あうっ」
小さな悲鳴をあげるアニエスが見ると、そこには……
「あ、ルウ先生!」
「ほら、アニエス、あまり姉を苛めるなよ。徹夜は駄目だ」
「ル、ルウ先生!!! たたた、助けてぇ」
またもや危機を救ってくれたルウに、ステファニーはもう涙目だ。
しかしルウの注意もアニエスには全く堪えていない。
「ルウ先生、御免なさ~い、以降気をつけま~す。さあお姉様、徹夜は勘弁してあげますから、もう行きましょうよぉ」
「ああ、うううっ」
強引に引っ張るアニエスに引き摺られるように連れて行かれてしまうステファニー。
まさに『ドナドナ状態』となってしまったのである。
アニエス達お泊り企画参加者達の姿が見えなくなると、見送っていたアンドレ・ブレヴァル枢機卿がルウに向かって手を挙げた。
何かを伝えたいようである。
同時にシンディ・ライアンの声が響き渡る。
フラン、ケルトゥリの両名が学生寮へ向かったので後任の進行役を引き継いだのだ。
「ヴァレンタイン王立魔法女子学園オープンキャンパスにいらっしゃった皆様、そろそろ終了の時間でございます。申し訳ありませんが、御用の済んだ方は学園内から退場くださるようお願い致します」
シンディの声を聞いたアンドレは苦笑した。
そしてルウをじっと見詰めたのである。
ルウはすかさず念話で問う。
『枢機卿……何か、俺とじっくり話したい事があるのでしょう?』
『ははは、さすがだな。私の意図はもう君に分かってしまったようだ』
『ええ、出来れば先程のアニエスと同じご希望……でしょう?』
『ははは、孫を引き合いに出すとは……そこまで見抜かれていたか。出来れば1週間くらいあれば理想なんだがね……君ほどの魔法使いと語り合うには、たったひと晩という時間は、あまりにも短か過ぎる』
アンドレがルウと話をしたいと申し入れた内容は多種多様で込み入ったものらしい。
ルウが承諾して頷くと、アンドレは何かを思い出したかのように首を振った。
『安心してくれ、もう君を創世神教会へ引き抜こうなどと思ってはいない』
『それは助かりますね。話す事に関してですが、俺は今夜、宿直を命じられています。貴方が泊まるのは構いません』
『おお、ありがたい! それなら存分に話せるな』
『但し、条件があります。泊まる場所が狭いのを我慢して頂くのと、護衛の方々への説得やご自宅への連絡を何とかして頂けますか』
『分かっておる、文句など言わない。それにブルダリアス騎士団長には了解を得ておくし、自宅へも連絡する』
枢機卿であるアンドレが何か行動する際には常に護衛がついていた。
上級貴族達同様、屈強な騎士の護衛である。
しかし護衛についた騎士を良く見れば、キャルヴィン・ライアン伯爵やジゼルの兄ジェロームなど王都騎士隊とは出で立ちが異なる事が分かるだろう。
創世神教会の幹部を護衛するのは教会所属であるテンプル騎士団のテンプルナイト達の役目だ。
今日はトップの枢機卿とその孫娘の重要な護衛という事で、テンプル騎士団の騎士団長自身が選りすぐった部下を10名ほど連れて出張っていたのである。
『その代わりと言っては何ですが、理事長を含めて学園側への連絡、そして今夜の貴方の護衛は任せて下さい』
『ありがたい! アデライド殿はちょっと……いや、何でもない』
アンドレは言いかけてから言葉を切ると、困ったように笑ったのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
当初、ルウは魔法女子学園正門前にある王都騎士隊詰め所で、護衛の騎士達と寝泊りする予定となっていた。
教師の宿直は暫く無かったが、ルウの強さを考えたら適任だとアデライドが判断したのだ。
ちなみに宵の口に1回、深夜に1回の見回りがルウに課せられた宿直の『任務』である。
ルウはとりあえず枢機卿アンドレ・ブレヴァルが学園に宿泊する事情を話し、アデライドに了解を取る。
次にアンドレが泊まる場所を自分の研究室に決めた。
騎士団から借用する予定だった、詰め所備品の簡易ベッドを収納の腕輪で運び、研究室に持ち込んだのだ。
このベッドをアンドレに使わせ、自分はソファで眠る事にしたのである。
そして食事の用意。
学生食堂からのテイクアウトはサンドイッチと、果汁を絞ったジュースである。
加えてお約束のアールヴ特製のハーブティは欠かさない。
食べ物に関して一応希望を聞いたが、アンドレは一切好き嫌いなどの文句を言わなかった。
アンドレ自身、普段は結構質素な食事を摂っているようだ。
夕飯購入がてら学園内を探索したルウであったが、異常はない。
当然、騎士達も異常がないか常に目を光らせている。
研究室に戻ったルウは、果汁のジュースでアンドレと乾杯した。
いつの間にか、アンドレの表情が一変している。
今迄の毅然とした枢機卿の顔はどこかに消え失せていた。
そこに居たのはまるで可愛い孫に会う、ひとりの好々爺に過ぎなかったのだ。
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