第826話 「魔法女子学園オープンキャンパス④」
アニエスは対面に居るルウ、ケルトゥリ、ジゼル3人の中で、ジゼルの顔のみを見詰めていた。
「ジゼル様、私は以前から貴女の噂をお聞きしていました」
噂?
いったい噂とは何だろう?
ジゼルは、ほんの少しだけ気になった。
アニエスのようなまだ幼い少女達の間で交わされる自分の噂とは、一体どのようなモノであろうか?
「そうか? もし良い噂なら私も安心するのだが」
性格上、真面目な顔で聞き返したジゼルに対して、アニエスは満面の笑みを浮かべる。
「はい! ご安心ください、すべて良い噂ばかりです」
ジゼルは世間一般の噂などあまり気にする性格ではない。
但し、このシチュエーションでアニエスの話をまったく受け付けないと言うのも意固地に思えてしまう。
アニエスは、自分へ会いたいという意思を明確に示してくれたのだ。
気持ちに報いてやらねばならない。
それに巷で立っているのは良い噂だけだと目の前の少女は言う。
で、あれば少しくらいは聞いてあげても良いと思ったのである。
「成る程、良ければ聞かせてくれないか」
「はいっ! ジゼル様とは……」
「私とは?」
「八頭身の美少女に始まり、天才、戦乙女、麗人、ハンサムウーマン、それに水属性の魔法適性との兼ね合いでしょうか、水も滴る良い女なんて噂もお聞きしました」
アニエスの言う『噂』はジゼルを褒め称える言葉ばかりである。
よかった! 悪い噂は皆無だ!
ホッとしたジゼルは素直に喜んだ。
「ほお! そうか、そうか! 嬉しい限りだ」
「でも……」
「ん? でも?」
「最近は劇的にお変わりになられたとかで噂の内容も変わって来ました」
噂の内容が最近変わった?
噂を聞いて良い気分になっていたジゼル。
つい気にしてしまうし、劇的と言われれば尚更である。
「劇的に変わった? 私の噂が?」
「はい! 最近はたおやかとか、優しそうとか、巷では『貴族令嬢でお嫁さんにしたい候補ナンバーワン』だそうです」
「な!? わ、私をお嫁さんにしたい、だと!?」
「はい! 王都では良く耳にしますよ」
ジゼルの眉間に皺が寄った。
何か、不愉快だと感じたようである。
「いかん!」
「は、はい!?」
「いかんのだ! 私が他の男の妻になどと! 私は既に!」
興奮のあまり、ジゼルはつい口を滑らせてしまった。
アニエスが敏感に反応する。
「え? 既にって何ですか?」
さすがに不味いと思ったのであろう。
ジゼルは突っ込もうとするアニエスを何とか躱そうとする。
「あ! いいい、いや! ななな、何でもないっ! それよりアニエスさん、君の聞きたい事は他にもあるのだろう?」
「申し訳ありません ええっと……あ、そうです! 防御魔法の事です」
やっと本題に入ったと見て、ジゼルは安堵の溜息を吐く。
「ふう……うむ、防御魔法がどうしたのかい?」
「はい!」
アニエスは傍らのアンドレをちらっと見た。
「我がブレヴァル家は代々枢機卿の職を担って来ました」
「うむ、良く知っている」
「はい! 我が家の家訓でもありますが、偉大な創世神様の教えとは世界の調和を考え、バランスを保つという素晴らしいものではないですか?」
「う、うむ! そ、そうだな」
アニエスの言う通りであった。
創世神教会で教える教義とは、世界の調和とバランスを保つ事に他ならないのだ。
ジゼルが頷いて肯定したのを見ると、アニエスはここぞとばかりに持論を展開する。
まずは防護魔法の体系からだ。
「はい! 私は創世神様の教えをそのまま体現したのが防御魔法だと考えております。ジゼル様なら当然ご存知でしょうが、魔法防御術を大別する4種類の魔法とは守護、回復、支援、そして対不死者の4つです」
「うむ、そうだ」
「はい! 守護は個人に対する身体強化、魔法障壁、魔法結界などです。回復は治癒と祝福、支援は複数から大多数の者を守護する魔法障壁、魔法結界、そして対不死者は解呪と葬送の魔法です」
アニエスが熱に浮かされたように語る。
一方、ジゼルは今迄にルウが発動した防御魔法を思い浮かべた。
どれもこれも見たことのない、高いレベルの素晴らしい魔法であった。
「ああ、素晴らしいな」
ジゼルはルウの魔法を思い出して、つい感嘆の言葉を洩らしてしまう。
だがアニエスは話の流れで防御魔法に対しての直接的な賛辞と受け取ったようである。
「ジゼル様もそう思われるでしょう? 他にも色々とありますが防御魔法こそが魔法の頂点であり、他の魔法の追随を許しません」
アニエスは小さな胸を大きく張った。
ジゼルは「はぁ」と溜息をつきそうになる。
やはりジゼルが噂で聞いた通り、ブレヴァル家は極端な防御魔法傾倒主義なのだ。
ルウの念話がいきなりジゼルの魂に響く。
『とりあえず頷いておけ、ジゼル。大人の対応だ』
「は、はいっ! 旦那様」
ルウのアドバイスに驚いたジゼルはつい口に出してしまう。
そしてアニエスは耳聡い。
「旦那様?」
「い、いや! 何でもない。確かに防御魔法は素晴らしい」
ルウの指示通り、仕方なく防御魔法を認めたジゼルであったが、話がとんでもない方向へ飛躍する。
「わぁ! ジゼル様に認めて貰えればこれほど心強い事はありません。後はこの学園に入学して防御魔法のみ3年間学べば良いのですわ」
「防御魔法のみ……3年間学ぶ? 何だ、それは?」
「はい! そうです。防御魔法以外は正統な魔法にあらず! 攻撃魔法は人を傷つけるだけですし、鑑定魔法など私利私欲の為に行使されるまやかしに過ぎません。汚らわしい事、この上ありませんわ」
「…………」
アニエスの極端な考えに圧倒されて黙り込むジゼル。
しかし!
「だけど! ジゼル様も同意見であれば私は公の場で声を大にして申します。ヴァレンタイン魔法女子学園の才媛、天下の生徒会長ジゼル・カルパンティエ様の『防御魔法しか認めない』という言質を取り付けたのですからっ」
何故、ジゼルがアニエスの考えを全て認めた事になっているのか?
さすがにこれは見過ごせない。
「ま、待ていっ」
「は? 何を待つのでしょう?」
「私が『防御魔法しか認めない』という話だ」
「だってそう仰ったでしょ、はっきりと」
「言ってなどおらん! 私は単に防御魔法が素晴らしいかと、貴女に聞かれたから、そうだと答えたに過ぎん。何故私が防御魔法唯一主義者になるのだ」
ジゼルはきっぱりと否定した。
すると!
アニエスの言葉遣いががらっと変わったのである。
「はぁ? 何それ?」
もうジゼルも遠慮などしていなかった。
ここで曖昧にすれば巷で何を言われるか分からない。
はっきりと自分の意見を言わなくてはならない。
「何それ? ではない。私は魔法全てが素晴らしいと考えている」
「へぇ? ジゼル様ってすぐ前言を撤回するのね。がっかりだわぁ、最低ぇ、幻滅ぅ」
「な、何っ!」
「嘘つきだぁ! ジゼル様って嘘つきだぁ!」
「何! 私が嘘つきだと?」
挑発とも言えるアニエスの物言い。
ジゼルは怒りのあまりすっくと立ち上がったが、目の前を遮るように腕が差し出された。
驚くジゼルが見ると、制止するルウの腕であった。
ルウは片目を瞑っている。
「ここからは俺が話そう」
後は任せろという事だろう。
ジゼルは素直に従う事にした。
「は、はい! ルウ先生」
ジゼルが口調を変えてルウの名を呼んだので、アニエスは興味が湧いたらしい。
ルウに向き直って確かめるように問い質したのだ。
「ルウ? ああ、さっき無詠唱で攻撃魔法を発動した平民の先生ね」
「ああ、そうだ」
ルウが肯定すると、アニエスは馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ふふん! あんなのどうせインチキでしょう? 何か仕掛けのあるトリックに決まっているわ」
「インチキ? お前はさっきから勝手に人の意見を捏造したり、何も知らない癖に事実を否定し相手を中傷する趣味があるのか?」
ルウの表情はいつもと変わらない。
穏やかな表情で淡々と話すだけだ。
「はぁ!? 何故私がそのような事を? 私は誇り高きブレヴァル家令嬢なのよ」
「成る程、お前は姉の事も酷く言っているそうだな」
ルウがステファニーの話をすると、アニエスは首を傾げる。
「姉? ああ、ステファニーね、あの汚らわしい愚物。貴方、何故あいつの事を知っているの?」
アニエスはルウをじっと見詰めた。
そして何かを思い出したかのように頷いたのだ。
「はは~ん、あいつがお熱の先生って貴方ね? 馬鹿な奴ね、貴族が平民なんかを尊敬したり好きになるなんてありえない」
アニエスの口汚い罵倒を聞いてジゼルが再び、そしてケルトゥリでさえ立ち上がった。
ふたりとも鬼のような形相をしている。
あまりにも無礼なアニエスの言葉と態度に、腹が煮えくりかえっているのは間違いなかった。
そんな中、ルウはアニエスの祖父である枢機卿アンドレ・ブレヴァルが自分をじっと見詰めているのに気が付いた。
何か意味ありげな眼差しである。
しかしルウはアンドレに視線を合わせようともしない。
アニエスを見たまま、パチンと指を鳴らしたのである。
「あはははは、平民なんて…………」
罵詈雑言をのたまっていたアニエスの口から言葉が消えた。
ルウの沈黙の魔法が発動したのである。
パチン!
またルウの指が鳴らされた。
すると、浮上の魔法によりアニエスの華奢な身体がふわっと宙に浮き上がったのである。
アニエスは完全に混乱している。
口から声のない悲鳴をあげ、手足をバタバタと動かしていた。
そして祖父アンドレへ縋るような眼差しを向けている。
助けを求めているのだ。
しかしアンドレは目を閉じて動かなかった。
パチン!
またもやルウの指が鳴らされた。
すると、束縛の魔法によりアニエスの四肢が突っ張り動かなくなる。
ふわふわ浮かぶアニエスの身体はルウの手許へ来て止まる。
ルウはアニエス抱えると素早く後向きにした。
「!!!」
抱えられた瞬間、声にならない悲鳴をあげるアニエス。
これは……もしや!?
その通り、アニエスの勘は当たった。
パン! パン! パン!
すかさず部屋に乾いた小気味良い音が鳴り響く。
かつての姉ステファニー同様、アニエスは小さな尻を思い切り叩かれていたのであった。
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