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第804話 「天狼の帰還②」

 ブランデル邸4階大浴場……


 カポーン! カポーン!


 ルウの妻達が湯を汲むのに使った桶を床に置く音がやけに響いている。

 今迄屋敷において給湯係であったルウ不在の間は、水の妖精(グウレイグ)のアリスと、そして水属性の上級魔法使いオレリーの最強コンビが、ブランデル邸の大浴場の適温の湯を供給していた。

 既に絶妙の適温ともいえる湯舟へ身を沈めた者はあまりの心地良さに目を細めている。


 しかし……

 案の定というか、湯殿に居る女性陣の中にマルコシアスの姿はない。

 オレリーが思わず溜息を吐く。


「はぁ……ここまで同じ光景が何度も繰り返されると……ナディア姉が以前言った通りですね」


「やっぱりボクの言った通り、歴史は繰り返されるって事なのさ」 


 オレリーに同意して「うんうん」と納得したように頷くナディア。

 まるで仮説が証明された学者のような表情だ。


 リーリャは自分の昔を思い出したかのように笑う


「うふふっ……私も最初は緊張しましたけど……今迄に何度も見たようなシチュエーションですよね~」


「私達も最初は臆したのは否めませんけど、リーリャ、エステル、シモーヌさん、ラウラ姉、アドリーヌ先生……これからも風呂で『洗礼』を受ける女性ひとが増えると思いますわ」


 ジョゼフィーヌもリーリャ同様、過去の記憶をなぞっているようだ。

 傍らではアドリーヌがぶんぶんと首を縦に振っていた。


 一方、満足そうに鼻歌を歌いながら頷いたのはアールヴのミンミである。


「ふふふふ~ん。うん、気持ち良いし、納得。私は全くの初体験だが大人数での入浴に全く抵抗がなかった。それどころか裸の付き合いとは楽しいし、とても快適だぞ」


 妻達は全員身体を軽く洗って湯船に入っていたが、たった1人マルコシアスだけは脱衣所に居るのである。

 かつてのシモーヌ同様、マルコシアスは同性とはいえ、大勢居る中へ風呂に入るのを躊躇ちゅうちょしているらしい。


 ジゼルは苦笑して首を横に振った。


「マルガさんはいかにも生粋の戦士という、ごつい風体なりをしているのに、シモーヌ同様体育会系というのは意外にシャイなのだな」


 しかしジゼルの『意見』に異を唱えたのはオレリーである。


「でもですよ、同じ体育会系のジゼル姉は最初からこのお風呂をバリバリに楽しんでいて、シャイなどという言葉とは全く程遠い気がしましたけど……だからその説は当てはまらないと思いますよ」


 オレリーの突っ込みに対して、驚きのあまり大きく目を見開いたジゼル。


「おいっ、オレリー! 私の説が正しいとか言う以前に聞き捨てならない事を言ったな?」


「聞き捨てならない事?」


「そうだ! 私は違う、断じて体育会系ではないぞ! 文武両道、才色兼備な私は体育会系などというそんな単純な枠には当てはまらないからな」


「「「「「「「「「…………」」」」」」」」」


 ジゼルの必死な弁明に対して妻達の間には微妙な沈黙が漂う。


「誰も同意しないのか! フラン姉! ミンミ姉もラウラ姉も、ああアドリーヌ先生も、全員何だ! その冷たい視線はぁ!」


 ジゼルが声を張り上げて抗議するが、他の妻達は誰も何も言わない。

 ちなみにミンミは微笑み、事情を良く知らないアドリーヌは視線をそらしていた。


 暫し経って、気まずい沈黙を破るかのように指示を出したのはフランである。


「と、いう事で……ほら早くマルガちゃんを呼んで来ましょうね、モーラルちゃん」


 しかしジゼルにはとてもショックであった。

 他の妻達の目からは、自分は単純な体育会系だと見られている可能性が大なのである。


「ああっ、フラン姉ったら思いっきりスルーしましたね、私の事をスルーしてしまいましたね~」


 喧騒の中、身体を洗っていたモーラルは、フランの指示を聞いてさっと立ち上がった。

 そして、肩を怒らせりようにして歩くと、いきなり脱衣場へ繋がる扉を開けたのである。

 脱衣場には服は脱ぎ捨てたものの、タオルで全身をがっつりと隠して防御したマルコシアスが立っていた。


「あの……」


「何だ? マルガ」


「このままで入浴しても……良いかな?」


「駄目!」


 モーラルは怖い表情をして大きくゆっくりと首を横に振る。

 有無を言わさない態度のモーラルを見て、マルコシアスはがっくりと項垂れてしまったのであった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 久々に家族が全員揃って妻達は余程楽しかったのであろう。

 夕飯はとても話が弾んだのである。

 アドリーヌまでもが、まるで以前からルウの妻であったが如く遠慮のないやりとりを交わしていた。

 だがブランデル家の良い所は各自がしっかりけじめをつけた生活リズムを守っている事だ。

 加えてルールもしっかりと遵守されていた。

 今夜ルウと過ごすのはモーラルである。

 久し振りにルウと過ごすミンミでさえ、一切文句を言わずに自室へ引き下がったのである。


 モーラルと一緒に自室へ引き上げたルウであったが、今夜はすぐに休めない。

 今後の事で、従士達と相談があるからだ。


 打ち合せの場所は屋敷に繋げたルウの創りし異界、メンバーはルウ、モーラル、マルコシアス、そして転移魔法で参上したバルバトスとアモンであった。

 今夜の議題は2つある。

 まず最初は最重要課題である。

 フランソワーズ……すなわち人間に転生した悪魔グレモリーの件だ。


 ルウの書斎に酷似した異界で備え付けられた肘掛け付き長椅子へ座ったルウ達は、お互いに簡単な挨拶を交わした後、早速話に入る。


 まず口を開いたのはルウである。


「まさかグレモリーが人間に転生していたとは、な。以前彼女の人間名を聞いて何となく気には、なっていたんだが……」


 ルウの言葉を聞いて首を傾げたのはアモンである。


「しかしルウ様。今のグレモリーは人間の家庭に純粋な娘として生まれた存在……いくら優れた魔法使いと言っても、人化した我々と違い、肉体が伴わなければ悪魔族としての真価を発揮出来ません」


 バルバトスも同意して頷く。


「アモンの言う通りです、ルウ様。それに私もそれとなくグレモリーを監視しましたが、害を及ぼす事など全く無く、人の子としての生を全うしようとしているだけだと……」


 モーラルとマルコシアスはルウ達のやりとりを黙って聞いている。

 アモンとバルバトスの意見は尤もだが、何故かルウは残念そうな表情になった。


「確かに2人の言う通り、今のままのグレモリーであれば問題は無いと俺も思う。性格こそ少し天邪鬼あまのじゃくだが、可愛らしい1人の女の子に過ぎない」


「ルウ様。……と、仰いますと?」


 ルウの口調が気になったのであろう。

 バルバトスが訝しげな表情をする。


「ああ……だが俺の勘がグレモリーは危い……そう警告して来るんだ」


「危い……ですか?」


 今度はアモンがルウの言葉を繰り返した。


「そうだ、彼女自身が災厄を引き起こすのではない。彼女の魂とその思いを利用しようとする奴が居る。そう告げて来るのさ」


 ここで口を開いたのはマルコシアスである。


「彼女の思いは……変わっていません」


 全員が注目する中、マルコシアスは語り始めた。


「輝かしい明けの明星が暮れ行く宵の明星に変わった時、彼女は酷く嘆き悲しみました。かつての月の女神が地の底に繋がれている堕ちた金星へ持つ仄かな思いは……全く変わっていないのです」


 再び、ルウ達全員を見渡したマルコシアスは「ほう」と悲しそうに溜息を吐いたのであった。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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