第739話 「バンジャマンの決意」
バンジャマン・ベカエールはとぼとぼと歩いている。
深い絶望感が彼を捉えていた。
そんなバンジャマンの尻を後から蹴り上げたのがモーラルだ。
「な、何をするっ!?」
怒りの表情を見せるバンジャマンを見ても、モーラルは全く臆したところがない。
それどころか、バンジャマンを厳しく叱責したのである。
「何をする? じゃ、ないわ! しっかりしなさいっ!」
「…………」
「落ち込むんじゃないの! 旦那様の居る前で私達を口説こうとしたくらいなら、何でも出来るでしょう?」
モーラルの指摘にバンジャマンは動揺した。
図星……であったからだ。
「う!? 何故それを……」
「まる分かりでしょう、そんなの。落ち込んでいないでそれくらいの気構えを見せなさいと言っているのよ」
しかしモーラルの言葉に反してバンジャマンは俯いてしまう。
「で、でも……俺はもうお終いだ」
「貴方はこの計画を考え、実行に移した際に覚悟を決めた筈です。リスクもあると分かっていた筈です。男なら堂々としていなさい!」
「…………」
黙り込んでしまったバンジャマンに対してモーラルは厳しくも優しく諭したのである。
そして目を閉じると、穏やかに微笑んだ。
「堂々と、穏やかに、そして最後まで諦めずに、だけど最後の時が来たら笑って、この世から消える……私はいつもそう思って生きています」
バンジャマンは吃驚した。
モーラルの口調を聞いて、思い出したからである。
今やもうこの世に居ない愛する人の事を。
「お前……まるで姉さんだな」
バンジャマンの言葉を聞いたモーラルが僅かに微笑む。
「貴方にお姉さんが居るのですか?」
「ああ、俺には姉が居た。もう死んでしまったが……」
「…………」
「幼い頃魔物に両親を殺された俺達姉弟は必死で生きた。でも姉さんは無理がたたって死んでしまった。最後まで俺を励まして死んだんだ」
バンジャマンは遠い目をしてしみじみと話したのだ。
彼の言葉を聞いたモーラルは大きく頷く。
「で、あれば尚更です。まずは認識しなさい! 貴方のやった事は悪辣な犯罪です。主家を潰そうとたくらんだのですから! でも貴方にも言い分があるでしょう?」
「う、うん……」
「後程、旦那様が聞いてくれます。その上で貴方に選択肢を示してくれるでしょう。後は貴方次第ですよ」
「後は……俺、次第……」
「さあ、行きますよ。皆が心配していますから」
モーラルは口篭るバンジャマンを促して、再び歩き出したのである。
――5分後
モーラルとバンジャマンはフラン達の待つ席へ戻った。
暫し経って、ルウも戻って来ると、宴席はまた盛り上がった。
ルウが気を利かせて、フルーツや焼き菓子などのデザートを口直しとして頼んだからである。
先程、バンジャマンの魔力波を読み込んだ際に彼が甘党だと見抜いたルウの気配りであった。
黙ってフルーツを齧るバンジャマン。
甘い果肉がささくれだった彼の魂を癒してくれる。
「フルーツ好きならこちらもお勧めですよ」
「え?」
冷えた果汁の入ったマグカップを回してくれたのはフランであった。
「す、済みません」
「こらっ、そういう時はありがとう、ですよ!」
「あ、ああ……」
先程叱られた聞き覚えのある声が響く。
また、怒られてしまった。
バンジャマンが恐る恐る見ると、モーラルが屈託のない笑顔で彼を見詰めていた。
その笑顔を見てバンジャマンに勇気が出た。
自然に感謝の言葉が口から出て来た。
「ありがとう!」
「はいっ!」
礼を言われたフランも嬉しそうに微笑む。
やっぱり姉さんだ!
姉さんの声とあの笑顔だ。
俺をいつも励まし、力付けてくれた!
バンジャマンは思わず涙が出そうになった。
宴はまもなく終わり、夜は静かにふけて行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
8月2日深夜……
バンジャマンは夢を見ていた。
夢の内容は様々であった。
幼い頃の夢。
優しかった姉の声と笑顔。
そしてブシェ商会に入ってからの日々。
厳しくも充実していた毎日。
そして最後に彼の前に現れたのが長身で痩身、黒髪の魔法使いである。
今迄見た過去の夢は曖昧な雰囲気であったが、目の前のルウはとてもリアルな存在であった。
ルウは問う。
バンジャマンの意思を問う。
「バンジャマン、お前はまだ生きたいのか?」
「生きたい! だがよく考えてみたら俺のやった事は酷い犯罪だ。姉さんに言われた通りだ」
バンジャマンは前向きになっていた。
モーラルに励まされた事が大きかったようである。
彼はモーラルに亡くなった姉の面影を見ていたのだ。
バンジャマンの言葉を聞いたルウは何も知らないかの如く問う。
「姉さん?」
「い、いや何でもない」
首を横に振ったバンジャマンに対してルウは更に問い質す。
「分かった! では何か望みはあるのか?」
「ああ、俺は別にブシェの娘と結婚したかったわけじゃない。ただ15年働いた事を正当に評価されたかっただけだ。奴があいつはよく働いてくれた、商会に尽くしてくれたと思ってくれれば俺は満足だった」
バンジャマンの望み……
自分のひたむきな姿勢を認めて貰う事。
それは誰もが持つ自然な気持ちだったのである。
「そうか! ではまだ働く気はあるのだな?」
「あるさ! でも俺の罪は裁判にかけられた上で、セントヘレナの中央広場で斬首されるくらいの大罪だ。俺に未来は無いだろう」
バンジャマンの表情は晴々していた。
自分と向き合い、己の罪を認めた人の子の姿がそこにはあった。
「なら死んだつもりで覚悟を持って働ける、な?」
「ああ、殆ど無理だろうが、機会さえ貰えればバリバリやって見せる」
達観したバンジャマンに対してルウの口から意外な提案が飛び出した。
「では働いて罪を償え! お前はロドニアへ行くんだ」
「ロ、ロドニア!?」
唐突に出た他国での労働提案。
ルウの話は更に続く。
「ああ、ヴァロフ商会にフィストという男が居る。会頭であるザハール・ヴァロフの片腕だ。話をつけておくから、お前はロドニアで名前と姿を変えて生まれ変わるんだ」
バンジャマンは吃驚した。
ヴァロフ商会の名前は当然知っている。
取引先でもあるロドニア王国ナンバーワンの商会は、ブシェ商会より遥かに大規模な店であるからだ。
「えええ!!! あ、あのヴァロフ商会で!!! おおお、俺が!?」
「ああ、死ぬ気で働けよ。そうすればいつかお前の仕切れる商会を持たせて貰えるだろうさ」
「お、お前! いい、いや貴方は何者なんだ?」
「そんな事より、どうする? ロドニアで生きるか、ヴァレンタインで斬首されて死ぬか、選べ!」
「決まっている!」
ルウに問われたバンジャマンはきっぱりと言い放った。
「俺は生きる! 死んだ姉さんの為に! 今回の罪を償う為に! 自分の道を切り開く為に!」
「ははっ、確かにお前の決意を聞いた! 分かった、頑張れよ!」
その瞬間、バンジャマンの姿はホテルの部屋から消えていた。
煙のように消えた彼の行方は、ルウ達を除いて誰もが知る事を出来なかったのである。
まもなくロドニアのザハール・ヴァロフ商会にロドニア人の若い男が1人、中途採用され入った。
だが、それがあのバンジャマンだとは、誰も分かる筈もなかったのだ。
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