第735話 「無料という誘惑」
ミンミとモーラルが戻って来た。
幸い怪我は無さそうであるが、何故か全く元気がない。
「旦那様! 申し訳ない、先ほど襲って来た山賊を取り逃がした」
「右に同じ……」
どうやら襲って来た山賊達を捕縛出来なかったようである。
2人は力なく項垂れていた。
しくじってしまったという雰囲気がありありだ。
ここで激怒したのがバンジャマン・ベカエールである。
「全く! 何をやっているんだ、能無しめが!」
「…………」
雇い主である事を笠に着たバンジャマンの容赦ない叱責に、ミンミの腹は煮えくり返っている筈ではあるが、じっと黙っている。
一方、モーラルは俯いたまま無表情だ。
2人の女から反論する言葉が無いのを良い事にバンジャマンは益々怒り狂う。
「こうなったらペナルティだ! 今回の不手際で金貨20枚は値引きさせて貰うぞ」
「ははっ、仕方がないですね、概ね了解です」
「な、何が仕方がないだ! 素直に非を認めろっ」
ルウ達はバンジャマンへ素直に頭を下げたが、実のところ状況は全く変わっている。
バンジャマンと共謀してブシェ商会の転覆を謀ったアンクタン男爵は既にルウの従士であるバルバトスとシメイスに屋敷共々確保、軟禁されているからだ。
アンクタン男爵の屋敷からはルウの予想通り大量の証拠品が発見された。
後は最後の黒幕を引っ張り出すだけである。
そして生き証人のバンジャマンを刺客から守り切るという奇妙なミッションも、絶対に成功させなくてはいけないのだ。
馬車5台からなる商隊に今のところ被害は皆無である。
本来、依頼人と荷の安全確保が依頼の目的なのでルウ達が報酬を値切られる筋合いはない。
だがルウ達は敢えてスルーしている。
ここで下手に騒いで、最後の黒幕を警戒させたくないからだ。
ルウ達はバートランドからセントヘレナへ向かう街道の中間点、郷愁の街へ入ろうとしている。
元々、ヴァレンタイン王国の王都は建国以来バートランドであった。
それを開祖バートクリードが平民の冒険者であるという出自を抹殺する為に新たな都セントヘレナを建設し、遷都したのである。
郷愁と言う街の名は王族と有力貴族が嬉々としてバートランドを出る中、どうしても元の王都に想いを馳せる者達が小さな集落を造った事に始まるという。
彼等は当然、王族や貴族ではなく、それら上流階級の者に仕える使用人達が中心であった。
暇を貰った彼等は何故かバートランドへ戻らず、街を発展させて行ったのである。
郷愁の街の街壁が見えて来ると、バンジャマンは「ほう」と息を吐く。
とうとうこの仕事も半分が終わったからである。
計画もこのままなら上手く行くだろう。
安堵感がバンジャマンを包み込んでいた。
予約したホテルに入り、部屋割りを決めるとバンジャマンは嬉しそうに叫ぶ。
「よし! 今夜は女を侍らせて宴会だ」
多分、ブシェ商会のバンジャマンとして過ごす日々はもう多くはない。
彼は最後の思い出にと、ぱあっと羽目を外す気持ちになったのであろう。
ここですかさず手を挙げたのがミンミである。
「じゃあ私達が一緒に!」
意外ともいえるミンミの言葉に驚いたのはバンジャマンである。
「ふざけるな、おめ~ら! この前は全員人妻だから駄目とか抜かして、俺の誘いを断わってそこの夫と一緒に帰ったじゃね~か!」
バンジャマンの口調には結構な怒りが篭もっていた。
しかしミンミは生き馬の眼を抜くバートランドで多くの男達に散々口説かれた女である。
このような男あしらいなど全く問題にしないのだ。
「急に気が変わりました」
「何っ! いけしゃあしゃあと! どうせお前等人妻じゃあ、俺が口説いたって落ちないんだろうが!」
バンジャマンも相当な男である。
夫であるルウが一緒に居るのに、平気で口説くと言い放ったのだ。
しかしミンミはきっぱりと断言したのである。
「貴方が口説いても落ちません! そして身体へのタッチも厳禁です! でも私達……飲食費以外一切お金が掛かりませんよ」
ミンミはここで切り札を切った。
それは『無料』という言葉である。
ここまでの旅でバンジャマンは『ど』が付くけちだと分かっていたからだ。
「飲食費以外、タダ!? う、ううう!」
「今夜なら、この美しい笑顔がたくさん、そしてもれなく付いて来ますよ! 単に楽しく飲むだけだったら私達とお金を掛けずに飲んだ方が絶対に良いと思いますけど!」
「ぐううう……確かに不細工な商売女と飲んでも金がやたらにかかって仕方がないし……悔しいがお前等は全員超の付く美人だ」
「じゃあ決定!」
「くう! 分かったよ! ああ! 俺って女に関しては押しに弱いなぁ!」
悔しそうに歯噛みをするバンジャマンであったが、フラン達美女に囲まれて幸せそうにしているのは事実であった。
バンジャマンがフラン達に鼻を伸ばしているのを少し離れた所で見守っているのがルウとモーラルである。
「奴等、今夜必ずバンジャマンを襲わせるぞ」
「旦那様の仰る通り、殺しのプロを何人か雇って襲わせると思います」
「それも人を何重にも介して雇って、決して足がつかないように注意している筈だ」
「それで絶対に安全だと思っていますよね」
「ああ、普通の相手なら絶対に証拠を掴む事は出来ないだろうな」
「普通の相手でしたら、ね」
ルウとモーラルは顔を見合わせてにやっと笑ったのであった。
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