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第732話 「恨みのクーデター」

 扉が閉められてルウ達が去った後、バンジャマン・ベカエールはまた大きな舌打ちをした。

 そして部屋に備え付けの魔導冷蔵庫から冷えた白ワイン瓶を取り出すと、ポンと栓を抜き、グラスに注がずに瓶のままラッパ飲みする。


「ふざけやがって!」


 それはたった今、去ったルウ達へ放つ罵声であり、また以前から恨みを持つ人物に対して放たれた呪詛の言葉でもあった。

 バンジャマンは遠い目をすると、悔しそうに唇を噛み締める。


「畜生! ブシェの糞親父め! 俺みたいな男は娘の婿には不適格などと抜かしやがった!」


 バンジャマンは再度、ワインをぐいっとあおった。

 今迄一生懸命働いて来た自分の人生とは何なのだろう?

 出て来る言葉は商会に対する怨みつらみばかりである。


「15年近くブシェ商会一筋に尽くして来た俺を認めないなんて! そんなブシェ家なんぞいっその事、潰してやるぜ! ふひひひひ!」


 バンジャマンは16歳でブシェ商会へ見習い扱いで就職し、2年の下積みを経て正社員となる。

 1人前と認められたバンジャマンは奮起し、5年間働いて数人の部下を持つようになると、管理職として更に5年間実績を積んだ。

 28歳になって商会の幹部社員として中枢を担うようになったバンジャマンは売上げに大きく貢献して来たのだ。


 無我夢中で働いて来たバンジャマンがもう少しで30歳になろうという時期に、もしかしたら、このブシェ商会の後継者になれるのではという気持ちが湧いたのである。

 会頭であるアルマンの子供は1人娘のアンナだけであり、日頃から彼女に婿を取って商会を継がせると宣言していたからだ。


 しかしアルマンはいくつか候補に上げた商家の次男坊で良い人材が居たら、娘に見合いをさせ跡を継がせると、宣言してしまった。

 アルマンとしては今後のブシェ商会の事を考えて、他の有力商家と血縁的な結び付きを作ろうと考えたらしい。


 アルマンの方針が発表されて、がっくりとモチベーションを下げたのはバンジャマンであった。

 アンナの婿に誰が来るのかは分からないが、どこぞの世間知らずの次男坊の下でまた馬車馬のようにこき使われなければならないのだ。


 そんなのは御免だ!


 バンジャマンは商会内で自分と同じ様な不満分子と相談し、思い切って『クーデター』を起こそうと考えたのである。


 邪悪な表情で笑うバンジャマンはどんどんワインを流し込む。


「仕掛けは上々、後は仕上げを御覧じろってんだ! ひゃはははははっ!」


 バンジャマンは何かよからぬ事を画策しているようだ。

 言葉からすると、もう計画を実行に移しているのだろう。


 その様子を一部始終、見ていた者が居る。

 ルウに命じられて精神体アストラルとなったモーラルであった。


『成る程、最初から変な魔力波オーラを出す奴だと思ったけど……やっぱり裏がありそうね。もう少し探ってみましょう』


 モーラルは口角を少し上げて皮肉な笑みを浮かべると、肘掛付き長椅子(ソファ)にもたれて、うとうとし始めたバンジャマンを部屋の天井近くからじっと見詰めていたのであった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 8月1日深夜、ホテル宝冠ティアラルウの部屋……


 バンジャマンの部屋に潜み、彼が寝込んでから部屋を物色して証拠を確認したモーラルが戻っていた。

 ルウとフラン、そして晴れて彼の妻となったミンミがモーラルの報告に耳を傾けている。


 よこしま魔力波オーラを発していたバンジャマンが、密かに計画しているクーデター……すなわちブシェ商会転覆計画をキャッチしたのである。

 このまま放置すれば、ブシェ商会は倒産し、アンナを含め悲しい思いをする人間が多く出るという。


「バンジャマン・ベカエールがブシェ商会の他の従業員と共に反乱を考えているんだな?」


「その通りです」


 ルウとフランの大事な生徒であるアンナを、そんな目にあわせるにはいけない!


 モーラルが概要を報告すると、ルウは強い意思を瞳に宿し、力強く頷いた。

 フランとミンミも真剣な眼差しをモーラルへ向けている。


「はい! 奴の計画はもう発動し、着々と進んでいます」


「ふむ……そうか」


「はい! 我々クランステッラは完全にダミーですね。殆ど意味の無い商隊護衛の任務です」


 どうやら今回のルウ達の依頼にも絡んで来る話らしい。

 しかしルウはその先までも読んでいるようだ。


「ふむ、奴の背後に2つの勢力があるとすれば、ブシェ商会が潰れた後に証拠が残ると不味いと判断し、すぐに動くだろうな?」


「はい! 絶対に『証拠』を消しに掛かるでしょう」


 モーラルの言葉を聞いたルウは苦笑する。


「と、なると皮肉な……話だな。守るモノが変わってしまって」


「全くです」


 ルウに同意したモーラルも苦笑した。

 『証拠』が、一体誰なのか瞬時に理解したフランは美しい眉を僅かにひそめた。


「でも、そのバンジャマンにも少し……ほんの少しですが同情の余地はありますね」


「ああ、バンジャマンに賛同した商会の従業員がこれだけ居るとは、な……後の事を考えるとアンナの親父さんにも少し頭を冷やして貰わないと」


 今回の件は根が深い。

 クーデターを企てたバンジャマンは確かに悪いが、彼をそうさせた要因は確かにあるのだ。


「と、なると作戦は決まりましたね!」


「そうだな。バルバトスとシメイスにも一報を入れて連携させよう」


 ルウの言葉にフラン、ミンミ、モーラルが頷く。


「後でカサンドラとルネにも伝えておくぞ。明日は上手くやろう」


「「「はいっ!」」」


 明日の朝は早い。


 話が終わったのでルウを始めとして、各自がすかさずベッドに潜り込む。

 今夜の部屋は4人一緒で2人きりのロマンチックな雰囲気は皆無である。

 さすがのミンミも今夜はルウに添い寝して貰うのが精一杯であった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 8月2日午前4時30分……


 ルウ達はケルピーに跨り、既にスタンバイしている。

 全員が革鎧を纏ったクランステッラは昨日とはうって変わって精悍な雰囲気だ。


 バンジャマンは少しルウ達を見直したようである。

 やはり冒険者ギルドの推薦は伊達ではなかったと。


 今回のブシェ商会の商隊は荷馬車5台から構成されている。

 最近、ブシェ商会の業績は好調だ。

 ヴァレンタイン王国内で様々な魔物が跋扈ばっこし、人々に害を及ぼす事件が次々と勃発ぼっぱつしており、商会の取り扱う武器防具の需要がグンと増えたのである。

 ここ冒険者の街と言われるバートランドで作られる武器防具は特に人気があり、仕入れればすぐ売れるという状態であった。


 元々、ブシェ商会はヴァレンタイン王家や同騎士隊など官公庁を中心とした得意先を持っている。

 しかし、今回の案件は王都セントヘレナの冒険者ギルド支部とギルドと提携した王都内の有力武器防具店数店からの発注で総額金貨30万枚相当【約30億円】という近年にない大取引である。

 今回の発注分をセントヘレナに運び、商会の倉庫にある在庫分と共に冒険者ギルドへ一括納品すると代金の総額が受け取れるのだ。

 この大口取引は同業のライバル社数社に競り勝って、受注した仕事でありアンナの父アルマン・ブシェの手腕といえる。


 だが、この案件においても、陰で散々働いて来たのがバンジャマンだ。

 アルマンは僅かにねぎらいの言葉を掛けただけで、バンジャマンを正当に評価しなかったのである。


 バンジャマンのブシェ商会への『クーデター』実施が確実になった瞬間であった。


 クーデターが成功した暁に、アルマン・ブシェが奈落の底へ突き落とされる姿を想像したのか、バンジャマンは改めて邪悪な笑みを浮かべる。


 そんな自分の姿を一切合財監視する存在がいるとは、当のバンジャマンは知る由もなかったのであった。

ここまでお読み頂きありがとうございます!

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