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第721話 「囚われの天狼」

 昼飯の支度を始めたフラン達、クランメンバーを置いてルウは地下階へ降りる事にした。

 地下に囚われているという人外に単独で接触する為である。


 ルウの身体がいきなりふわっと浮き上がる。

 無詠唱、神速で浮上の魔法を発動させたのだ。


「じゃあ、行って来る」


「旦那様、お気をつけて!」


「ルウ様、ご無事で!」


「お戻りになったら、お昼ご飯をすぐ食べられるようにしておきますよぉ」


 火蜥蜴サラマンダー、十数体の先導でルウは、ぽっかりと開いた穴から地下へ降下して行った。

 地下は1階以上に埃っぽく、すえた臭いが充満していた。

 ルウは降り立つと地下階の左右を見渡す。


 既にルウは索敵で人外が居る地下牢の位置は特定していたのだ。


「あっちか……」


 ぽつりと呟いたルウは、人外が繋がれている地下牢へ真っ直ぐに歩いて行く。

 従う火蜥蜴も心得たもので、ルウの行き先の少し前を舞う。


 魔導灯と火蜥蜴が放つ光でそれまで真っ暗だった地下階が、ぽうっと明るくなった。


 少し歩くとルウの視線の中に何者かが目に入る。

 朽ちかけた石牢の中で、1人の女が背を向けて座り込んでいた。

 散々使い古して擦り切れ、穴の開いたボロボロの革鎧を纏った若い女である。


 女は鍛え抜いた逞しい身体をしていた。

 しかし、ただむやみに鍛えただけではないのは、均整の取れたバランスの良い筋肉の付き方をしているのでも分かる。

 また伸びやかな四肢を見ても、秘めたるバネが凄まじい事も容易に想像出来るのだ。


 しかし!


 女の様子は尋常ではない。

 僅かに呻き声をあげ、全身を震わせている。

 度々、襲われる苦痛に対して必死に耐えているらしい。


 女はルウの気配を察したのか、ゆっくりと痛む身体を動かし、振向いた。

 野生的な顔立ちをした美しい女である。

 切れ長の眼を持ち、短く刈った髪は少年のようであった。


「ぐ! お前がここに来たという事は……あの屑を! が、鵞鳥野郎がちょうやろうを……倒したのか?」


 イポスを屑と呼ぶ女は悔しそうに歯軋りする。

 自分が倒したかったという気持ちがはっきりと現れていた。

 

 女の問いに対してルウは穏やかな表情で返す。


「ああ、殺さずに生け捕りだけどな……」


 ルウからイポスが生きていると聞いた女は肩を震わせて、いきり立つ。


「ややや、奴をっ! わ、私に寄越せ! たた、魂を粉々に噛み砕いてやるっ! つううう……」


 女は立ち上がろうとしたが、それさえもままならないらしい。

 何かの呪いか、束縛の魔法が掛けられているのは間違いがなかった。


 ルウは女へ心配そうに声を掛ける。


「……辛そうだな」


 しかし女はふるふると首を横に振った。


「ぐぐぐ、単なる肉体への痛みなど、どうという事はないっ! それより戦士としての誇りを捨て去る事の方が許し難い!」


 女には肉体の痛みなどより矜持を傷つけられる方が辛いらしい。

 呻く女へルウは再度、問い掛けた。


「その誇り……取り戻してやろうか?」


 しかし女にはルウの言い方が、気に障ったようである。


「この私を知った上で……相手を見て良く軽々しい、そんな物言いが出来るな?」


 だが、ルウは全く意に介していない。


「ああ、出来る……俺の前に居るのは、助けを求める1人の女戦士だろう?」


 ルウの言葉がこころの琴線に触れたらしく、とうとう女の怒りが爆発した。


「愚か者!!!」


 ルウを一喝した女の声は凄まじかった。

 びりびりと砦内の大気が揺れる。

 それは階上にも伝わったようだ。


『きゃあ! 旦那様!!!』


 フラン達の悲鳴と心配そうな声が、ルウの魂に満ちる。

 しかしルウは直ぐに「問題無い」と念話を返した。


『ああ、大丈夫! 単に誇り高い女の子だから』


 しかしルウがわざとフラン達への念話を聞えるように話したせいで、女の怒りは更に煮えくり返った。


「ぐがうううううう……うぉおおおおおっ!ななな、何が女の子だぁ……そのように軟弱な表現を……す、するなっ」


 しかし怒れば怒るほど女の身体には激痛が襲って来るらしい。

 痛みに耐えて身悶えする様が痛々しかった。

 

 その瞬間、ルウがパチンと指を鳴らす。

 女の身体が眩い白光に包まれる。

 無詠唱で神速。

 ルウの治癒魔法が発動したのだ。


「あ、……ふ、ふう……」


 単なる治癒魔法では応急処置にしかならないが、女の痛みは少し治まったらしい。

 切なそうに溜息を吐きながらも、相変わらずルウを睨みつけている。


 ルウは頃合と見たのだろうか、女の事を話し出した。


「ある事件が原因で、傷心のお前に上手く取り入ったイポスが、どこからかお前の記載があるアッピンの書の一部、紙片を手に入れネビロスに献上した」


「…………」


「ネビロスは二君に仕える狡賢い悪魔だ。それを土産にバエルに対してお前を取り込もうと上申した」


「ぐはあ……そそそ、それ以上、い、言うなっ!」


 ルウの言っている事は真実らしい。

 そして女にとっては触れて欲しくない事のようだ。

 しかしルウは話を続けている。


「アッピンにより真名を知られたお前は奴等の手先にならざるを得ない状況に陥ったが、必死に抵抗した……しかし、抵抗の代償として魂と肉体に酷い損傷を受け、この地下に幽閉されてしまったという理由わけだ」


「くおおおおっ! 言うな!と言っているっ!」


「いかに不死身の悪魔と言えども、根幹の魂が消滅すれば死が訪れる。今のお前は瀕死の重傷を負っている。真名を変えて新たな生を得るしかない」


 真実を語ったルウは女を救う唯一の提案をした。

 それはかつてフラン達をヴィネから救う為にルシフェルが使った禁呪である。

 

 しかし女の考えでは到底呑めない条件であった。


「ばばば、馬鹿な! 主より頂いた真名を捨て去るとはっ! いいい、いずれ天に戻る私がそのように愚かな事を出来るわけがなかろう!」


『ではこのまま死すか? この状態で死ねば、まさに犬死にとなる……お前は犬では無く、誇り高き天狼だろう? それで良いのか?』


「ううう……ううう、煩いっ! え、ええっ!? ルルル、ルシフェル様!」


 女は驚いた。

 いきなり魂に聞き覚えのある声が響いて来たからだ。

 そして口に出した筈の言葉が一切洩れていない事に彼女自身気付いてはいない。

 女の口は、ただぱくぱくとしか動いてはいなかったからだ。


「ま、まさか!? やはり噂通り……こ、この人の子を貴方は使徒に!?」


『マルコシアス! 久し振りだな、その様子では元気か? とは聞けぬ、な』


『あああ、おおお、お久しゅうございます!』 


 女=マルコシアスは痛みも忘れ、今度は感動に打ち震えていた。


『何も聞かずに……目の前のこの人の子、ルウ・ブランデルを確りと見るが良い。……お前には分かる筈だ。……但し、分かっても絶対に口にするな』


『え? ル、ルシフェル様? あ、ああああ……あ!? こここ、これはっ!?』


『ふ! マルコシアス! これだけは言っておく。お前を助けたいと思い、行動したのはこのルウだ。そして今、ルウに従う悪魔達はこの私が居るから従っているのではない。それが何故か? その真実をお前は直ぐに理解するだろう』


『ルシフェル様!!!』


 思わず叫んだマルコシアスであったが、それっきりルシフェルの声は消え去った。

 ハッとしたマルコシアスが我に返ると、ルウの声が静かに響いている。


「で、どうする? マルコシアス。俺はお前を助けたいが、真名を変えるにはお前の同意が必要なんだ」


「私を……助けたい? 貴方が?」


「ああ、助けたいよ」


 どうして? と言い掛けたマルコシアスはルウの穏やかな表情を見て何故か素直になれたのだ。


「……お願いする、私を助けて欲しい! 導いて欲しい!」


 その瞬間、全身を襲う痛みは消え去っていた。

 マルコシアスはじっとルウを見詰める。


 僅かに微笑むルウの漆黒の瞳の中には、晴れやかな表情になったマルコシアスが、はっきりと映っていたのであった。

ここまでお読み頂きありがとうございます!


新連載始めましたのでぜひこちらもお読み下さい。


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『秘密の妖精魔法で成り上がれ! フラーメン通りの猫魔法使い』不器用で気が小さい見習い魔法使いの少女パティはある夜、就寝中、猫の妖精ケット・シーの戦士ミレーヌに起こされる。ミレーヌは敵に攫われた主君ベアトリス王女を助けてくれる人間を探していたのだ。

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