第72話 「駆け引き」
やがて……
中庭の中央へ、ルウとジーモンが進み出て正対する。
ジーモンが闘志満々なのに対し、ルウは飄々としていた。
ルウは180cmを超える長身だが、ジーモンの身長は遥かに2mを超え、腕組みをして見下ろしている。
全身凶悪といえる筋肉をまとうジーモンが、痩身のルウを簡単に粉砕するのは、傍から見て当然の事のように思えた。
「ナディア、これのどこが闘技場より凄い試合になるのだ?」
「うん、父様。多分、一方的な試合になると思うよ」
笑顔で答える愛娘に……
「そんな結果は誰でも分かる」と笑みを浮かべるエルネストである。
「ふうむ……お前と賭けても面白いかと思ったがな。ふたり共、あの家令に賭けるのでは、賭け自体が成立せん」
父の言葉を聞いたナディアが、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「うふふ、父様。その賭け、ボク、乗ったよ」
「は? ナディア? 今、何と言った?」
「父様、ボクはあの先生に賭ける。だから勝負だ、父様!」
いきなり真剣な態度で賭けの勝負を持ち掛けて来た我が娘。
エルネストは吃驚すると同時に「大丈夫か?」と彼女の顔をまじまじと見詰めてしまった。
「おいおい、ナディア。お前、気は確かか?」
「うん、至ってボクはまともだよ」
我が娘ながらこの子は頭が切れる。
弟のジャンとは大違い。
この子がもし男子だったら……シャルロワ家は安泰なのに……
ヴァレンタイン王国において、貴族家の跡取りは基本男子……
エルネストは、何度もその才を惜しんだものである。
だが……
それも見込み違いだったのだろうかと、エルネストは複雑な表情だ。
「父様、もしボクが勝ったらお願いしたい事があるんだ。それにうんと言って欲しい」
「ああ、良いさ。何でも頼み事を聞いてやる。その代わり私が勝ったら、逆に言う事を聞いて貰うぞ」
エルネストは「これは良い機会」と考え始めていた。
最近、とある上級貴族から、ナディアを「ぜひ自分の息子と見合いさせてくれ」 と申し入れがあった。
その家と縁戚関係になれば、シャルロワ家はもっと『上』に行ける。
エルネストはそんな思惑を持っていたのだ。
一方……
ナディアの中では、「これで父を説得出来る!」と確信があったのである。
そして……
ここにも試合に関して、怪訝な顔をしながら話をしている父娘が居た。
ジゼルとレオナールである。
「父上、いくら過去にそんな事があったとはいえ……娘の私の前で、理事長を口説くなんてやめて頂きたい!」
「はははははは! ジゼルよ。このレオナール、美しい女性にはそうじゃないと言えない性質でな」
顔をしかめるジゼルを見て……
豪快に笑うレオナールであったが、ふと真顔に戻り、そっと愛娘に尋ねる。
「ところで、ジゼル。あの従者は大丈夫なのか?」
「大丈夫なのかとは?」
思わず返すジゼルに対し、レオナールはゆっくりと首を振った。
「武術において、体格差というのはいかんともしがたいほど大きなハンデとなる。それに私はあの家令を知っている」
「え? 父上があの家令を?」
「ああ、今は亡きフレデリク・ドゥメール伯爵の部下で、かつて『黒鋼のジーモン』と呼ばれた猛者だ」
「黒鋼のジーモン……」
「ああ、剣の達人な上に奴は特殊な体術を使う。過去に数百人も敵を殺し……倒した魔物など、数え切れない」
「敵を数百人!? 数え切れないくらい魔物を倒した? な、成る程! 凄い戦士ですねっ」
惨たらしい話のはずなのに……
ジゼルは何故か目を輝かせる。
ジゼルの父レオナールは女性に対してとても寛容ではある。
と、同時にこの国では最強と謳われる精悍な騎士だ。
また長男で兄のジェロームも父の才を受け継ぎ、ゆくゆくは隊長といわれる王都騎士隊の有望株である。
強い父や兄をジゼルはとても尊敬しており、彼女の強者願望はふたりの影響と言っても過言ではない。
屈強な騎士である父や兄と、武技や武器防具について熱く語る。
ジゼルにとってはこれほど楽しい事はない。
彼女は、王都の闘技場で、騎士同士の馬上槍試合を見るのも大好きであった。
やがてヴァレンタイン魔法女子学園に進んだジゼルは……
武技は勿論、魔法の才能も花開いて行く。
少女から大人になるにつれ、生来の美貌にも磨きがかかり、たくさんの男が言い寄って来た。
加えてヴァレンタイン王国でも要職に就いた公爵の娘である事が、男達の求婚に拍車を掛けた。
だがその中に、強い父や兄を超えそうな可能性のある男は一切居なかった。
その為、ジゼルから見れば、言い寄る男全てが色あせて見えたのである。
そんなジゼルにも今は悩みがあった。
強さのみを求めて行く人生に、大きな迷いが出て来たのだ。
本当の強さとは何だ?
ルウに指摘されたのはまさに図星であった。
「自分と、同じ様な道を歩んだシンディと話してみたい」
と思う気持ちも、高まっていたのである。
先日ルウやフランとの勝負に呆気なく負けた事も、葛藤をますます強くした。
そこで、自分に勝ったルウの強さがどれ程のものなのかと……
今日は期待し、やって来たのである。
父の言う通り、相手のジーモンがとんでもない強さなのは、ジゼルから見ても分かる。
「おお、ジゼル。試合が始まるようだぞ」
つらつら考えていた、ジゼルの思いは……
父レオナールの声で破られた。
そして……
会場の片隅で、やきもきしながらルウを見守っている一団が居た。
魔法女子学園2年C組の生徒、ジョゼフィーヌ、ミシェル、オルガの3人である。
しかも彼女達は、ジーモンを見て震え上がっていた。
ジョゼフィーヌが、震える手でジーモンを指さす。
「ミ、ミシェル、オルガ! あ、あ、貴女達。き、騎士志望でしょ? も、もし、あんなのが敵だったら……た、戦えるのですか?」
「あわわわわ……」
「私には無理です……」
「な、な、情けない! そ、それでも、ほ、誉れ高き騎士を目指す、志ある者の言う言葉ですか?」
怯えるミシェルとオルガを叱咤しながら、当のジョゼフィーヌも歯の根が合っていない。
そんなギャラリーが見守る中……
ルウとジーモンの試合が始まろうとしている。
ジーモンは改めてルウに念を押す。
「ルウ、さっきも言ったが、俺は本気で行く。だからお前も本気で来い。……俺を殺しても構わん」
「…………」
「奥様の事だけが気がかりだったが……もうお前が居ると思うと、俺は殺されても『安心』だからな」
穏やかな表情で無言のルウに対し、何故か、嬉しそうにジーモンは笑った。
まるで達観したような笑顔である。
「ルウ、そろそろ時間だ、行くぞ!」
「了解!」
試合開始を促され、返事をしたルウと、ジーモンは互いに礼をした。
即座に、構えへと入る。
その瞬間。
ジーモンの突きが、いきなりルウの顔面に伸びる。
眼球を狙い、2本の指が真っすぐに伸びて来るのだ。
思わず、ジゼルが息を吞む。
眼球への攻撃は一般的な試合では危険な行為とされ、急所への攻撃と並び、禁じ手とされているからだ。
しかしルウの動体視力で、見切れないレベルの拳ではなかった。
彼は難なくそれを躱したように見えた。
「うおっ!」
突如、ルウが吼える。
何と!
一旦躱した筈のジーモンの突きが、再度、彼の眼球を潰しに来たのである。
「しゃっ!」
ルウは気合一閃、左手でジーモンの拳を弾き、その攻撃をいなした。
だが!
同時にがら空きとなったルウの腹に、ジーモンの正面蹴りがうなりをあげて叩き込まれる。
ルウは、僅かにバックし、蹴りも躱した。
と思った時。
届かなかった筈のジーモンの蹴りが、またもや伸びて来たのである。
「おおっ!?」
ルウは蹴りを喰らわないよう、素早く後ろに跳び退ると、驚いたように笑みを浮かべた。
恐るべきジーモンの攻撃の、『秘密』を見抜いたらしい。
「成る程、拳や蹴りの軌道を途中で変えたり、且つ関節が伸ばせるのか?」
ぽつりと呟いたルウの表情が、次第に変わって行く。
そして今度は、大きな声で言い放つ。
「面白い!」
「な、お前っ!」
いつもとは、完全に変わったルウの顔付きは……
百戦錬磨のジーモンでさえ畏怖を感じさせるほど……
貪欲で凄味のある、肉食獣のような形相だったのだ。
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