第653話 「可愛くない王子には旅をさせよ!①」
「さっさと起きろ! 若造!」
ぱあん!
「あうっ!」
頬を軽く張られて大きく目を見開いた男……
調度品の殆ど無い質素な部屋の粗末なベッドで呆然としているのはロドニア王国第一王子、ロディオン・アレフィエフであった。
高貴な王族たる自分の頬を!?
ロディオンは頬を張った男を睨みつけた。
今の時間は真夜中らしい。
窓から見える空は真っ暗であった。
「な、何をするっ!」
険しい表情をしたロディオンの非難にも男は平然としており、逆にぴしりと言い放った。
「口答えは許さん! 俺達が、今日からお前の面倒を見る事になった鋼商会だ」
低いが、良く通る声で叱りつけたのは陽に良く焼けた褐色の肌をした大柄な男であった。
年齢は30歳前後だろうか……
短い黒髪は酷いくせ毛であり、鼻筋が通った顔立ちは美男子といえるだろう。
体格は鍛えた筈のロディオンより更に逞しい。
極端な鍛え方により筋肉のつき方がアンバランスなロディオンより、均整が取れた身体つきであり、古代の英雄の石像のように美しかった。
しかしロディオンが驚いたのは、男の口から出た鋼商会という名前であった。
そんな団体や組織をロディオンは耳にした事は無い。
「鋼商会だと!?」
「ああ、そうだ。お前がロディオンだな。俺はメイスン、この鋼商会の相談役だ」
「…………」
男が名乗ってもロディオンは黙り込んでいた。
いや……
ショックの余り言葉が思った通りに出て来なかったという方が正解であろう。
しかし、直ぐ反応しないロディオンの態度にメイスンこと悪魔シメイスの声が厳しさを増す。
「反応が遅いっ! 返事は!」
「ははは、はいっ!」
慌てて返事をするロディオンにメイスンはふんと鼻を鳴らした。
「ロディオンという名は長過ぎるな! お前の事はロディと呼ぼう!」
メイスンはにやりと笑って、ロディオンを愛称で呼ぶ事を提案したのである。
この雰囲気でロディオンに拒否する余裕は無い。
不本意ながら承諾するしかなかったのである。
「……は、はいっ!」
「よおし! 少し噛んだが、まあ良いだろう。ロディ! 直ぐ支度をしろ! 出掛けるぞ!」
「は、はい! で、でも! ここはどこだ!? あ、あと今は何時なのだ!?」
ぱあん!
その瞬間、部屋にまた肉を打つ音が鳴り響いた。
「あぐう!」
悲鳴を上げて崩れ落ちるロディオンの前にメイスンは立ちはだかった。
「質問する事が駄目だとはいわない。だが目上の者に敬語を使わない事は絶対に駄目だ」
「ななな! 何故、また殴る! 私は父上にも殴られた事がないのだぞ!」
「黙れ! お前の欠点は状況を一切省みず、考え無しに物言いをし、行動する事だ。お前はいずれ北の大国を導く身だろう。このままではお前の為に国民が全員死ぬ!」
「え!?」
「お前の身分は良く分かっている。俺達はルウ様に頼まれたのだ! 予め言っておくがあの方の兄だと胸を張っていえるくらいの男になれ!」
「う、うううう……」
「泣いていないでさっさと支度をしろ! これ以上同じ事を言わせると座れないくらい尻を叩くぞ! 返事はっ!?」
「あうううう……は、はいい!」
本来、ロドニア王国の騎士修行は他家に預けられて厳しく躾られるものである。
しかし、ロディオンに関しては他家に出向かず、王宮でグレーブの指導を受けた為、世間の厳しさを体感せずに大人になってしまったのだ。
この体たらくも、当然の事であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――10分後
ロディオンとメイスンは真夜中のセントヘレナを革鎧姿で走っていた。
夜間、巡回する衛兵もメイスンの顔を覚えているので、挨拶さえすれば不審がる事は全くない。
「1,2! 1,2!」
メイスンの掛け声が容赦なくかかり、走る速度は上昇する一方である。
持久力に特筆すべきものがないロディオンの息がだんだんと切れて来る。
「ひいふうはあ!」
「よし、スピードアップ!」
「くうう!」
辛そうなロディオンなど関係ないように、メイスンの指示は容赦が無い。
更に暫く走ると開けた場所に出る。
セントヘレナの中央広場であった。
昼間は人の渦であるこの場所も夜間は殆ど人が見当たらない。
「よ~し! ここで休憩だ! ふん! 少しは鍛えていたようだな」
休め! というメイスンの声が掛かると、ロディオンは思わず力尽きたように座り込む。
何度か荒い息を吐いた後に、彼が辺りを見回すと、全く馴染みがない街であった。
「ここは……」
ロディオンが掠れた声で呟くと、腕組みをして傍らに立つメイスンがにやりと笑う。
「ああ、お前が言った最初の質問に答えていなかったな。俺達が居る街はヴァレンタイン王国王都セントヘレナ、時刻は現在午前2時過ぎだ」
「セ、セ、セ、セントヘレナだと!? わ、私はロフスキに居た筈だ!」
吃驚して叫ぶロディオンに対してメイスンの態度は変わらない。
「お前はルウ様の魔法で一瞬にしてこの街へ飛ばされたのだ。まあ、その恰好では誰もお前の事をロドニアの王子であるロディオンだと分かる者は居ない。その方がお前にとっても好都合だろう?」
「…………」
ショックの余り、黙り込んだロディオンに対してメイスンは立ち上がるように促した。
「さあ、もう良いだろう? 出発だ!」
「うぐく……く、糞!」
小さく叫び、ロディオンは拳を握り締める。
悔しさを噛み締めたロディオンと、彼を指導するメイスンは再び、駆け出したのであった。
ここまでお読み頂きありがとうございます!




