第639話 「ボリスの立場」
ボリスとリーリャの父娘は抱き合ったまま身動ぎもしない。
生と死の狭間で運命を切り開いた2人にとっては奇跡といえる再会であったからだ。
「ルウ! 娘に……リーリャに会って改めて実感した。我々を……そして、ロドニアを救ってくれて本当にありがとう」
ボリスはリーリャに会って、国王という前に1人の優しい父親になってしまった。
このような姿は強い王という事からすると真逆なものであり、誰にでも見せられるというものではない。
「お父様……色々ありましたが、私達は旦那様に出会えて本当に良かったのです。そう考えて、これからの人生をどう生きるかを前向きに考えましょう」
泣きやんだリーリャは、微笑みながらも強い意思を見せている。
「リーリャ……」
「これからの人生は今迄と全く違う! わくわくした人生が待っているのですよ」
「ああ、そ、そうだな!」
ボリスが同意すると、リーリャはハッとして父を見詰めた。
「……そうだわ! お父様、騎士達を騙すような事になってしまって御免なさい」
ルウの指示とはいえ、擬態した別人を護衛させた事に後ろめたさを感じてしまったリーリャ。
済まなそうに詫びる愛娘に対してボリスはゆっくりと首を横に振った。
「ああ、良い、良い! お前の母には悪いが、お前とこのように早く会えて私は幸せだ」
「お父様……」
「あれからずっと家族の誰にも言えずに自分の中に苦しみを押し込めていたのに、ルウとお前だけには今後は隠し事をしなくて済む……それだけでも気分が良いのだよ……あ!?」
何かに気付いたようにいきなり驚くボリス。
父の様子を見たリーリャはやはり気になるようだ。
「どうしました? お父様」
「うむ! い、いや何でもない。ははは、さすがだな」
ボリスが感心したのはルウの深謀遠慮である。
彼の配慮が無ければ、自死を選び、悪魔の陰謀がなくてもロドニアは崩壊していたかもしれないのだ。
よし!
この頼もしい息子にもっと頼ってしまおう!
ボリスはそう決意したのである。
「リーリャ……余はまたお前の夫に助けて貰おうと思う。どうだろう?」
「旦那様!」
「親父さん、俺はさっき了解した筈だぞ。家族は助け合って生きて行くものさ」
「おお! あ、ありがとう! では話を聞いてくれ」
ボリスはリーリャを放すと、ぽつりぽつり語り出した。
彼が版図を広げようという野望に染まっていた頃……
たった1人だけボリスに諫言を行う男が居た。
彼の名はバルタザール・フェレ……ロドニア王国宰相である。
いや正確に言うとその時点では宰相で……あった。
ボリスがまもなく彼を宰相の任から解いたのである。
「あの時の余は……本当にどうかしていた……はぁ……」
ボリスは大きな溜息を吐き、俯いてしまう。
時間は当時に遡る……
版図拡大の野望に凝り固まったロドニア国王ボリス・アレフィエフと宰相バルタザール・フェレの間で下記のような会話が為されたのだ。
「陛下! リーリャ様のヴァレンタイン王国への留学は良し、と致しましょう。だが護衛をする騎士団に対してセントヘレナの内偵を命じたり、更に何か弱みを探れなどと、もうヴァレンタインとの戦争を考えておられるのか?」
バルタザールは王の間に伺候し、こう上申したのである。
先王になってから、やっと収まった戦乱の世をまた繰り返したくない一心からであった。
しかしボリスの答えはつれない。
「当然だ! ヴァレンタイン王国を併合するのは祖父の時代から当国の夢である。もしヴァレンタインを併合すれば、帝国を完全に凌駕する事が出来るのだ」
「それはやっと平和になったこの世界をまた戦の世に戻すという事ですか?」
「ははははは! 元々、人は戦いたがる者である。その証拠に戦いが皆無な時代などあるか? 創世神様が我々をお創りになった際に戦って望みのものを手に入れる気概を魂に込められたのだ」
「何と! 創世神様の教えを曲解されるとは! 天罰が当りますぞ!」
「ははは! ……笑止! 曲解しているのはお前の方だ、バル!」
「そうでしょうか? 陛下、どうぞお聞き下さい! 戦いが始まれば罪もない人々が巻き込まれ、蹂躙されて行く。ただでさえ、凶暴な魔物や人外が国民に害を与えているのです。そちらを先に……」
「ええい! 煩い! 黙れ! 国益を考えないお前のような奴は我が国の宰相失格だ。任を解く! 余が許しを出すまで蟄居しておるが良い!」
「陛下! お考え直しを!」
「ええい、汚らわしい! 余の前から去れ! 姿を見せるな!」
「陛下! 分かりました……これで、失礼致します」
こうして宰相バルタザール・フェレは宰相の任を解かれ、自分の屋敷に閉じ篭ってしまったのである。
話を聞いていたリーリャは頬を膨らませている。
「お父様! 私、知りませんでした! ……バルおじ様がお可哀想です! 彼はお父様の事を考えて上申したのではないのですか」
「ああ、今、冷静になって考えればその通りだ。ルウのお陰で正気に戻った余は直ぐにバルを宰相に復帰させるべく呼び出しを掛けた。余をしっかりと支えて貰おうと、な」
そう言うとボリスはがっくりと項垂れて、首を横に振った。
ルウがボリスを見詰めて口を開く。
「でも彼は何度呼んでも出仕しなかった……そうですね、親父さん」
「ああ、そうなんだ。何度呼び出しを掛けても王宮へ来ない。使いを寄越しても奴の屋敷の家令が重度の病気療養中だと断って来る。だが無理矢理、屋敷に踏み込むわけにも行かぬ。別に奴が謀反を起こしたとかではないからな」
このような状況になってどれくらいの時間が過ぎたのか?
ルウはそれが気になったようだ。
「成る程! 宰相が屋敷に引き篭もり音信不通になってからの期間は?」
「もう6ヶ月以上になる! そして噂では最近、奴の屋敷に何か異変が生じているというのだ」
「噂? 異変?」
「ああ、そうだ! 所詮噂なので、具体的にどのような異変なのか? とか、いつ? とか、はっきり見た者は居ないそうだがな……」
ボリスによれば、無責任な噂も流れているらしい。
リーリャはルウを見るが、彼はゆっくりと首を振った。
バルタザールの屋敷に何か異変があったとしても、その原因は巧妙に隠されているようだ。
「ルウよ!」
ボリスは何と両手を合わせた。
そして深々と頭を下げたのである。
「余とグレーブ、そしてバルタザールは幼い頃から、慈しみ、励まし合い、そして成人してからはこのロドニアの為に切磋琢磨して来た仲間だ。それが……このような事になり、バルが……バルの身に何かあったら……余は苦しみをまた飲み込まなくてはならぬ……何卒、この通りだ! 何とか奴を……そして余を助けてはくれないか」
「お父様!」
リーリャの声が切なげに響く。
しかしルウはいつもの通り穏やかな表情できっぱりと言い放った。
「親父さん! 貴方の気持ちは良く分かる。俺は解決へ全力を尽くす……ただ、こうなったのも不可抗力だ。そう考えて邁進するしか無い場合もある……貴方は国王、すなわち公人……なんだ」
ルウの視線を受け止めたボリスは唇を噛み締めながら、頷くしかなかったのだ。
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