第638話 「ボリスの幸せ」
それから暫くの間、ルウとボリスは魔法学校創設の件について意見を交換した。
ボリスは学校運営に関しては当然素人であり、分からない事は根掘り葉掘り質問する。
ルウは短いながら、自身の教師生活と事前にアデライドから教えを受けて来たので出来る限り答えてやった。
ボリスは途中から、公務というよりルウとの会話を楽しんでいる節もあった。
そして概ね合意に至ったのである。
但し、決めなくてはいけない事は山ほどあり、限られた時間と事務方の担当者不在の状況では到底詰められるものではない。
「ルウよ! 細々とした事案に関しては家臣の意見も入れて決めて行こう」
「はい! 俺の方もヴァレンタインの担当者の意見を入れて決めたいですね」
2人は顔を見合わせて頷き合う。
どうやらほぼ合意に達したようだ。
ルウはボリスに了承のサインをして貰う為に自分の収納の腕輪から契約書を取り出した。
「では契約の書類に余のサインをしよう」
「ありがとうございます!」
二国間の条約に近い契約書をこのように容易に結ぶなど常識的には考えられない事であるが、最早ルウとボリスは義理の親子という事もあり、そのような近しい間柄になっていたのだ。
当然、ヴァレンタイン側のフィリップとエドモンも全く同じ間柄なのは言うまでもない。
「ははははは! 先程の親書に倣って、サインの脇に余の添え書きも入れておく。『ルウに一切任せる』とな。これで煩い声もシャットアウト出来るであろうよ」
契約内容を了解したサインに加えて、ボリスの添え書きもあればルウの権限は格段に大きくなる。
確かに様々な妨害などは取り除けるに違いない。
ルウとボリスの考えはほぼ一致していた。
2人とも他者からの建設的な提案は大歓迎だが、代案の無い単なる批判や批評は勿論、儀礼的な会議、無駄な検証などは大嫌いなのである。
「助かります!」
「助かる……か。ところでお前に相談したい件があるのだ」
ボリスが少し遠い目をして呟いた。
どうやら今迄の件とは別件のようだ。
「分かりました! 任せて下さい」
ルウがすかさず返事をするとボリスは苦笑した。
「ふふふ。 まだ何も言っておらんぞ……いや、お前には分かってしまうのだな」
「哀しみの波動を感じましたから……俺でよければ全力を尽くしますよ」
「ありがとう! ……我が息子よ!」
ルウへ慈愛の篭もった声で告げられた礼の言葉。
ボリスの気持ちを確りと受け止めた上で、ルウは穏やかに微笑んだ。
「親父さん、その件をご相談する前に、貴方へ会わせたい人間が居る。親父さんと俺の宝物さ」
「宝物?」
「はい! 宝物……リーリャですよ」
「な、に!? あいつは確か今、リーパ村辺りに到着した筈だが?」
ヴァレンタイン王都騎士隊から送り届けられた愛娘を、ロドニア騎士隊が例によってガラヴォーグ川に架けられた橋上で受取り、昨日のうちにリーパ村へ到着。
ボリスの下へ、リーパ村から鳩便で連絡が来ていた筈である。
ルウはボリスの言葉を聞いて済まなそうに、頭を下げた。
「ひとつお詫びします、親父さん。実は本物のリーリャは擬態して俺達と一緒にヴァレンタインから旅をして来ました。彼女は旅の途中で様々な人や他人種と触れ合い、多くの経験を積んで更に成長しました。一歩一歩大人になっていますよ」
「という事は!? 我が騎士団が迎えに行ったリーリャは?」
「はい! 彼女もリーリャに擬態した俺の妻の1人です」
ここで単純に怒るほど、ボリスは短慮な男ではない。
ルウの真髄を知った今となっては尚更だ。
そしてルウがそのような事をして、偽った理由もボリスの中では直ぐに答えが出たのである。
今回のボリスの罪状の全てを知る者はルウとリーリャだけだ。
他の者を外した3人だけで会って話す事で、ボリス1人だけでは背負いきれない罪をルウとリーリャで共有し、国王である彼を支える。
ルウはそこまで先を読んで、今回の旅の設定をしたのだ。
「お、お……お前と言うやつは! 何故そのように先読みが出来る。何故そのように気配りが出来るのだ……」
ボリスは不覚にもまた涙が溢れて来た。
この男は……本当に!
「相手がどうしたら喜んでくれるか? 自問自答すると自然に答えが魂に浮かんで来るのですよ」
ルウが理由を事も無げに言ってのけるとボリスは、また彼が好きになったのを感じている。
「ほう、お前という奴は! だが礼を言うぞ! しかし良く考えたらどのような方法で、リーリャをこの場へ連れて来るのだ? やはり魔法なのか?」
「まあ、それはおいおいと! では宜しいですね」
「あ、ああ! 頼む!」
ルウはボリスに念を押し、相手が了解すると指をパチッと鳴らす。
その瞬間、ボリスの目の前の床が眩く輝く。
ルウが発動したのは当然転移の魔法であり、それも無詠唱である。
眩い輝きはやがて人型となり、ボリスの目の前に見覚えのある華奢なシルエットが浮かび上がった。
「おお! ま、ま、まさかっ!?」
暫くして光が消えると、そこには1人の少女が立ち、ボリスをじっと見詰めている。
自分の面影を宿す美しい少女を見て、ボリスは言葉を失った。
「…………」
やがて少女の口が徐々に開き、絶対に忘れはしない可憐な声でボリスを呼ぶ。
「お父様!」
少女はやはり……リーリャであった。
こみあげる歓喜の感情によってボリスは大きく混乱してしまう。
「あ、あ、あ……リーリャ! これは夢か? 幻か? お、お前は本当に我が娘リーリャなのか!?」
「お父様! 私です! 本当に私です! リーリャですっ!」
先程と同じ愛娘の声がひと際、大きく部屋に響く。
あの日……「いざとなったら死ね!」とリーリャに冷たく命じた上で、彼女がヴァレンタイン王国へ旅立って以来の再会である。
ボリスも思わず大きな声で応えていた。
「リ、リーリャァ!」
「お父様ぁ!」
2人は駆け寄り、ひしと抱き合った。
3ヶ月余りの時間を経て、父と娘は再会したのである。
リーリャはボリスに抱かれながら、しっかりと父の顔を見詰めていた。
ボリスもリーリャの顔をじっと見詰めている。
暫く会っていなかった愛娘は、何故かやけに大人っぽく見えるのだ。
「お父様! 今迄、ルウ様……いえ、旦那様とされていたお話は私の魂にも伝わっています。……お父様! 貴方が自死などされないで……生きていらして……よかったぁ! 本当によかったぁ! ううう……わ~ん!」
非道ともいえるとても酷い扱いをされたのに、父の身を案じ号泣するリーリャにボリスは胸が熱くなる。
「リ、リーリャ!」
「うううう……お父様は怖ろしい敵に悪い夢を見せられていたのです! い、今のお父様がリーリャの本当のお父様です! 絶対に本当のお父様です! ううううわ~ん」
「……ああ、リーリャ! よ、余は……す、す、済まなかった! 本当に済まなかった!」
よかった!
本当によかった!
余は……幸せだ!
ボリスも大声で泣きじゃくる愛娘の顔を見て、改めて幸せを実感したのであった。
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