第628話 「騎士団長の試験⑫」
今、ルウ達が居るのはエレオノーラの部屋である。
肘掛付き長椅子がひとつ置いてあり、ルウとエレオノーラが並んで座っているのだ。
窓から差し込む月明かりがぼんやりと部屋の中を照らしていた。
幻想的ともいえる雰囲気は、恋人達が愛を語るシチュエーションとして悪くはない。
だが2人の様子は仲睦まじい恋人同士という趣きではなかった。
「もう!」
エレオノーラは頬を思い切り膨らませ、口を尖らせている。
「ルウ様……何か魔法を掛けたでしょう? 私に……」
「さあ、どうかな?」
笑顔で首を傾げるルウに対して、エレオノーラは思い切り詰め寄った。
「どうかなって! 惚けないで下さい! さっきまでどうなっても良いと思っていたのに……何か、こう変に冷静なんですよ」
ルウは部屋に入った瞬間に、無詠唱で『鎮静』の魔法を掛けていたのである。
触れなば落ちんという風情であったエレオノーラは様子が一変していたのだ。
「おお、よかったじゃあないか」
相変わらず飄々とするルウにエレオノーラは不満顔である。
「よくありません! 抱いて頂いて一気にルウ様の彼女にして貰おうと思ったのに」
真剣な表情のエレオノーラであるが、ルウは首を軽く左右に振った。
「そうはいっても、俺とお前はまだお互いの事を何も知らないじゃないか?」
「大丈夫ですよ! もうルウ様の事は良い人だって分かりましたから!」
断言するエレオノーラ。
その仕草は少し幼い雰囲気がある。
「今夜の俺の時間はお前にあげるって話になったんだ。眠くなるまで付き合ってやるよ」
「はぁ……」
エレオノーラは大きく溜息を吐くが、表情を一変させて笑顔を浮かべ、ルウをじっと見詰める。
この様子を見ると彼女は切り替えが早いタイプのようだ。
「まあ良いです! 私って諦めが悪いので……それに『君』より『お前』って呼んで貰うと彼女っぽくて嬉しいです」
エレオノーラの笑顔にルウも笑顔で応えた。
「ああ、俺も『君』っていうより気楽さ」
「うふふ! 今夜は全然眠くないので……たくさん聞いちゃいますよ、ルウ様の事!」
「ああ、OKさ」
ルウの笑顔を見て、エレオノーラも改めて気分が高揚して来たのである。
「ルウ様って……『先生』なんですって? ……お母様から聞きました」
「ああ、そうだ」
ルウが頷くと、エレオノーラはひとつお願いをして来たのだ。
「じゃあ、私も今夜だけは『先生』って呼んでも良いですか?」
「OK!」
ルウは大きく頷く。
こうしてエレオノーラとのガイダル公爵家夜間特別授業が始まったのである。
「ええと……先生が居る学校って……魔法を教える所でしょう?」
部屋に引き篭もっていたエレオノーラではあったが、母セシリアから様々な情報を得ていたようだ。
「ああ、その通り! 魔法使いを育てる為の学校さ」
「そうですよねぇ、だって先生はリーリャ王女様の担任なんでしょう?」
「ああ、そうだ」
リーリャの話をする際に、エレオノーラは少し寂しそうな表情を見せた。
「彼女とは……同じ年齢で幼馴染なのです」
「というと、お前も16歳か……」
リーリャと幼馴染という割には、エレオノーラの眼差しは、懐かしいという雰囲気ではない。
とても遠い場所をぼうっと眺めるような空虚さを感じるのである。
「同じ年齢なのに……彼女、何かもう遠い存在ですね……」
エレオノーラとリーリャは幼い頃は良く王宮で一緒に遊んだという。
しかし魔法の才能が開花して王国から多大な期待をされたリーリャは、既に旅立ってしまった。
遠くヴァレンタイン王国に留学して高度な魔法を学ぶような、雲の上の存在になってしまった。
それに引き換え……私は……
ルウに対してそのようなエレオノーラの哀しい波動が伝わって来る。
自分には何も無い!
ガイダル公爵家令嬢という肩書きを外してしまえばただの女の子……
何という平凡な存在……なの……
「私……今夜の授業っていうより人生相談って感じですけど……お願いして良いですか?」
「ああ、学園の生徒達とは進路相談を行っている。エレオノーラ、お前と同様に将来の職業とか人生の悩みとか色々と相談に乗っているから……どんどん話してくれ!」
「ありがとうございます! 早速ですが……私、迷っているのです!」
「そうだろう……ガイダル公爵家の方針通りに生きるか? それとも自分でもがいて道を切り開くか……だな」
「はいっ! 先生のお陰で、とりあえず変な上級貴族とは結婚せずに済みそうです。ですが、何か自分で出来る仕事を見つけてロドニアにおける自分の役割を果たしてみたい……という希望もあります」
「分かった! エレオノーラ、手を差し出してくれないか? ただ手を握るだけじゃあない、……お前の魂の中を見たいんだ、良いかな?」
「はいっ! 喜んで!」
エレオノーラは即座に手を差し出した。
ルウは彼女の小さな白い手をそっと握った。
エレオノーラの手を握った瞬間に彼女は何か感じたのか、仰け反って白い喉を見せたのである。
「ああ、何か先生の手って……とても温かい! ホッとするわ!」
ルウが手を握ったのは、エレオノーラの魂を直接感じる為であった。
彼女がどのような生い立ちで何を学び、どのような希望を持っているかだ。
その際にルウの魔力波がエレオノーラの魂に流れ込み、彼女は安らぎを感じたのである。
エレオノーラはそのままルウの手を握って離さない。
ルウは穏やかな表情で改めて話を切り出した。
「さて、エレオノーラ。将来への希望というのは『適性』が大きく左右されるんだ」
「適性……ですか?」
「適性とは将来への扉を開けてくれる鍵みたいなものさ。元々の才能が必要なのは勿論だが、興味……好奇心と言っても良いものも同じくらい重要だ。それらに加えて環境や様々な条件が合わさって成立する……適性が見えてくれば個々の励みとなり、将来への鍵となる可能性が高い」
「将来への……鍵……」
「ああ、お前の前にある運命の扉が適性という鍵によって開き、その先にはエレオノーラが通るべき道が待っているのさ」
「私が通る……道ですか?」
ルウに言われた瞬間、エレオノーラには遥かな地平線まで延びるひと筋の道が見えたような気がしたのである。
「ああ! だから、まずお前の興味がある事や、やりたい事を聞きたいな」
ルウの質問に対してエレオノーラは即答する。
「決まっています!」
「ん?」
「先生のお嫁さんになる事ですよぉ! 私、大好きな人のお嫁さんになりたいのです! お母様を見ていたら幸せそうだって思いましたから……あんなにお父様を愛しているから!」
ルウの妻になる!
そんな彼女の理由が両親であった。
エレオノーラはやはり優しい気持ちを持つ、夢見る少女であったのだ。
「よかったな!」
ルウはそんなエレオノーラを祝福する。
「え?」
驚くエレオノーラであったが、確かに今朝までの自分とは気持ちの持ちようが変わっていたのだ。
「その様子なら、もう完全にお父上を受け入れる事が出来るな! 自信を持てよ! お前はとても優しく聡明な女の子さ!」
「……そう言われると……私、嬉しいです! 自信になります!」
今迄萎えていた魂が元気を取り戻し、力が漲る。
気持ちが前向きになって来た。
「お前はとても可愛いし、本当に素晴らしい子さ。それに長い人生の中で、ゆっくり振り返って考える事が出来たんだ。この部屋に居た時間だって決して無駄じゃあないんだぞ」
「先生……」
ルウの言葉がエレオノーラの魂に深く沁みて来る。
確かにこの部屋に居た間も本を読んだり、様々な事をして決して無駄にはしていない。
自分ではそのような予感はあった。
しかし他人から認めて貰えば、それが確信に変わるという事を彼女は初めて知ったのだ。
「人生に無駄な事なんて無い! これからだ、エレオノーラ!」
「はいっ!」
驚くほど大きな声が出た事に、エレオノーラは自分でも吃驚していたのであった。
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