第624話 「騎士団長の試験⑧」
グレーブ・ガイダルはルウの指示通りに自室に下がり、大広間にはルウとグレーブの妻セシリアの2人だけとなった。
「では、奥様。早速行きましょうか」
「はい! うふふ……」
ルウが促すと、セシリアは同行の返事をした後でふっと微笑んだ。
どうやら彼女はルウに多大な期待をしているらしい。
そんなセシリアに対してルウも穏やかな笑顔で返す。
「どうしました?」
「ええ、家風を重んじる父親には反抗的で、父親を崇拝する弟とは絶交状態、お見合いの相手とは全く上手く行かず……そんな娘が貴方にはどのような反応をするか、楽しみで……」
父親と弟からは理解されないエレオノーラの唯一の味方は母セシリアだけのようだ。
先程、ルウが感じた悲しさと切なさと孤独な気持ちを発した魔力波はエレオノーラの魂の叫びなのである。
「奥様は娘さんの気持ちを聞いているんですね」
「ええ……」
「それで何故……ああ、成る程……」
ルウは自問自答した後、直ぐ納得したようである。
「グレーブ殿は家風に縛られて、娘さんと真っ直ぐ向き合っていない。そして娘さんも最初から諦めている……簡単に言えば、そんなものでしょうか?」
ルウが指摘するとセシリアは「その通り」だと頷いた。
「ええ、このガイダル家の家風が私達家族をばらばらにしているわ。だから家族の為には主人にじっくりと考えて欲しいのです」
セシリアはそういうと、大きく溜息を吐いた。
滅私奉公という家風が家族に対してどのような影響を及ぼしているか……
「しかしロドニアは家長が絶対の権限を持っているのよ。妻の私とはいえ、主人へ意見なんて恐れ多くていえないわ」
だがセシリアの言う通り、ロドニア王国の家族的なしきたりがグレーブの独断専行と、妻と娘の意見排除という現状を生み出していた。
まずは当主の父親と愛娘が今の状態を是正しなければ、家族の幸せは来ないと言っても良い。
その上で家長のグレーブにはガイダル公爵家の伝統と家族の幸せのあり方を改めて考えて欲しいのだ。
ルウの漆黒の瞳は瞬きもせず、セシリアを見詰めている。
「成る程……とりあえずは、どちらかが一歩踏み出さないといけないですね。その為には俺という異邦人が役に立ちそうだ」
「ええ、貴方には期待しているわ。大事なお客様にこのような事を頼むのは心苦しいけど……私も必死なのです」
「必死……ですか?」
確かに今迄に面識の全く無いルウへ、このような家族の問題を任せるのは常識外れである。
しかし、出口の見えないこの状態を打破する為にグレーブもセシリアも必死なのだ。
面子と世間体を重んじる貴族が、そこまで追い詰められているのである。
「はぁい! 貴方の仰る通り、私も……家族がこのままではいけないと思っていますから」
「ははっ、それなら話が早いですね!」
ルウが同意すると、セシリアは悪戯っぽく笑う。
「吃驚したのですよ……あの厳格で真面目な主人が、いきなりと言って良いくらい、ここまで胸襟を開いた方は今迄に居ませんから……」
ルウとセシリアの会話が弾んだせいもあり、あっと言う間にエレオノーラの部屋の前に着いた。
やはり……先程、ルウが部屋を出る時に、僅かに扉が空いていた部屋である。
とんとんとん!
「エレオノーラ! 私よ……セシリアよ」
「…………」
「エレオノーラ!」
「…………」
部屋の中から返事はない。
しかし、エレオノーラが在室しているのは、部屋の中から放出される魔力波から、間違いは無いのだ。
とんとんとん!
セシリアは再度、ノックをした。
しかし依然として返事は無かったのである。
「おかしいわ……いつもなら、私だと分かって返事をした上で、扉を開けてくれるのに……」
「ははっ、俺が今夜来ているのが、分かっているのがひとつ、そしてあなた方、ご両親が俺に依頼して貴女だけを同行させたのがひとつ……目的だって確りと考えて、はっきり見抜いていますよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、娘さんは素晴らしい洞察力と観察力を持っているじゃないですか」
「素晴らしい洞察力と観察力!? ……ですって?」
ルウの褒め言葉にセシリアは吃驚して両目を見開いた。
愛娘がこのように褒められた事は無かったからだ。
「ええ、彼女は俺が客として来た事を知って、こうなる事を直感的に先読みした。俺は娘さんに興味が出て来ましたよ」
「興味?」
「はい! 彼女に今、必要なのは前向きになれる生きがいでしょう。まずは話をしてみましょう……ちなみに彼女は、エレオノーラさんは甘いものはお好きですか? 美味しい紅茶は?」
ルウの話には、まだ半信半疑ながら、問い掛けには直ぐ返事をするセシリアである。
「両方とも目がありませんわ、大好きですね」
「だったら好都合ですよ」
「何か、お考えがあるようですね。じゃあ、早速使用人に命じて準備を!」
「ははっ、彼等の手を煩わせなくても大丈夫ですよ。ほら、この通り!」
ルウがパチンと指を鳴らすと、いきなり敷布、そしてポット2つとカップ2つのセットが出現する。
そして水筒代わりの瓢箪も一緒であった。
ルウが収納の腕輪から全て取り出したのである。
「あら! 凄い! これも魔法なのですか?」
「そうですよ」
ルウは敷布を床に敷くと、にっこりと笑ってセシリアに座るように勧めた。
「あら、お外でお茶するみたいね!」
ルウは笑顔のまま頷くと、セシリアの傍らに座ってお茶の準備を始めた。
まず瓢箪からポットに水を注ぐと指でポットを優しく触る。
ポットの中の水は徐々にお湯となった。
ルウは2つあるうちのポットのひとつから、カップにお湯を注いで行く。
こうやって事前にカップを適温に温めておいて、折角の茶が冷めないようにするのである。
「へぇ! 便利ですね、魔法って!」
「ははっ、紅茶とアールヴのハーブティ……どちらが良いですか?」
「へぇ! あら、嫌だ! 私、驚いてばかりで! はしたないわね、うふふ」
ルウとセシリアの楽しそうな会話は廊下から部屋に伝わっている。
先程からルウは気が付いていた。
扉の向こうでエレオノーラが聞き耳を立てているのだ。
「ではハーブティを!」
ルウはハーブティの茶葉を入れるとりんごに似た芳香が立ち昇る。
「あら! これはカモミールね!」
「はい! そしてこれがお楽しみのものです」
「きゃあ! 凄く美味しそう!」
ルウが収納の腕輪から魔法によって取り出したのは、もうお約束といって良い『金糸雀』の焼き菓子であった。
「これはヴァレンタイン王国の有名店で作られた焼き菓子ですが、魔法で焼きたての風味を保っています。さあ、どうぞ!」
「う、うわぁ!」
セシリアは目の前のご馳走を見て思わずはしゃいでしまう。
その表情と仕草はまるで少女のようであった。
娘のエレオノーラが甘党なのも彼女の嗜好から受け継がれているに違いない。
かちゃり……
その時、ドアが僅かに開いたのをルウは見逃さなかったのであった。
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