第623話 「騎士団長の試験⑦」
食事も終盤に差し掛かった頃、ルウはそれとなく話題を切り出した。
「グレーブ殿、ひとつ聞きたい」
「ん? 何だろう、何でも聞いてくれ」
ルウの問いに対してグレーブは笑顔で答える。
この異相の青年が改まって聞くというのは何なのか興味もあった。
「俺の為に用意してくれた部屋の丁度、反対側の部屋の事だ」
「反対側の部屋?」
一瞬、グレーブにはルウの質問の真意が分からなかったらしい。
そこでルウは念を押す意味も込めて再度聞き直したのである。
「ああ、反対側の1番奥の部屋だ」
「……ああ、その部屋には我が娘、エレオノーラが臥せっている……」
グレーブはあっさりと答えた。
愛娘が臥せっているという話は既にルウへは伝えてある。
彼はそれ以上深く追及されたくなかったのだから。
しかしルウは敢えて斬り込む。
それは、部屋から出た時に感じた相手からの魔力波が原因である。
「臥せっている? それは、おかしいな……俺が見た、あの魔力波は健康な者が放つものだと思うが……」
ルウの話を聞いたグレーブは怪訝な表情になる。
魔力波などという言葉は一切聞いた事がないからだ。
「魔力波?……そうか、ルウ殿は魔法使いだったな……私には良く分からないが、その魔力波とは何かな?」
「魔力波とは生きとし生ける者からは勿論、全ての物から発せられる波動です。貴方の娘さんからは悲しさと切なさと孤独な気持ちが発せられていた」
「…………」
グレーブは黙り込んでしまう。
ルウの指摘に思い当たる部分があるらしい。
「何か、俺に話したい事があるんじゃないですか?」
グレーブはどうやら愛娘の事で相当悩んでいるようだ。
ルウは具体的に指摘せず、そっと促したのである。
「ははは、君には敵わないな」
グレーブは苦笑した。
しかし迷惑だという拒否の雰囲気は無い。
ルウはさりげなくグレーブに悩みを打ち明けるきっかけを与えてくれたのだ。
グレーブはそんなルウの気遣いが嬉しい。
「私の書斎に来てくれないか? ……そこで話したい」
「了解です」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガイダル公爵家屋敷、グレーブ書斎……
ルウとグレーブはそれぞれが肘掛付き長椅子に座りながら、正対していた。
グレーブは改めて真実を吐露していた。
「娘は……エレオノーラは実は病気なんかじゃない。至って健康なんだが、最近は部屋に引き篭もって妻以外は誰とも会おうとしないんだ」
状況は結構深刻らしい。
まずは彼の娘が引き篭もった原因を知る必要がありそうだ。
「……何か、理由がありそうですね」
「ああ、我がガイダル公爵家は歴代の当主以下、一族郎党全てがこのロドニア王国へ代々、身を捧げて来た」
グレーブは一瞬遠い目をした。
自分の家の長い歴史を思い起こしているようだ。
「当然、私もそうだし、先程の話を聞いて貰って分かると思うが、息子アトロも同様だ」
ここでルウはピンと来た。
「それを娘さんにも……命じたという事ですね」
「その通りだ。我が家はロドニア建国以来の名門であり、縁組の申し入れも数多い。息子アトロは既に婚約者が決まっておるし、エレオノーラにも私が目星をつけた嫁ぎ先がいくつかあった」
国と王家に殉じる家風。
グレーブはそれを第一に考えたのだ。
「それで引き合わせ……見合いをしたというわけですか」
家同士の為の結婚……
見ず知らずの男女がいきなり夫婦となる。
例外もあったが、ヴァレンタイン王国同様、この国でも貴族同士の結婚は大概そのようなものであるらしい。
「ああ、……相手は当然この国の名門貴族ばかりだ」
「ばかり? という事は何回も何回も見合いをさせたという事ですか?」
ルウはグレーブの言葉から状況を見極めているようだ。
「その通りだ。中々折り合いがつかなくてな……そのうちにエレオノーラは私と口をきいてくれなくなった。そして今では部屋に引き篭もってしまったのだ」
「娘さんは……エレオノーラさんは全く外に出て来ないのですか? 食事や風呂は?」
「私が公務で不在の時に妻とは話していてその際に食事を摂っている。風呂は部屋に備え付きの物を使っているようだ」
そう言うとグレーブは「はぁ」と溜息を吐き、下を向いてしまう。
「分かった、俺が話してみましょう。娘さんと、ね」
「ええっ!?」
「グレーブ殿、どちらにしても、このままじゃあいけない……よな」
「……あ、ああ、その通りだ……君が言う通り、このままで良いわけはない。だが、本当に良いのか?」
「本当に良いのか、とは?」
「ルウ殿、貴方はこの国に来たばかりの異邦人だ。それも今日会ったばかりの私の為に骨を折ってくれる。そんな人間は普通……居ない」
グレーブは世間の一般常識を語っている。
確かに今日会ったばかりの者同士の会話とは思えない内容だ。
「まずひとつ言っておきましょう。俺は貴方とうまくやれそうな気がするのです。先輩として友人として付き合って行きたいと思った。それじゃあ駄目ですか?」
「…………」
ルウの屈託の無い笑顔が向けられてもグレーブは無言のままだ。
あまりにもルウがざっくばらんであるからだ。
しかしルウはいきなり真剣な表情になった。
「一応誤解の無い様、事前に伝えておきましょう。俺の今回の公務は貴方がどう言おうが関係ない展開となるでしょう。ロドニアにとっては絶対に国益となる話ですから……だからお口添えは無用ですよ」
自分の任務とこの件は一切関係が無い。
ルウはグレーブの立場もしっかりと考えているのだ。
「成る程、私が何か言うと、あらぬ誤解を生むというわけか……」
「そういう事です。貴方は私に対して隣国の男という中立的な立場で徹底して貰いたい。もう少し状況が進んでから、じっくりと付き合いをして行きましょう」
「だが、それではルウ殿に全くメリットが無いではないか?」
「……メリット? そんな事より俺は貴方と貴方の家族の力になりたい、それだけですよ」
「ありがとう……」
グレーブの口から素直に感謝の言葉が洩れた。
やはり……
ルウはルウなのだ。
今迄のルウは決してグレーブが『見ていた』からではない。
これが『素』なのである。
こやつ……男……だな。
グレーブは自分より遥かに若い、この異邦人の男と友になりたいと強く思った。
真の男と男は分かり合えれば、出会ってこんな僅かな時間でも莫逆の友となれる……
彼がそう感じた瞬間であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大広間に戻ったルウはグレーブの妻セシリアを入れて再度、話をした。
息子のアトロや使用人は部屋に戻るよう命じてあったので3人での話し合いだ。
グレーブがセシリアに事情を話したと伝えても彼女は怒る気配を見せない。
屋敷に来てからのルウの人となりを女性特有の目で観察していたからだった。
ルウはとりあえずグレーブの娘エレオノーラと話をしたいと告げる。
「では行きましょうか、奥様に同行して貰いましょう」
「私達家族を気遣うルウ様のお気持ち、私は本当に嬉しく思いますわ。了解致しました」
セシリアはルウの要請に笑顔で答える。
エレオノーラは父のグレーブを拒絶していても母セシリアには比較的、魂を開いているらしい。
ルウがガイダル家と親しくなったはいえ、娘のエレオノーラとはまだ面識が無い。
見ず知らずの男が夜、彼女の部屋を訪ねる際に、さすがに単独というわけにはいかないのだ。
「私はどうしたら良い?」
グレーブは唇を噛み締めている。
娘に受け入れて貰えない父親の無力さを痛感しているようだ。
しかしここでグレーブが出張っても事態は好転しないであろう。
逆に悪化する可能性が大である。
「お話を聞いた限りでは、少々時間がかかりそうだ。今夜は先に休んで下さい」
「……分かった。君の言う通りにしよう……本当に申し訳ない、宜しくお願いする!」
グレーブは深々と頭を下げた。
そこには『ロドニアの虎』といわれる猛者の姿は無い。
1人の悩み苦しむ父親の姿があるだけであった。
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