第62話 「導く者」
オレリーがトランス状態に入るのを見届けると……
ルウはそっと彼女の傍を離れた。
それを目敏く見つけたジョゼフィーヌが、ルウに近づいて大声をあげようとする。
「沈黙!」
ルウがひと言呟くと、またもジョゼフィーヌは酸素不足の金魚のように口をぱくぱくする。
ジョゼフィーヌの取り巻きであるセリア、モニク、そしてメラニーも非難の声をあげようとするが、続いてルウの指が「ぱちぱちっ」と鳴り、彼女達の口からも言葉が消えた。
「他の生徒は集中している。静かにすると約束したら沈黙の魔法を解こう。どうだいジョゼフィーヌ?」
ルウが優しく問い質すと、まずジョゼフィーヌが慌てて頷き、セリア達も続いて頷いた。
すぐルウの指が鳴らされ、魔法は解除された。
「ひ、酷いですわ! 1度ならず2度までも!」
ジョゼフィーヌは、さすがに声のトーンをだいぶ落として抗議した。
「ジョゼフィーヌは、俺が教える順番で文句を言いに来たんだろう?」
ルウが尋ねると、案の定図星である。
巣ごもり前の栗鼠のように、思い切り頬を膨らませ、更に口を尖らせたジョゼフィーヌは……半ば甘え且つ拗ねたような態度を見せたのだ。
「当然ですわ! 何故、あんな庶民の指導が先で、栄えある伯爵家と貴族の子女である私達が後回しにされなくてはいけないんでしょうか?」
「いやいや、ジョゼフィーヌ。ここはお前の器の大きさを見せようじゃないか」
ルウはジョゼフィーヌを諭し、穏やかに笑う。
「え? わ、私の器の大きさ!?」
物は言い様だ。
ルウは思ったままを語っているが、ジョゼフィーヌは逆手を取られたようなものであった。
「そう、ジョゼフィーヌの人間としての器の大きさだ。お前はいずれ貴族として人を導く立場だろう。俺が教える順番ぐらいでガタガタ言ってどうする?」
「う! ううう」
「お前は器の大きい、寛容力のある女の子だろう」
「ううう、わ、分かりました。ルウ先生の仰る通りです。私はちまちました事を言うのは嫌いですわ」
「そうか、さすがジョゼフィーヌだ。偉いぞ」
ルウはそのまま手を伸ばす。
「え、ええっ!」
何をするかと思えば……
ルウは手を伸ばし、子供に対してするようにジョゼフィーヌの頭を撫でてしまったのである。
セリア、モニク、そしてメラニーが思わず息を呑む。
こんな扱いは……
この王国の貴族に対して、とても無礼な事になるからである。
「良い娘だ、ジョゼフィーヌ」
しかし!
意外にも、頭を撫でられたジョゼフィーヌが真っ赤になって俯いている。
「…………い、嫌ですわ」
「何が?」
「呼び方です。ジョゼと優しく呼んでくださらないと嫌なのです」
ジョゼフィーヌの言葉に、周囲の空気が固まっている。
う、うわぁ! ジョゼフィーヌ様が―――デレた!
昔からこうなのだ。
普段は高慢な彼女の態度は……
逆に相手を気に入ると、極端にデレてしまう。
セリア達は子供の頃からの長いつきあいで知っていたのだ。
「分かった、ジョゼ、そしてセリア、モニク、メラニー。次はお前達だな」
ルウは笑顔で、セリア達の頭にも手を伸ばしたのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
2年C組教室……
ルウとフランの指導が巧く行き渡り……
生徒達全員がリラクゼーションの訓練に入っている。
学園内は元々、全ての場所で魔力が高いが、この教室は特に魔力が高まっているのが分かる。
教壇に戻ったフランは「ふう」と溜息をついた。
ふと彼女はルウの視線に気付く。
彼は先に副担任用の教壇に戻っていてフランを待っていた。
「フラン、疲れているようだな。お前もやってみるか? 風のリラクゼーションを」
「え、ええ……ルウがそう言うなら」
フランの魔法属性は火であるが、今回は準属性の風の効果を使った方が良いらしい。
それは大きな理由があったのである。
「……フラン、お前と初めて出会った時、一緒に大空を飛んだのを覚えているか?」
ルウは流石に声のトーンを落として囁いた。
フランが黙って頷くと、更にルウは言う。
「お前を抱いたら良い香りがしたから……俺も気持ち良く翔べた……あんな事、初めてなんだ」
フランは驚きのあまり大きく目を見開くと、瞬きもしないでルウを見つめている。
嬉しい!
何故、こんなに私の魂に響いて来るの?
貴方の言葉のひとつ、ひとつが……
「お願い……します」
嬉しくなったフランは大きく頷くと、掠れた声で呟いた。
――5分後
ルウとフランは椅子に深く腰掛け、向かい合って座っている。
「―――行くよ」
ルウの声が唐突に掛かる。
彼の大きな手がフランの頭に近づいて来た。
温かい!
ルウの手から強力な魔力波を感じる。
その時にフランはもう、トランス状態に入っていた。
ルウの言葉に記憶を呼び戻され、既に暗示を掛けられた状態だったせいもある。
気が付いて周りを見ると……
何もない草原にたったひとり立っていたのだ。
ここは多分、『異界』なのであろう。
『くすくすくす……』
暫くして、フランの耳に女の忍び笑う声が聞こえて来た。
それが何者であるか、フランには何となく分かった。
あの時、ルウが彼女の力で飛翔の魔法を使ったから……
『風の精霊! ……さん』
瞬間!
フランの目の前には、ひとりの美しい少女が浮かんでいた。
細身の身体に透明な光沢のある布の衣をまとった出で立ちだ。
ショートカットの金髪に、目鼻立ちの整った顔、その碧眼がフランを軽く睨むように見つめている。
『わ、私を導いてくれるの?』
フランは恐る恐る聞いてみた。
風の精霊は首を傾げて、一瞬躊躇する。
だが、すぐに優しい表情となり、大きく頷いた。
『あ、ありがとう!』
風の精霊がそっと手を差し出した。
フランも、おずおずと握る。
その瞬間、 優しい風がフランを包み……
立っていた草原から、身体がふわりと浮き上がる。
風の精霊に導かれ、あっという間にフランは大空高く上昇して行く。
そして彼女の向かう先には、誰かが浮かび、大きく手を振っていた。
ルウである。
心が湧きたったフランは大きく手を振り返し、大声で彼の名を呼んだのであった。
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