第616話 「主命に背く男」
ルウの身分証明証が魔法水晶に翳されて、本人である事が確認されたようである。
そして当然の事ながら、魔法水晶には犯罪歴も検出されなかった。
「確かにお前はルウ・ブランデルのようだ」
ロドニア騎士団長グレーブ・ガイダルは目の前のルウを本人と認めると、真っ直ぐに見詰めた。
何か決意を秘めたような眼差しである。
それはグレーブが言い放った言葉で明らかになった。
「私はお前がロフスキに来たら、直ぐボリス陛下の下へ連れて来る様に、と主命を受けている。……だが私は敢えて主の命令に背く!」
主君の命に背く!
それは王への揺ぎ無い忠義を信条とするグレーブにとっては、深い谷底へ飛び降りるような覚悟に他ならない。
だがルウは意に介していないようである。
「それで?」
「むう! それで……だと!? どのような事か分かっているのか! 陛下に忠誠を誓った、この私が主命に背くのだぞ!」
「そりゃ、大変だな」
重大な決意をまるで軽く言うルウに、グレーブは苛立ちを隠せない。
「うぐぐ……さらっと言いおって! リーリャ様がロフスキにお越しになるまでにはまだ暫くかかる。それまでに私がお前を見極めてやろうというのだ、ありがたく思え!」
「見極める……か、ロドニア騎士団長たる貴方に俺の事を理解して欲しいのはやまやまだが……一応、俺はヴァレンタイン王国の公使という立場なのでな。留め置かれるわけにはいかないんだ」
グレーブはロドニア国王ボリス・アレフィエフ警護の責任者だ。
昨日、彼からお呼びがかかり、跪いたグレーブは信じられない言葉を聞いたのである。
「ルウ・ブランデルがノースヘヴンに入ったそうだな」
「御意! 当地の衛兵隊が鳩便で連絡をして来ました。魔法女子学園の校長代理、そして生徒数名を伴っているとの事です。数日中に出発するとの事なのでロフスキに来るのも時間の問題でしょう」
「ふむ! 彼はリーリャの留学先である魔法女子学園の教師だそうだが、我が王国の大事な客人だ。ロフスキに来たら、早速、彼を余の下へ連れて来る様に! ああ、くれぐれも丁重に、な! ……余、自ら歓待したい! 2人きりで会いたいのだ」
「ぎょ、御意!」
目の前のルウ・ブランデルという男……
黒髪で黒い瞳、そして長身で華奢な細身の身体……
確かにリーリャ王女の恩師なのであろうが、大国ロドニアの王が自ら歓待するほどの男なのだろうか?
マリアナの手紙では、ルウという男、魔法使いでありながら武技に優れた、いわゆる武辺者という事であった。
しかし目の前に居るルウは、グレーブが持っていたイメージとはまるで違う男だったのだ。
リーリャ王女の担任教師とはいえ、万が一害意を持つような男であったら、取り返しのつかない事になるだろう。
そうならないように、騎士団長であるグレーブ自ら、調査・確認しなければならない。
だが意外な事に目の前のルウは単にリーリャの担任教師に留まらない役目を命じられていた。
それも国を代表する公使だという。
グレーブは驚き、声が大きくなった。
「むう! 公使だと!? 何の為の公使だ?」
「ああ、ヴァレンタイン王国とロドニア王国の両国友好の為に良い話を持って来たのさ」
両国友好?
こいつはとんでもない役目を背負って来たのか?
グレーブは思わずルウに詰め寄った。
「な、何だと! それをさっさと言え!」
勢い込むグレーブに対してルウも嬉しそうに頷く。
「俺も個人的には貴方になら、伝えたい!」
「おおっ、言ってくれるのか!」
「ははっ、だが、断る!」
一瞬、ポカンとするグレーブであったが、ルウがにっこりと笑っているのを見ると怒りを爆発させた。
「ああ!? 貴様、よりによってこの私で遊びおって!」
「いや、貴方はいじり易い人だ……これも親愛の情だと受け取って欲しいのだが」
「親愛の情だと!? これのどこが、だ!」
益々激高するグレーブを見てもルウは飄々としている。
「俺の事は色々と知っているのでしょう?」
騎士団長のグレーブの下へは部下のマリアナ・ドレジェルから手紙が届いている筈だ。
ヴァレンタイン王国の検閲があっても、ルウの人となりは伝わっているに違いないのだが……
「へ、陛下からお聞きしているし、マリアナの手紙でも知っているぞ!」
やはりグレーブはルウの事を良く知っている。
しかし、自分の目で確かめなくては気がすまない性質らしい。
「そうであっても、主命にも背くくらいに、俺を信用していないのだな」
「あ、当り前だ!」
きっぱりと言い放つグレーブは目を爛々と光らせていた。
大事な主君の生死に係わる重大事を他人の判断に任せたくないのであろう。
彼はいわゆる一徹者なのである。
ルウは苦笑いして肩を竦めると、一応グレーブの希望を聞くだけ聞いてみる事にした。
「見極めるとはどうするのだ?」
「マリアナ同様、私と戦え!」
これは単純明快だ。
力を賛美するロドニア王国の騎士ならではの決着のつけ方である。
しかしルウはグレーブの本音を見抜いていた。
主君が歓待したいという相手の事を武技だけではなく、全ての面において自ら、見極めたい。
それがグレーブの本音であった。
「戦っても良いが、彼女と違って貴方はそれでも納得しない気がする。と、なれば試合をしても無駄だろう」
「むむむ……」
唸るグレーブに対して、ルウは場所を変えようと言う。
「まあ良いじゃないか、お互い忙しい身だ。貴方となら分かり合うまでそう時間はかからないと俺は思う。逃げも隠れもしないから、とりあえずここから出してくれ」
「ここから出せだと?」
詰め所から出して欲しいというルウにグレーブは呆れた。
しかしルウの表情は真面目そのものである。
「ああ、このままここに居ても意味がないだろう。そんなに俺をアレフィエフ陛下に会わせるのが嫌なら、とりあえずロフスキの街を散策したい。貴方も付き合うか?」
「……くくく! し、仕方が無い。私はこのままの恰好では目立つ! 着替えて来るからここで待っているがいい」
「ははっ、了解だ」
こうしてルウとロドニア騎士団長という珍しい組み合せでロフスキ散策が決まったのである。
――15分後
一旦、ルウが居る部屋から出たグレーブは、伝統あるロドニア騎士団独特の革鎧を脱ぎ捨て、どこにもあるような地味で目立たない革鎧に着替えて、現れた。
ルウが待つ部屋へ急ぐ団長を見て、部下の騎士達が止めにかかる。
「騎士団長! どうしてもおひとりで行かれるのですか?」
「そうですよ! 彼の監視でしたら、私達がやりますよ!」
「ああ、良い! あいつは私ひとりで責任を持って監視する! 」
「は、はぁ……」
ボリス・アレフィエフの主命はグレーブに直接、下されたものなので部下達は知る由も無い。
いつもは冷静沈着な騎士団長がいきり立つのを部下の騎士達は驚きの眼差しで眺めていた。
グレーブはルウが居る部屋の扉をノックもせずに入って行った。
ルウは椅子に座り、腕を組んで、目を閉じている。
そのような彼の落ち着いた様子がグレーブには逆に腹が立った。
「用意が出来たら、行くかい? 騎士団長」
「ふん! 仕方が無い、お前が何かしないように同行させて貰う!」
「ははっ、うっす!」
ルウとグレーブは詰め所を出ると、並んで歩きだしたのであった。
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