第602話 「ノースヘヴンで昼食を②」
リーリャの声を聞いてルウ達は店の前に集まった。
「ああ、ジビエ料理の店か……」
ルウは穏やかな表情で呟く。
ジビエとは狩猟によって食材用に捕獲された野生の鳥獣の事である。
貴族が領地や管轄地などで自ら趣味と実益を兼ね狩猟を行うのは勿論、従士や領民の猟師を使って確保した野生の食材を調理する。
ジビエ料理とは、こうして発展して来た食文化なのだ。
ルウが妻達に対して簡単にジビエ料理の説明をした上である箇所を指し示した。
それはリーリャが見たヘラジカの絵の下であり、取扱いをしている色々な肉の種類が明記してある。
「ええと……鹿、野兎、猪、そしてヘラジカなど各種ですって!」
ブランデル家では料理人として主戦力であるオレリーが興味深そうにチェックしている。
そして但し書きを見たナディアが仰天した。
「あわわ! 当店では一部の方が好まれる魔物の肉は一切取り扱っておりません――何て書いてあるよ! ボクには信じられない! そんな人って居るの?」
「……食べる魔物の種類にもよるな……」
妻達の背後でぼそりと誰かが呟く。
「え?」
何人かの妻達の視線がアモンに注がれる。
ナディアの言葉を聞いて僅かに笑っていたからだ。
「アーモンさん! も、もしや!」
「ああ、珍味としていけなくはない……」
それを聞いたルウは苦笑し、妻達は一瞬固まってしまった。
話題を切り替えようとしたのであろう。
ジョゼフィーヌが噛みながら店名を確認した。
「……ズズズ、野獣ですか、凄い名前ですわ」
「で、でも昼食をやっているのかな? 何か閉まっているっぽいけど……」
ナディアの言う通り店内には灯りがついていない。
当然、他の客の気配もなかったのである。
「よし、じゃあ俺が聞いてみよう、済みません!」
ルウは妻達を制して開け放たれた入り口に身体を突っ込んだ。
そして店の状況を知ろうと声を張り上げたのである。
「……何だぁ!?」
すると重々しい声で返事が戻って来たのだ。
どうやら店主の声らしい。
ルウは自分達の希望を伝えてみる事にした。
「こちらで昼飯を食べたいのですが……」
出て来た店主は人間族で、英雄亭店主のダレン・バッカスを小柄にしたような髭面の中年男である。
妻達の期待の視線が店主に集中するが、彼の返事はとても残念なものであった。
「ああ!? ウチは『昼』をやっていない。夜だけの営業さ」
ルウと店主のやりとりを聞いている妻のうちでやはりリーリャの落胆は大きい。
いつも朗らかな彼女ではあるが、珍しくがっかりしている。
それはアリスに擬態していても変わらなかった。
リーリャの落胆振りを見たルウは店主へ少し交渉してみる事にした。
「成る程……それは残念。俺の嫁の1人が表の看板を見てぜひエルクを食べたいと言うので……何とか作って貰えませんか」
「ふうん……嫁さんにか? お優しいこった! ところでお前さん達はどこから来たのかね?」
ルウの話を聞いた店主は肩を竦めた。
しかし一応、話は聞いてくれそうだ。
「ヴァレンタイン王国からですよ」
「う~ん……」
店主は暫しの間、考え込んでいるようである。
そして意外な答えを返してくれたのだ。
「仕方無い! 大サービスだぞ。折角遠国からこのノースヘヴンへ来てくれたんだ。正式なメニューではなく『賄い料理』でよければ作ってやろう。ちょうどエルクの美味い奴が入ったばかりさ」
「ありがとう! ぜひお願いします」
ルウのお礼の言葉を背に受けて店主は厨房に引っ込んだ。
妻達からも喜びの声があがる。
「わぁお!」
「よかったね!」
「エルク、どのような味なのかしら?」
「楽しみ!」
喜ぶリーリャを妻達も温かく見守っている。
万歳をしていたリーリャであったが、店主の言葉が気になっているようだ。
「賄い料理って何ですか? 旦那様」
「賄いと言うのは客に出す正式なメニューではないものだ。基本的には店の従業員が食べる料理の事さ。だけどたまにそれが正式なメニューになる事もある」
ルウの説明にリーリャは納得したようである。
店主に無理なお願いをしたのはこちらなのだ。
そんな気持ちになれるリーリャは間違いなく、成長していたのである。
――30分後
「ほら、見た目は悪いが俺達が食べているものだ。どんどん食べてくれ」
店主が出して来たのはエルクの端肉を挽肉にして調理したものだ。
野菜をみじん切りにして香辛料、卵、小麦粉をつなぎとして加え、混ぜた肉を丸い形に改めて成型し、焼いたものであった。
火を充分通したのか、色は黒めである。
苔桃のジャムが付け合わせとして添えられていた。
「「「「「「「いただきます!」」」」」」」
ルウ達は恒例の黙祷をしてから、出された料理を食べ始める。
リーリャは旺盛な食欲を見せてどんどん食べていたが、他の妻達はエルク初体験である。
ジゼルもひと口食べて笑顔で唸った。
「あ! 全然エルクの臭みが無い! これはハーブだ!」
ロドニアとアールヴの国イェーラは国境を接している。
ザハールの言った通り、イェーラからは大量のハーブが持ち込まれているようだ。
店主は腕組みをしながらルウ達を見守っていたが、一心不乱に食べているリーリャに優しい視線を向けた。
「ふふふ、嬢ちゃん、美味いか?」
「はいっ!」
大きな声で返事をしたリーリャ。
そしてルウは料理を食べてぽつりと呟いた。
「血抜きの技術が抜群なのと肉を上手く熟成させているな」
ルウの言葉を聞いた店主はちょっと驚いたようである。
「ふむ、兄ちゃんは中々物知りだな」
「ああ、まず獲物を狩った時に直ぐ血抜きをしないと肉が臭くなってしまう。それと野生の獣の肉は基本的に固い。だから犬などに追わせて疲れさせて肉を柔らかくさせる」
「ほう!」
「更に数日置いて狩った肉を熟成させると絶妙の味になる」
ルウの知識に店主は益々驚いたようだ。
自分が実行している狩りや料理の秘訣。
このような若い魔法使いが知っている事が意外だったらしい。
「良く分かっているな。坊主、それをどこで知った」
「俺は以前アールヴと暮らしていた。彼等が狩りをする際に同行して手伝った時、教えて貰ったんだ……でも言うは易し、実際に行うのは難しい」
最後に言った言葉は店主を尊重しての発言らしい。
知識はあってもその道のプロは違う。
ルウはそう言いたかったのであろう
「美味いよ、店主さん」
「美味しいわ!」「食べ易い!」「最高だ!」
「ふふふ」
ルウの事を気に入って嬉しそうに笑う店主を、料理を頬張る妻達の賞賛の言葉が包んでいたのであった。
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