第6話 「帰還」
学園と言えば先生と生徒なんですが、御免なさい! 導入部分が長くて。
ルウが馬車に乗り込むと、扉が閉められる。
御者が馬にひと声掛け、鞭が「ぴしり!」と鳴らされると馬車は出発した。
その周囲を、馬に乗った4名の衛兵達が固め、馬車と併走する。
馬車の中で、ルウと向かい合わせに座ったフランは、やっと安堵の表情を見せた。
「ヴァレンタインは冒険者の国と言われているけど……」
フランが言うには……
ヴァレンタイン王国の都セントヘレナは本来、余所者が入国するのにとても厳しい。
身元を保証して貰い、市民証を得て税金をきちんと支払えば、全く問題無いらしいのだが。
この王都に対し……
始まりの街とか冒険者の街と呼ばれる、ヴァレンタイン第2の都市バートランドは対照的らしい。
ルウが当初目指していたこの街は、大陸の冒険者ギルドの総本部もあり、冒険者にはとても寛容な街なのである。
それで、門に居た衛兵達の見る目が厳しかったのか……
ルウは納得し、苦笑する。
そんな事を考えているとは露知らず、フランは自宅へ来て欲しいと懇願した。
「とりあえず私の家に来て! 母に今までの経緯を説明して欲しいの」
「ああ、任せろ」
また!
あの『言い方』を聞けた!
フランはつい嬉しくなり、満面の笑みを浮かべながらルウを見つめた。
馬車は市街地を通り抜け、やがて貴族達の屋敷街に入って行ったのである。
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「フランシスカお嬢様がお戻りになられたぞ」
「お怪我をされているのではないか?」
「早く医者を呼べ!」
「お部屋の片付けは済んでいるのか?」
ドゥメール伯爵邸へ、ふたりを乗せた馬車が着くと……
使用人達が心配のあまり、騒いでいるのが聞こえて来た。
衛兵が物々しく、家令の下へ報告にやって来たのを知っているからである。
この家の令嬢に、道中何かあったらしい事は使用人皆が感じていたのだ。
「お前達、静かに、そんなに騒いではお嬢様の身体に障る」
その中にひと際目立つ男がひとり。
彼は騒ぎ立てる使用人達に対し、低いが良く通る声で一喝した。
男の年齢は、50代半ばをとっくに過ぎている。
しかし、そんな年齢を感じさせないほど逞しかった。
身の丈は2mをゆうに超え、凶悪な程に発達した胸の筋肉がシャツの上からでも分かる。
腕の太さは丸太のようであり、太腿は女性の腰まわりくらいはあるだろう……
日焼けした浅黒い肌、スキンヘッドで彫りの深い顔立ちに意志の強そうな分厚い唇、鳶色の鋭い瞳が放つ鋭い眼光が、周囲へとてつもない威圧感を与えている。
「は、はい」
「申し訳ありません、ジーモン様」
「き、気をつけます」
男の迫力に慌てて謝罪をし、たちまち黙り込んでしまう使用人達。
この男こそがフランの母ドゥメール伯爵に屋敷の全権を与えられ、この屋敷の使用人全てを取り仕切る家令のジーモンである。
馬車が屋敷の正門前に止まり、衛兵が脇を固める中で扉が開く。
まずルウが降り、手を差し伸べると彼の手をしっかりと握り、フランが馬車から降り立った。
それを見ていたジーモンの眉間に不快の皺が寄り、眼光はより厳しくなった。
手を繋いだ、ふたりの前に立ちはだかったジーモンは、ルウを全く無視してフランに話し掛けた。
「これは、これは……フランシスカ様、ご無事で何よりでございました」
「ジーモン、ご苦労様。報告は衛兵から行っているわね」
「はい、奥様には私めから今回の事は報告をしております」
「では、彼を連れてお母様のお部屋に参ります」
しかし、ジーモンは立ったまま動こうとしない。
「そこをどいて!」というフランの抗議にジーモンは全く表情を変えずに抑揚の無い声で答える。
「奥様は研究室に籠っておられます。フランシスカ様については、入浴されてから研究室へお越しいただく様にという、お言伝を預かっております」
「もう! またよ、また魔法の研究、暇さえあれば魔法なんだから」
フランは苦笑し、ルウを見て肩をすくめる。
「分かったわ、入浴してから研究室に行けばいいのね。ルウ、行きましょう」
フランはルウの手を握り、屋敷の中へ入ろうとした。
だがまたもやジーモンが、身体の向きを変え、ふたりを止めた。
「今度は……何?」
流石に、フランの表情には苛立ちが生じている。
主の不機嫌さを見ても、ジーモンは表情を変えなかった。
「奥様からは……お嬢様を通すように、としか伺っておりません。そこの者は一体何者でしょうか?」
「衛兵から、報告が来ていないの?」
「はい、お嬢様が途中で賊に襲われ、警護の騎士が全員死んだとしか伺っておりません」
嘘だわ。
フランは黙ってジーモンを睨みつけた。
しかしジーモンはフランに対して平然としており、全く悪びれた様子が無い。
フランは衛兵に今回の事件の状況を詳しく説明した。
その報告を衛兵が捻じ曲げて、ジーモンに対して嘘の報告をするなどありえない。
あるとすれば、この男が事実を捻じ曲げて、母へ偽りの報告を入れている。
「私からお母様へ直接報告します、彼は私を救った命の恩人です。お母様に説明する際、証人として証言して貰います」
しかしフランの言葉を聞いたジーモンは、表情を変えずにゆっくりと首を横に振った。
「いくらお嬢様でも、このままお通しするわけには行きません。そんな得体の知れない男を屋敷へ入れて、奥様に万が一の事が起きたりしたら……大変な事になります」
「え、得体の知れないですって!」
ジーモンの悪意のある言い方に、フランはつい我を忘れそうになったが、すんでの所で踏みとどまった。
フランの肩を軽く掴んで、ルウが制止したからである。
ジーモンが眉をひそめると、不快感を露にして言い放つ。
「さっきから見ていれば、貴様! 下郎の分際で! 気安くお嬢様に触れおって許さんぞ」
ジーモンの罵倒を聞き、ルウは呆れたように苦笑している。
「下郎? 俺が?」
「ルウ…… 御免ね。この人は、昔からそうなのよ」
フランは疲れたような表情だ。
ルウは「気にするな」と、フランへ声を掛けると……
改めてジーモンの方へと向き直った。
睨み付けるジーモンに対し、ルウの穏やかな表情は変わらない。
「あんたの忠義は間違っているよ」
「何だと! 何故、私の忠義が間違っているのだ!?」
激高するジーモンへ、ルウはきっぱり言う。
「一番大事なのは、フランを労わる事だ。ちゃんと主人に報告もしていないようだし、それじゃあ奥様とやらに対しても不忠だろう」
「わ、私を愚弄するか!?」
「衛兵の報告に関してフランが聞いた時に、あんたの出す魔力波が少し不自然に揺らいだ」
「魔力波? 揺らいだ?」
「そうさ! あんたは嘘を言っている」
「う、嘘だと!」
ルウの指摘に虚を衝かれたように、
今まで怒りの表情だったジーモンに、初めて動揺の色が現れた。
ええっ!? ルウ! 貴方には分るの? 彼の嘘が……分ってしまうの!?
ジーモンを見ながら、淡々と話すルウにフランはまたも吃驚させられていたのだ。
「私が奥様に! う、う、嘘をつくだと! 許さん! 貴様、許さんぞ!」
「あんたが今まで奥様というご主人を大事に思い、不逞の輩を近付けない様、そうやって守って来たのは分かる」
「ぐうう……」
「だが今後、何か間違いがあれば、お互いが不幸になってしまうぞ」
ルウは淡々と話しているが、その口調がジーモンの怒りに火をつけてしまったらしい。
「小僧めが! 偉そうな口をっ! そんな事は貴様に言われんでも分かっておるわ! 私が今まで! どれくらい苦労して奥様をお守りして来たか、知りもしない癖に!」
「少し言い過ぎたか。……悪いな」
「ふざけるなぁ!!! おおおおお!」
ジーモンは獣のような雄叫びを上げると、両手を広げ、ルウに掴みかかって来た。
「やめて! ジーモン!」
ドゥメール家家令のジーモンは、ありとあらゆる武器をつかいこなすのは勿論、独特な拳法も使う強靭な戦士であった。
今迄に戦場で……数多の敵を殺していた。
ああ!
ルウが殺される!
フランの悲鳴が響き渡った。
赤ん坊の頭ほどもあるジーモンの拳が、凄まじい速さで、ルウのか細い首にかかる!
と思いきや、ルウはあっさり飛び退って、拳を躱す。
攻撃を躱されたジーモンが再度、吼えて襲い掛かる。
だが、ルウはまたも躱した。
何と!
ジーモンはルウへ、指一本触れる事が出来ない。
最初は動揺したフランも……
ルウが余裕をもって、ジーモンの攻撃を避けるのを見て、落ち着きを取り戻していた。
これは?
……一体?
フランは首を傾げていた。
攻撃を躱しさえすれば、もう脅威はない。
後は魔法を使えば、ジーモンを容易く倒せるのだろうけど……
ルウは何故か、魔法を使わない。
ただ、ジーモンが掴みかかるのを躱しているだけだ。
ジーモンも我を忘れているせいか、今まで数多くの敵を屠って来た、いつもの体術を使ってはいない。
相手をひたすら掴もうとするだけのジーモンに全て躱し、触らせないルウ。
それは不思議な光景だった。
まるで子供の鬼ごっこのようでもあり、子供の喧嘩のようでもある。
「貴様! 卑怯だぞ! 男だったら、逃げずに戦え!」
痺れを切らしたジーモンが、じれったそうに叫んだ。
「ははっ、分かった。……じゃあ、来いよ」
「おおおおおおりゃあああ!」
軽く言葉を返すルウへ、ジーモンが気合を込めて左拳を打ち込む。
しかしルウはまたも、あっさりと躱す。
そして自分の左腕を軽く上げ、打ち込まれたジーモンの左腕に当て、拳の勢いを流してしまう。
その瞬間!
何故か、いきなりジーモンがふらつき、蹈鞴を踏んだ。
ルウは口元に軽い笑みを浮かべると、ジーモンの腹めがけて、右拳を打ち込んだ!
重く鈍い音と共に、ルウの拳が手首まで埋まった!
ジーモンはルウの攻撃に、……驚きと苦悶の表情を隠せない。
「ぐはああ……ば、馬鹿な……私の身体がな、ぜ……こうも容易くダメージを……」
呆然とするジーモンに対し、相変わらず淡々とし、息ひとつ乱れて居ないルウの声が降りかかる。
「あんたは俺を舐めて力量を見極めようとしなかった。もし体術を使われたら俺も苦戦した筈だ」
「く、苦戦だと!?」
ジーモンは驚き、すぐ苦笑いが浮かぶ。
「こ、小僧! お、お、お前、……俺の使う技を、み、見抜いたのか?」
「ああ、戦ってみて分かった。それにあんたは本気を出していなかったろう? フランの為に」
得体の知れぬ若者から簡単にあしらわれ、一方的に倒され、とても悔しい筈なのに……
ジーモンは、だんだん可笑しくなって来た。
滑稽だ。
手加減するつもりがされていて、それどころか……
秘めた自分の心の内まで、見透かされてしまったとは。
「ぐう……小僧、お前という奴は! ……お、お嬢様!」
いきなり呼ばれたフランは戸惑い、改めてジーモンの苦悶に歪む顔を見つめた。
「あ、貴方のお連れしたお客人に、わ、私は! ……し、失礼を、い、致しました。こ、この罰は……い、いかようにも!」
ジーモンはそう言い終わると、気を失ってしまった。
驚いたフランが振り返ると、相変わらずルウは穏やかに微笑んでいる。
「フラン、大丈夫。ちゃんと手加減をしたし、すぐ治癒をしよう」
ジーモンの無事を告げるルウの言葉を聞き、フランの顔に安堵の色が甦った。
と、その時。
「これは何の騒ぎです? フラン、説明しなさい」
凛とした声が!
その場の全員へ降りかかる。
屋敷の入り口にその小柄な身体を現し、鋭い眼差しで辺りを睥睨したのは……
フランの母、アデライド・ドゥメール伯爵その人であった。
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