第597話 「合法」
ルウ達がロドニア最大の商業都市ノースヘヴンに到着した時は未だ午前10時であった。
リーパ村からは、馬車でまる3日かかる距離だ。
普通の旅人であれば、安全の為に昼間のみ旅をしてノースヘヴンに入るのが常識であり、途中にある小さな村々に宿泊しながら進むのである。
「お前達は男3名、女7名か……最近は魔物も頻繁に出没するが、大丈夫だったのか?」
ノースヘヴンの正門に詰める衛兵からは自然に出た質問である。
一行の主人らしいルウは華奢な魔法使い、美しい妻達も戦闘向きという雰囲気ではない。
まともに戦えそうなのはバルバトスとアモンの従士2人という趣きだからだ。
衛兵によると最近はロドニアでも魔物の出没が頻繁らしく、旅人に相当な被害が出ているようである。
アリスに擬態したリーリャの表情が僅かに曇った。
衛兵との対応は当然ルウが行うので、質問にもさりげない答えを返しておく。
「ああ、特に問題は無かった」
「ふうむ……では姓名と身分を名乗って貰い、その上で身分証を出して貰おうか」
ルウ達は各自の身分証明書の提示を求められる。
ロドニアは魔法の発達がヴァレンタインに比べれば著しく遅れている。
それは魔導システムと呼ばれる生活の中のライフラインでも同様である。
魔法を使った灯や時間表示、給湯システムなどが皆無と言って良いのだ。
まあヴァレンタインにしても古代魔法帝国の技術理論を解明出来ずにシステムだけ使用している物も多いのでそう威張れたものではないが……
一方でロドニアがヴァレンタインへ莫大な金を払って導入した魔法技術があった。
それは魔法水晶を使用した身元確認システムである。
世界のどこの国でも入国の際の不審者のチェックには頭を悩ませているものだ。
このシステムは現在より数代前の王同士の取り決めで、技術提供料を含めたいくつかの大きな見返りと引き換えに譲り渡された。
通常、ヴァレンタイン王国が重要な魔法技術を国外に出す事は滅多にない。
ただ共用のシステムなので両国共通で使える強みがあった事も技術提供した大きな原因ではある。
システムが使える事がヴァレンタイン側の防犯にも繋がるからだ。
それに肝心な魔道具製作の技術は今でも伝えられていない。
事実、ロドニアではシステムの運用は出来ても、身分証明書の情報を書き込むための魔法のカードや魔法水晶などは未だに製作出来ないでいる。
それらの魔道具を売却する利益もヴァレンタイン王国の貴重な収入源となっているのだ。
衛兵の指示に従うべく、ルウ達は各自が名乗った上で、身分証明書を提示した。
魔法女子学園の職員証と学生証、そして王都セントヘレナの市民証などである。
衛兵は各自の身分証明書を預かると間違いが無いか食い入るように見詰めた後、携帯している魔法水晶に順番に翳して行く。
魔法水晶は身分証明書の魔力波に反応して眩く輝いた後に、淡い緑色に変わる。
以前、ルウ達がバートランドで入国手続きをした時と全く同じであった。
魔法水晶は魔道具の一種で身分証明証や本人の手を翳すだけで、偽証の有無や犯罪者として手配中かどうか判明する優れものであり、今回は基本的な問題はなしとの結果となる。
全ての身分証明書が同じ色で反応したので役人は満足そうな表情を浮かべた。
後は衛兵の判断で簡単な質問をして審査完了である。
「ええと……お前が魔法女子学園の教師……で、妻が上司の校長に生徒達か……この不埒者が! ひひひ」
気が緩んだのか衛兵はルウの身元をもう1度聞いた上で下卑た笑いを浮かべた。
しかしルウは平然と言い放つ。
「何か問題があるか? 俺は正式な手続きを踏んで結婚している。嫁の親達にもちゃんと了解を得ているぞ」
「い、いや、特に無い」
ルウ自身は平民だが、妻達はフランを始めとして貴族令嬢が多い。
衛兵はそれで臆したに違いないが、もし全員が平民だったら、権力を笠に着てどのような突込みがあっただろうか?
穏やかなルウの表情の中で僅かに視線が鋭くなる。
「職務に忠実なのは結構だが、重要では無い事を面白おかしく言わない事だ」
「な、何!? ひ、ひいい……」
ルウの漆黒の瞳を見た衛兵は吸い込まれそうな錯覚を感じて小さな悲鳴をあげた。
「おい! どうした?」
衛兵の悲鳴を聞いて駆けつけた同僚が仲間とルウを交互に見て問う。
しかしルウと話していた衛兵は首を何回も横に振ってしまう。
「な、何でもない! 問題なしだ」
「お前、顔色が真っ青だぞ。こいつらに何か問題があったのか?」
「な、無い! ヴァレンタイン王国の貴族一行だ」
不思議そうに見る同僚を無視して、衛兵はルウに早く行くように促したのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ルウ達が馬車に戻って衛兵詰め所を通過し、小さな広場に出るとそこには人間に擬態したフィストこと大悪魔メフィストフェレスが待っていた。
メフィストフェレス、この世の全ての快楽を与える悪魔と呼ばれる冥界の大公だ。
皮肉屋で冷淡な性格であり、火属系及び幻覚系の魔法に長けている。
ルウの命により、フィストと名乗る彼は現在、ロドニア王国御用達商人ザハール・ヴァロフの『番頭役』として忠実に仕えているのだ。
当然、ルウ達の馬車に気付いており、自分の存在をアピールする為か、手をひらひらさせている。
彼の体躯は細身で華奢なのはご愛嬌だ。
顔は細面で鷲鼻。
髪の毛は巷で言われているように白髪ではなく、短めの茶髪で豊かであった。
眼光は鋭く、ひと言でいうと油断ならない男という雰囲気を醸し出している。
しかし、彼の中ではルウに逆らう気持ちは無いようだ。
逆にルウと居る事で絶対に退屈する事はないとはっきり認識しているらしい。
口元の笑みがそれを物語っていた。
邪悪と言うより面白くて堪らないといった子供のような笑い方である。
とりあえずルウだけが馬車から降りると、メフィストフェレスが反応した。
彼は思いがけなく早速素早い動きで駆け寄って来て、ルウの足元に跪いたのである。
「ルウ様! そして皆様! ようこそロドニアへ!」
「楽しそうだな、フィスト」
「はい! 楽しいですよ、ルウ様。人間の行う『商売』というものが、このように楽しいものとは思いませんでしたので、くくくくく」
「ははっ、そうか」
メフィストフェレスはご機嫌のようである。
当初は人間のお守りという事で気侭な彼が不満を持つのではとも考えたルウだったがその心配は杞憂のようだ。
「私は命を懸けた駆け引きが大好きですからね。それがこの人の世で合法的に行える。そして勝った方が莫大な利益を得る。負けたら逆……最近は自身の予知能力など使わず勘だけで勝負したりしていますよ」
「相変わらずだな。だがお前とザハールは確りと結果を出している。非合法な事を行わなければどうこう言うつもりはないさ」
「ははは、話せる方だ。貴方は我々に対して画一な接し方をされない。そこが良いのでしょうな!」
メフィストフェレスは少し離れた場所にある馬車を指し示した。
どうやら自分の馬車らしい。
「ふふふ、この街でも1番のホテルを用意してあります。先導しますので、どうぞ着いて来て下さい」
そのホテルには例の人物が待っているのであろう。
果たしてリーリャは『試練』を乗り越える事が出来るのか?
だがルウは何かを思いついたらしい。
大きく頷くといつもの穏やかな表情に戻ったのであった。
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