第589話 「木霊谷⑬」
「キーワードを唱える事に全く危険が無いとは言えないから、今回は俺が試すぞ……りんご園、結婚の神、貞淑、嫉妬深い、復讐、孔雀、牝牛、郭公、百合、石榴、松明……そして黒い瞳か……うん?」
ルウはオレリーとジョゼフィーヌから告げられたキーワードをゆっくりと、もう1回繰り返した。
女神と関連のあるキーワードを唱えて行き、最後に『黒い瞳』と呟いた所で扉に『反応』があった。
現世と違う魔力波で精製された扉に『ゆらぎ』が生じたのである。
『黒い瞳』が『扉』を開けるキーワード=鍵の一部である事はもう間違いはなかった。
「ふむ……確かに俺がこの地に来たのは意味があるかもしれないな」
遥かな太古から巡り巡って、女神と同じ黒い瞳を持つルウが、木霊を救う為にこの地に立つ。
それが運命だとしたら何と数奇な事であろう。
フランが呟いた言葉を思い出したルウはふっと微笑んだ。
「成る程……では早速行こうか」
ルウは神速の呼吸法であっという間に魔力を高めて行く。
「黒い瞳を持つ術者が命ずる! 汝、我の与える深緑が彩る森の力で本来の姿を取り戻せ! 解き放たれよ! 呪われた異界に縛られし、南の妖精! 救われよ! 瑞々しい若葉の妖精となりて!」
ルウが詠唱を開始すると、彼の妻達が見付けた異界の扉が全てびりびりと共鳴をしている。
「開門!」
ルウが最後に『決め』の言霊を言い放つと、6つ全ての異界の扉が開くのが、妻達の魂にも伝わって来た。
「開いたわ! 異界の扉が!」
「凄い、旦那様!」
「木霊はどこに居るのかしら?」
その時であった。
ルウが開け放った扉のひとつから、凄まじい勢いでひとつの精神体が飛び出したのである。
「あ、あれはっ!?」
「もしかして!」
「そう、木霊が隠された自分の身体を取り戻しに行ったのさ」
ルウが先程、告げた通りであった。
暫くすると、精神体が飛び込んだ別の異界の扉から1人の妖精が現れたのである。
心身ともに本来の姿に戻ったその様は、先程までモーラルが擬態していた可憐な南の妖精に他ならなった。
南の妖精は笑顔を浮かべて飛翔すると、ルウ達の前に軽やかに降り立った。
妻達が、すかさずさざめき立つ。
「ああ、さっきのモーラルちゃんにそっくり!」
「とても可愛いわ!」
ルウの魔法はさすがのひと言である。
先程まで擬態していたモーラルと風貌は寸分の狂いもない。
妻達の賞賛の声の中、南の妖精は跪き、第一声をあげる。
「皆様! 私が木霊でございます! この度は無理な願いをお聞き入れ頂き、ありがとうございました。お蔭様で私は怖ろしい呪縛からとうとう救われたのです」
深くお辞儀をする木霊へルウは穏やかな微笑を向けた。
もう彼女は自ら言葉を発する事が出来るのだ。
顔をあげた木霊の表情は晴れやかであった。
「良かったな! 今迄は便宜上、木霊と呼んでいたが、改めて聞こう、お前の名は?」
「はい! エレナ……と申します」
自分の言葉で意思表示出来る事が余程、嬉しいのであろう。
返事も含めたエレナの言葉は溌剌としていた。
「そうか、エレナ。お前は自分で言った通り、もう自由の身だ。逆に自由というのは全て自分の判断で道を決めて行かねばならないぞ」
「はい! ルウ様の仰る通りです」
エレナの今後の身の振り方は彼女の意思による。
ルウは新しい彼女の生き方を少しでもサポートしてやりたかったのだ。
「まず故郷へ帰るという選択肢がある。お前も知っての通り既に南の大神達は滅んでしまった。だがお前の仲間の南の妖精達は創世神の加護を受けて引き続き平和に暮らしている」
「はいっ!」
「大神の支配を離れたお前達南の妖精を現在、統括しているのは創世神の命を受けた妖精王だ。エレナ、お前が望めば彼方の国、妖精王の住まう妖精の国へ行く事も出来る」
「ええっ、アヴァロンへ、ですか? ルウ様に口利きをして頂ける、……凄いです」
「ははっ、加えてこのアマンダの所に居候というのもありだ」
ルウはエレナへアマンダを示した。
「彼女はアールヴの一族で元々はお前と同じ妖精族だ。お前にとっては命の恩人ともいえるだろうし、希望するならば彼女の下で暮らし、一緒に宿屋で働けば良い。ちなみに仲間は皆、アールヴだ」
ルウの言葉を聞いたエレナはアマンダへ向き直ると、改めて深く頭を下げる。
アマンダがエレナの訴えを無視していたらルウも出張る事はなく、今のエレナの自由は実現しなかった。
哀しい!
助けてあげたい!
アマンダの切なる願いがあったからこそ、なのだ。
「アマンダ様、貴女には本当にご迷惑をお掛けしました。私が毎夜夢に現れるなんてさぞ、鬱陶しい事だったでしょう」
アマンダとエレナの立場は違えど、お互いに理不尽な理由で虐げられた来た者同士である。
辛酸を舐めて来たアマンダにエレナを見捨てる選択肢などあろう筈はなかった。
「うふふ、良いのよ。エレナは呪いに縛られて苦しんでいたのでしょう? 私1人ではどうする事も出来なかったけど助かって良かったわ。ルウ様の仰る通り、私の白鳥亭で働くならば大歓迎よ」
「ありがとうございます!」
「まあ、ゆっくりと考えてくれ。この場で答えを出さずとも構わない。直ぐ南へ帰りたいのでなければ、とりあえず白鳥亭へ一緒に行かないか?」
「はいっ! 喜んで!」
「よっし、あとこの地を木霊谷として残す為に最後の処置をしておこう」
「最後の……処置?」
「ああ、まずお前が囚われていた異界の扉を閉めよう、閉門!」
ルウがパチンと指を鳴らすと開いていた異界への扉が閉じ、全てが消滅した。
この地の女神の魂は消滅しているので少しずつ異界自体の力が弱まり、やがて消えて行く筈だ。
「次にお前の名をこの地に残そうと思う。辛い思い出かもしれないが、な」
ルウは何をする気なのだろう?
エレナが首を傾げるとルウは4つの魔法水晶を収納の腕輪から取り出した。
そして何かを唱えると、魔法水晶は大空高く飛んで行き、東西南北四方に散ったのである。
これは以前ルウが楓村の守護に、と放った魔法水晶と同一のものであった。
「試してご覧、エレナ。この地を去る前に」
ルウの言っている事をエレナは瞬時に理解する。
彼女の声でこの地へ別れを告げよ、というのだ。
エレナは叫ぶ。
思いっきり叫ぶ。
「さようなら! 私を縛りし、遥かなる北の地よ。願わくば不毛の荒野から富める大地へ変わりたまえ!」
エレナの声に応えるように即座に木霊が返って来た。
これこそ、ルウの仕掛けた魔法水晶の効能である。
また魔法水晶には声を返す機能だけでなく、この谷を守護する4大精霊の力もある。
エレナの望み通り、この地はいずれ緑豊かな大地へ生まれ変わるに違いない。
「これでこの地はエレナが去った後も木霊谷と呼ばれる筈だ」
ルウの優しい気遣いに対して、エレナは心底嬉しそうに大きな笑顔で返したのであった。
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