第584話 「木霊谷⑧」
嫌悪! 憎悪! 嫉妬! 焦燥! 羨望!
そして殺意!
現れた女神の魂の残滓からルウとモーラルの2人に対して、改めて凄まじい怨念の魔力波の数々が叩きつけられる。
迫り来る邪悪な波動を防ぐようにルウはすっと片手を挙げて開く。
もう片方の手ではモーラルが確りと抱かれており、ルウに抱かれた彼女はいかにも満足という雰囲気でその表情は恍惚といって良いくらいだ。
それを2人の睦まじさと取ったのであろう、更に女神は憎しみを込めてルウ達へ言霊を投げつける。
彼女が良く使った、標的とした妖精や人間に容赦なく死をもたらす呪いの魔法だ。
『冥界の覇王よ! この不浄なる者達へ速やかな死を!』
女神は渾身の魔力を込めて憎しみの魔法を放ったつもりであった。
しかし!
ルウ達には何も起こらない。
『な、何故だ!?』
驚愕する女神に対して、ルウは不敵な笑みを浮かべたまま答えてやる。
『ははっ、お前が言霊を依頼したその神は、もう冥界には存在しない神だ。いくら俺達の死を願い、呪っても……無駄さ』
『こ、小癪な! ナルキッソスめ! 矮小な人の子の分際でぇ!』
ルウの言葉に過剰といってもいいくらい反応した女神の魔力波はおそましい波動をぶつけて来る。
泰然自若とするルウではあったが、モーラルは身震いして彼に確りと抱きついていた。
激高する女神へ、ルウから戒めの言葉が放たれる。
『未だ気付かないのか! 自らの力に溺れ、妖精や人の子達という弱き者へ自分の感情を思うがままにぶつけて来た報いを受けた事を!』
『わ、私は神だ! 神は全知全能なのだ! 何をしても許されるのだ!』
やはり魂として不完全な存在である残滓ではまともな思考も働かないし、判断も出来ないのだ。
一縷の望みを抱いていたルウに落胆の表情が浮かぶ。
『やはりこうなっては救いようがない、か……』
『くあああああ! 死ね! 死ね! 死ねぇ!』
最早、女神には相手を滅ぼすという思いしか無いようだ。
女神に向けられていたルウの拳が眩くなり、辺りを真っ白な世界のように輝かせる。
『反射!』
『ぎゃあああああっ!』
ルウが放った白光は女神がルウ達へ投げ掛けた恨みの波動と死の呪いの魔力波である。
フラン達に語った、呪いを術者にフィードバックする魔法をルウが彼女達の目の前で実践したのだ。
『どうだ! お前が放った憎悪と殺意の味は?』
『くあああ、ば、ば、ば、馬鹿なっ!?』
女神は人間如きに魔法を防がれ、逆にその身に受けてしまった事が信じられないようだ。
ルウにはその心情も手に取るように分かるらしい。
『本来の、神という偉大な存在ならば絶対に受けない魔法だ。今のお前は本能のみの残滓に堕ち、隙だらけなのさ』
『おごぅおおおお!』
女神を襲う苦痛に彼女は悲鳴をあげた。
自身の気分のままに数多の弱者へ向けて来た『痛み』をこの古の神は漸く知ったのである。
だが、時は既に遅い。
ルウの非情な言葉が女神に伝わって来る。
『お前が現世から消える前に木霊の居場所と解呪の方法を教えて貰おう』
『だ、だ、誰が……』
たかが、人間如きに!
確かに弱者の痛みを知る事は出来た。
しかし本能だけの魂の残滓である事は勿論、そのような感情が先立って、女神には自分を省みる事など不可能であった。
『ではお前の魂に直接聞こう』
『な、何!?』
ルウがいきなり詠唱を開始した。
この世界全ての者が所持する魂への尋問が可能な魔法である。
当然、行使する術者の『格』が物をいう魔法であり、誰にでも使いこなせる代物ではない。
『ひとつは嘘、ひとつは真実、ひとつは狂気、3つの鍵よ、今こそ我が力により全て解放され、そなたの魂は、ここに開かれん!』
ルウの魂の詠唱が朗々と苦痛に呻く女神の魂に響く。
『全て!』
『…………』
女神は苦痛に耐え、唸っているだけで言葉を発する事は無かった。
しかしルウには彼女の魂の声を聞き、全てが理解出来たらしい。
『ははっ、大凡分かった! やはりお前は魂を抜いた木霊の身体を隠していたか……逆に俺達には好都合さ』
『おおお、おのれ! き、き、き、き、貴様!? ナルキッソスではない……のか!?』
『気付くのが遅いぜ! 安心しろ、お前の魂は礼を尽くし冥界へ送ってやる』
本当のナルキッソスは単なる人間の青年だ。
自分の目の前の男は強大な魔法使いである。
このような判断も不可能なほど女神の魂は妄執に取り憑かれていたのだ。
しかし女神は何か怖ろしいものを見たかのように驚愕した。
何と強気一辺倒であった声が震えているのだ。
『わ、分かったぞ! 貴様は人の子であって……人の子では……な、ない! ま、まさか!?』
『ビナー、ゲブラー! 大いなる神よ、我は知る! 東方に涼風、南方に猛炎、西方に清流、そして北方に沃土! 貴方が示す創世の理を4人の大天使に託し、我が光の剣として授けよ! 光の剣とはすなわち破邪なり! 破邪とはすなわち浄化なり!』
言霊の詠唱が進むにつれて、大量の魔力波が放出され、ルウの身体が輝きを増して行く。
『我が波動に宿れ! 浄化!』
ぼしゅっ!
ルウが言霊を詠唱し終わった瞬間、女神の魂の残滓は消え失せてしまう。
更にルウは完全に魂を冥界に送るための魔法を発動する。
『ビナー、ゲブラー、我は知る! 大いなる神よ! 冥界の監視者たる忠実な御使いに理を託し、現世に彷徨る魂の欠片に新たなる旅の祝福を! 彼等に行くべき途を示したまえ!』
またもやルウの身体が魔力波で眩く輝いている。
『昇天!』
『あああああああああ……………』
ルウの『決め』の言霊が響き渡った瞬間、断末魔の悲鳴と共に女神の魂の残滓が消滅した。
だがルウは前方を見据えたまま微動だにしない。
モーラルもルウに確りとしがみつき、厳しい表情だ。
結界内に居る妻達も複雑な表情で、ひと言も発せず虚空を見詰めていたのであった。。
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