第574話 「リーパ村観光②」
ルウの妻達はご機嫌である。
試食して美味しかった蜂蜜を大量に買い込んだからだ。
貴族令嬢であるフランから見ても、これだけの品質の蜂蜜にはなかなかお目にかかれない。
料理やお菓子作りに思う存分に使えると考えて皆の気分は高揚していた。
美容に良いというロイヤルゼリーまで手に入ったから尚更だ。
悪辣だった衛兵隊が不在のせいもあるのか、活気に沸く市場のあちこちに何人もの騎士が警備に立っている。
摘発された衛兵隊の代わりであり、全員がロドニア騎士団副団長クレメッティ・ランジェルの部下であろう。
その中に良く見知った顔を見つけてケイトは手を振った。
「あら! イグナーツ!」
「おおっ、ケイト! 何だ、ルウや奥様達も一緒か?」
イグナーツ・バプカは手持無沙汰な様子で中央広場に立っていた。
昨夜の上機嫌な顔と対照的に、余り面白く無さそうな雰囲気のイグナーツをケイトはからかう。
「あらぁ? 強い騎士様ったら駄目よぉ! ちゃんと仕事をしなさいよ、ね!」
「真面目にやっているぞ! 見りゃ分かるだろう?」
「だったら宜しい!」
腕組みをして上から目線のケイトを見たイグナーツは思わず苦笑する。
まるで教師か、姉のような態度なのだ。
「ちぇっ、偉そうに! でもケイトがそう言うならもっと真面目にやらないと、な」
思わず、ぽろりと本音が出たイグナーツの言葉をケイトは聞き逃さなかった。
「ええっ!? やっぱり手抜きしていたのね」
「ああ、ちょっとだけ、な」
事が露見しても変に言い訳しない所がイグナーツの長所である。
しかしケイトも容赦が無い。
何と大きな声でイグナーツを糾弾したのだ。
「副団長さ~ん、ここに仕事をさぼっている、どうしようもない『ぐうたら騎士』が居ますよぉ!」
「あ、馬鹿! ケイト、てめぇ!」
イグナーツが拳を振り上げる真似をすると、ケイトは亀の子のように首を縮め、脱兎の如く逃げ出し、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
そんなケイトを見たイグナーツは苦笑し、大袈裟に肩を竦めた。
ルウも2人のやりとりを面白そうに見ていたのである。
「イグナーツ、悪いな」
ケイトの替わりに謝ったルウであるが、イグナーツは全く怒っていない。
「いや、良いさ。いつもの事だ」
イグナーツが任務でリーパ村へ来る度にこのようなやりとりは続いている。
彼のケイトへの接し方は恋人と言うより肉親への態度そのものだ。
「じゃあ、またな」
豪放磊落なイグナーツにはさりげない別れの言葉が似合う。
ルウも分かっていたからこそ、素っ気無く言い放ったのだ。
案の定、イグナーツは別れを惜しんだりはしなかった。
「ああ、この通り任務中だから、お前達を見送る事は出来ないが、どうせ王都へ行くのだろう? また会おうぜ!」
イグナーツは屈託の無い笑顔を浮かべ、ルウに対してロフスキでの再会を約束させた。
そして軽く手を振るとまた任務に戻ったのである。
ルウと妻達が暫し歩くと、ケイトは少し離れた場所で待っていた。
悪戯っぽい笑みを浮かべていたケイトの頭を、ルウは拳骨で軽くこづく。
「こら、ケイト! イグナーツと仲が良いのは分かるが、今はお前が案内役だろう?」
ケイトを嗜めるルウではあるが、本気で怒ってはいない。
職場放棄したケイトは確かに悪いが、ルウ達と過ごすひと時の楽しさに羽目を外しただけだからだ。
それでも、こづかれた瞬間に理解したのであろう。
ケイトはアールヴ特有の尖った耳が僅かに出た可愛い頭を深く下げたのである。
「ご、御免なさい! ルウ様」
「ははっ、お前はイグナーツが気に入っているのだろう?」
「何か、放っておけないのです。出来の悪い弟みたいな感じで……」
何故だか歯切れが悪いケイト。
明らかにいつもの彼女ではない。
緑色の瞳に憂いの色が浮かんだからである。
黙り込んでしまったケイトをルウは優しく見詰めた。
「気分転換に美味いものでも食べよう。ケイト、頼むぞ。そして『アリス』も、な」
「はいっ!」
「はい!」
ケイトは勿論、ルウはアリスに擬態したリーリャにも声を掛けた。
先程、元気付けてくれたケイトが怒られて、リーリャが心配そうに見詰めていたからである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ここです! お勧めの店は! ねぇ、アリス様!」
「はい! ケイトさんの言う通りですよ!」
ケイトが案内して、アリスに擬態したリーリャが勧めた店は大食い亭と看板に記されている。
「ははははは、まるでナディアにぴったりの名前だな」
大きな声でジゼルが笑うと、すかさずナディアも反撃する。
「その言葉……そのまま、君に返すよ。君こそ見境無く食べて太ると旦那様に嫌われるよ」
「太る? いや最近は食事が美味しくてな。少しだけ、ふくよかになったかとは思っていたのだ」
ナディアにはつい本音で話してしまうジゼルはついカミングアウトしてしまったのである。
「ジゼル姉、もしかして太ったのですか?」
すかさず突っ込みを入れるオレリー。
知り合う前は怖い先輩であった2人も、今ではオレリーの魂に安らぎを与えてくれる存在であり、このような事も平気で言える『妹』の地位を確立したのである。
「オレリー! 私がいつ太ったなどと!」
「え? 今、はっきりふくよかになったと!」
「確かに言いましたわ」
オレリーをフォローしたのは今や『親友』となったジョゼフィーヌであった。
それも絶妙なタイミングと言えるくらい呼吸が合っている。
「ち、違う! ふくよかと太ったとは全く違うのだ! 言葉の違いはしっかりと認識しないといけないぞ!」
生来の負けず嫌いから必死で反撃を試みるジゼルであったが劣勢は明らかであった。
ぱんぱんぱん!
その時、鳴り響いたのはフランが手を叩く音である。
フランは黙ってにっこりと笑うと妻達に店へ入るように促したのであった。
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